第20話 ガスマスク隊

 女の言い分は正しい。

 おかしいのは僕の方だ。


「私たちは協力関係、でしょ? 

 坂上さかがみしんを殺すエージェント同士、敵対してどうするのよ」


「以前の母さんが死んですぐにお前を受け入れるって言うのも、不審に思われるんじゃないかって思ったんだけど……やり過ぎだったかなあ?」


 女はきょとんとして――その後、すぐに顔を真っ赤にさせた。


「あ……、わ、私っ、余計なことを……!?」


 僕の不安定な精神状態を勝手に父さんを欺くための作戦だと思い込んでくれたらしい。


 そうだったらどれほど良かっただろう、と思いたいけど、

 残念ながら、僕もよく分かっていない不安な状態だ。


 彼女は仲間だ、母さん同様、道具である。

 僕と誠也の内情を知っている分、母さんよりも御しやすい。


 それに協力も得られる。

 あいつを殺す算段をつけやすく、実行にも移しやすい。

 成功率もぐっと上がっているはずだ。


 なのに、イライラするのだ。

 任務達成は目の前なのに、母さんの位置にいるというだけで、なぜか。


 この女が、無性に許せなくなる。

 ……明日にでも検査を受けた方がいいのかもしれないな……。


「すみません、辰馬様の考えまで、推察できませんでした」


 女が跪く。

 ……この従順さ、上下関係が絶対だと叩き込まれている。


 それに、強い違和感と誰かの面影が重なる……、

 もちろん、母さんじゃない。


 顔に見覚えはないが……、いや。

 見覚えがなく、それ以外に既視感があるのがヒントだったようだ。


「ガスマスクを、被ってた?」


「はい。悪運強く生き延び、薬品投与で成長した――ガスマスク隊の一人です」


 ああ……だからか。


 成長したゆえに傲岸不遜な態度が消え、従順になったのか。


 小さなガスマスクの方も、口調はまるで僕の上司みたいだが、

 行動力だけを見れば僕と誠也に尽くしてくれている。


 基本的には使い捨てだが、中でも生き延びる者は数人程度、いるのだ。


 悪運の強い彼女たちが次のステップへ進み、薬にも耐え抜き、この姿になった、と。


 彼女も彼女で、幾億もの修羅場をくぐり抜けてきたわけだ。


「辰馬様、覚えていますか?」

「覚えてるわけないだろ……」


 シリアルコードでしか判別できない部品の一つを、

 空で覚えているかと聞かれたようなものだ――。


 専門家でさえ、書類片手でなければ判別は不可能だ。

 強い印象でも抱いていない限りだが……、

 生憎、僕はガスマスク隊をそう使う方じゃない。


 誠也ならあるいは……、判別できても驚きはしないだろう。


「守っていただいたことがあります――、

 だから、あなたの下で働けるのが、幸せです」


 ……覚えてないな。


「そうなんだ。……じゃあ――」


 再会したとは言え、僕に覚えがないため積もる話もない。

 こういう時に話題に上げやすいのは、仕事の話だ。


「あの……母親役として、私では、不満、ですか……?」


 彼女がいなければ、目的達成が遠のいてしまう。

 不可解な苛立ちは未だ収まらないが、これは僕の問題だ。

 僕自身で解決しなければならない。

 増援にきてくれた彼女を責めるのは、違うはずだ。


「いや――引き続き、お願いするよ」


 はいっ! と、彼女が満面の笑みを見せた。



 誠也が帰ってきて、全員で食卓を囲む。

 新しい母さん役の存在について、誠也も知っていたらしい。


 僕と同じく(しかし演技だろう)拒絶感を出していたが、家事をしてくれるただのお手伝いさんの認識に納得したようだ。

 母さんが死んで、すぐに新しい女が家に住み込むのは普通に考えて、異常だ。

 あっさりと認めて馴染んでしまうと、僕らの方が異常に見えてしまうだろう。


 だが、今更だけど、このタイミングで僕らへ一切の説明も、フォローもなく、代理の母さん役を家に招く父さんに、こんな気を遣う必要もなかったかもしれないが。


「すまない、しょうゆ……は、ないか?」

「あ、ごめんなさい。すぐに取ってきます」


 ……母さんが席を立って、キッチンへ向かった。


「僕も、からしがないや」

 命令するのは性に合わないので、自分で立って取りにいく。


 キッチンに立っていた母さんが、

「あれ、どうしたの?」

 と冷蔵庫の中を漁りながら僕に視線を向けた。



『お腹が空いたの? 待っててね、すぐに作っちゃうから』

『しょうゆとソースと、辰馬はからしをつけるの好きだって、お母さん分かってるから』

『トンカツはね、あの人と誠也と辰馬、それにわたしも――みんなの好物だねっ』

『家族の絆……って、好物の一品くらいで言い過ぎかな?』


 思い出す、日常のワンシーン。

 母さんは、照れ臭そうに笑って言っていた。



「……調べたのか?」


 冷蔵庫の中からからしのチューブを取りながら、同業者に話を振る。

 彼女も質問内容にすぐ思い至ったようだ。


「ええ。家族として受け入れられるためには、以前の母親役がよく作っていたトンカツにするべきだ、って……。味に違和感は……あった?」


 母さんとして、部下として、揺れ動いた口調だったが、気にならなかった。

 そんなことは、もうどうでもよかったのだ。



「か、は……っっ!?」



 僕の手の平が、彼女の首を絞めていた。

 彼女が掴んでいた器が床に落ち、しょうゆが床に流れ出す。


 ガラスの破砕音。

 彼女の体を壁に叩きつける音がして、

