MISSION3

第21話 刃こぼれ

 休日になんのあてもなく外を散策することは珍しくもない。


 父さんの仕事が休みで、家にいるからと言って話し相手になるわけじゃないし……、

 一緒にどこかへ出かけるほど、もう小さい子供でもない。

 一応、受験生だから、父さんも気を遣ってくれているのだろう。


 友達から誘いがあれば遊びにいくこともあるけど、今はそういう気分じゃなかった。

 ……家にいると、しんどかったのだ。


 寝過ぎた僕を起こしにくる母さんの姿がなくて、改めて痛感したら、もうダメだった。

 家の中は、どこもかしこも母さんとの思い出が根深く絡まってしまっている。


 だから逃げるようにして家を出た。

 近所だと家と変わらない。

 だから、少しはずれた場所を歩いていた。


 昨日と比べると今日は少し暑い。

 日陰を探して、木の下のベンチに座って、一息吐いた。


「……なにしてるの」


 昨日と同じく、秋にしては少し肌寒いだろう桜色のワンピースを身に纏っているが、今日の暑さなら丁度良いだろう。


 見知らぬ公園……、なのは確かだったが、そう言えばこの辺りは彼女の近所だった。


 通りすがり、僕を見つけて立ち寄ったのだろう。

 声をかけてくれるだけありがたいけど……、

 今、彼女とバカな話を繰り広げられる体力はなかった。


「僕は……ただの散歩ってところかな……いいよ構わなくて。

 どこかへいく途中で声をかけてくれたなら、糸上の用事を邪魔しちゃ悪いし……」


 しかし、糸上は僕の隣に腰を下ろした。


「邪魔だなんて思ってないし、どこかへいく途中じゃないもん。

 ……坂上くんちにいこうとしたら、こんなところに本人がいるから、びっくりしちゃった」


「僕の家に……? あ、忘れものでもしてたっけ……?」


 昨日は色々なことがあって、忘れものをしたかどうかさえ分からなかった。


「ちがうの」

 と糸上が距離を詰めてくる。


 彼女の顔をよく見れば、ついさっきまで泣いていたような、腫れた部分があった。


 客観視すれば、僕がそういう顔になるのは分かる。


 糸上の事情を知らず、自身の事情だけを考えた勝手な言い分だけど、

 それでも僕の方がそういう顔をしているのが当たり前なんだと思う……だけど実際は逆だ。


 僕が糸上を慰めるべきなのだろう。


 でも、泣き腫らした目を見せる糸上の方が、

 澄ました顔を崩せない、どこか冷めた僕のことを、慰めてくれている。


 自然な所作で気付くまで数秒かかった。

 エージェントとしては、致命的な隙だ。



 僕は、糸上に抱きしめられていた。



 彼女の大きな胸に、強く抱きしめられたせいで顔が埋もれてしまう。


「い、と、うえ……?」

「あたし、知ってるんだよ……」


 その言葉にどきりとした。

 知られていたのは危惧した事柄ではないと分かっても、

 一度鳴動してしまった鼓動は中々収まってくれなかった。


「雛緒ちゃん……が、死んじゃったんだよ……?」


 ひっく、ぐすっ……と、僕の頭上で感情を垂れ流す糸上。


 ……母さんのことを知っていたのか。

 父さんの仕事先のクライアントなのだ、母さんのことを知っていても不思議ではないか。


 ……いや? 

 父さんは僕と誠也だけでなく、母さんにも仕事場を明かしていないのだ。

 なら、糸上はどうやって母さんに辿り着いた?


 ……世間は狭い、のかもしれないな。


「糸上、離してもらっていいか?」


 日曜日の午前中だ、家族連れが遊びにきていたら、気まずい。


 糸上が大泣きしていたら、あらぬ誤解をされてしまうだろう。


 正直、ある程度は打たれ強い僕でも、これ以上は追い詰めてほしくなかった。

 抱擁を解いてくれた糸上は、今度は手をぎゅっと握ってきた。


「うぁ、あぁ、ぁああっっ」

「おい、糸上……」


 彼女は我慢の限界を越えて、栓をぽんっと抜いたように、感情が勢いよく流れ出す。

 子供のような大泣きだった。


 大口を開けて、泣き顔を隠さず、

 隣にいる僕を逃がさないように、手を握り締め続けている。


「うぁあああああああああああああああああああんっっ!!」


 やめろ、やめてくれ。

 今の僕に、そんな純粋な、人に影響を与えるような強い感情を、出してくれるなよ。


 糸上をなだめようにも、気を抜いたら、僕自身の方を止められなくなりそうだった。


「……あ」


 手の甲に落ちた感覚に、僕はいつぶりか、

 もしかしたら物心ついてから初めてかもしれない、涙を自覚した。


 片目だけから流れている水滴を指で拭う。

 母さんが死んでも、出てこなかった涙なのに……、


 出てくれなかった涙なのに。


 ガスマスク隊と同じく、僕も組織の道具であるんだって自覚があった。

 そんな僕から涙を引き出した、糸上春眞……、お前は。


 お前は一体、なんなんだ……?



 しばらく泣き続けていた糸上の手を、途中から僕も握り締めるようになった。


 僕の手の甲を上にして、糸上の手が被さり握られていたので、僕の方からは握れない。

 だから上手いこと捻っては試してみて、

 もぞもぞと動かしている内に、指が絡まってなんだかしっくりきた。


 これなら、強く握り締められる。


「……ごめんね、あたしばっかり、泣いちゃって……っ」


 そんなことはない。


 糸上に隠れてしまっているだけで、

 これまで流していなかった分を取り戻すかのように、僕だって泣いていた。


 目はきっと、真っ赤になっていることだろう。


「落ち着いた?」


 鼻水をすすりながら、うん、と糸上が頷いた。


「ねえ、糸上――」


 ごめん糸上とは言わずに、心の中で呟いて……、

 これは弱さだって分かってる。

 でも、言わずにはいられなかったのだ。


「聞いてほしい、話があるんだ」


 隠すべき事情だった。

 隠さなければならない内情だった。


 糸上を危険に巻き込むことを承知で。


 僕は、


 味方が欲しかったんだ――。

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