 きっと父さんがすぐに様子を見にきてしまうだろう。


 そしたら……これまで隠し通してきた正体がばれてしまう。

 父さんは僕を排除するだろう――それでも、止まれなかった。


 彼女の体を軽々と持ち上げる。

 彼女の体が軽いわけじゃない、僕の力が強いのだ。


 誠也みたいに頭は良くない、

 交渉術もない、

 ガスマスク隊みたいに代わりが何人もいるわけじゃない。


 僕の取り柄はこの細腕に似合わない力だ。

 そして従順さ――だったはずだけど、もう言えないな。

 この行動は、明らかな反発だ。


 任務よりも、沸き上がる感情を優先した。


「……ここは母さんの場所だ。お前じゃない、たった一人の、母さんの……!」

「ぎぃ、あ……ァ……」


「いなくなったから、補充する、だと……? ふざけるな。実際にここにいなくても、母さんは僕らの家族だ。代わりなんていない。

 ……誰も踏み入らせない。

 僕ら家族の絆に、余所者が立ち入ってくるんじゃないぞ……!」


「――――」


 彼女の悲鳴も聞こえなくなった瞬間、

 あと一瞬でも遅ければ、僕は彼女の命を奪っていただろう。


「やめとけよ、辰馬」


 誠也の声に、僕は手を離した。

 彼女が尻餅をついて、かろうじて意識を取り戻し、過呼吸のように咳を繰り返す。


 涎が止まらず、床を濡らす。

 醜い姿を見下ろした後――僕も冷静になれた。


 それでも、行動に後悔はなかった。


「……無理だな。母さんの代わりは、誰にも務まらない。

 なによりも僕自身、ここに誰が収まろうと、認められないんだ」


 誠也は肩をすくめた。


「あとは俺がなんとかしておく。お前は休め。

 いいか? お前が作戦の要なんだからな」


 今回の失態を大目に見てくれた誠也に感謝しながら、

 夕食もまともに食べないまま、僕は自室へ戻った。



 次の日、母さんの代わりだった彼女は、荷物を全て持って消えていた。


 ……悪いことしたな……。

 今頃、彼女は別の任務で己の力を発揮していることだろう。


 次に会った時は、彼女の頼みを一つくらいは聞いてやろうと、僕は思った。



 幕間


「私は指示通りに仕事をしたのに、どうして私がはずされるの!?」


 コンビニにいくと言って彼女を連れ出し、

 実際はコンビニではなく、人払いをした後の夜の公園へ向かった。


 公園の周囲にはガスマスク隊のメンバーが外と内を監視している。

 公園の街灯の電球が、一部切れかかっているのか、点滅していた。


「辰馬様は……調子が悪いみたい。彼を一時的にはずすならまだ分かる、けど……、

 私がいなくなったら、誰がお二人と連携を取るって言うの!?」


「そんなの、代わりはいくらでもいるだろ。

 まさか薬品に耐えられたのが自分だけだとは思っていないだろ?」


 彼女はガスマスク隊から昇格した少女だ。

 犠牲が多いものの、百人に実験をすれば一人は耐えられるほどの確率であり、

 彼女が特段、珍しい存在ではない。


 成人した肉体を持つ彼女を切り捨てることに、抵抗はなかった。


「代わりが利かないのは辰馬くらいだ。お前に、あいつほどの価値はねえんだよ」

「……辰馬様に、会わせてください」


 彼女はただ、辰馬に謝りたかったのだ。

 力になりたかっただけで、彼に不快な思いをさせたいわけではなかったのだ。


 こんな結果を求めて、幾億の修羅場を乗り越えて、

 薬品による急成長した体の不可に耐えたわけではない。


「別の形で、辰馬様の力になりたい――」


 体が成長したとは言え、彼女も大枠ではガスマスク隊の一員だ。


 任務に使用するにあたって用途に異なりはあるものの、

 製品としてスキルに差はあれ、機能に差異はない。


 彼女から、本来なら持つはずのないものが内から現れ始めていることに誠也が気付いた。


「辰馬に、忠誠を誓っているのか」

「はいっ、もちろんで」


「それとも、恋心なのか?」


 彼女に自覚がないなら、まだどうとでもできた。

 使いものになるよう、手を入れることも可能だった。


 しかし、誠也はあえて彼女の中に沈む感情を引っ張り上げた。


 ぼんっ、と爆発したように、

 辰馬への想いを自覚した彼女は、ガスマスク隊らしからぬ人間のような表情を見せた。


 その反応は、彼女たちからすれば他人に伝染する前に始末しろ、という合図でもある。


 かつてガスマスク隊にいた彼女も、

 自身がその対象になっていると、のぼせた頭では早い方で、気付いた。


 だが、遅かった。


「ち、違います、私は――」


 ごふっ、と、街灯に照らされた地面に赤色が被っていく。


 ゆっくりと持ち上げられた彼女の手が、胸の真ん中から突き出た刃に触れた。


 理解するよりも早く、さらに複数の刃が彼女を貫いた。

 ナイフよりは大きい、しかしガスマスク隊の小さな体で取り回せる大きさの、中型の包丁だ。


 最後は前からだった。

 誠也が振るった小型のナイフが、彼女の首を切る。


 慈悲の欠片もなく、誠也からすれば使えなくなった道具を壊したに過ぎない。


 これは殺しではなく、処分だった。


「辰馬を惑わせるな、邪魔を、するな……ッ!」


 絶命した彼女の死体は、ガスマスク隊が袋に詰めて持ち去っていった。


「あいつが、あいつらしく仕事ができるように場を整えるのが、俺の役目なんだよ」

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