第19話 代理母

 言われた病院に向かい、受付で聞いてみたけど、そんな患者は知らないと言う。


 あれ? 誠也に言われた通りに、同じ名前の病院にきたはずだけど……。


 すると、肩が叩かれ振り向くと、そこには誠也がいた。


「こっちだ」

 親指で背後を差し、僕を誘導する。


 ついていくと、次第に一般客が少なくなり、もう職員としかすれ違わない。


「対処はしたが、念のためだ、はめておけよ」


 渡されたのはガスマスクだ。

 それから、重厚な扉を何枚も通り、体を消毒してから、母さんの病室へ向かう。


 病室、とはもう思えないな……もはや見慣れた実験室って感じだ。


 平坦な道を歩いているつもりでも、緩やかに下り、曲がっていたら、螺旋状に従って地下へ進んでいたのかもしれない。

 病院の大きさを考えたら、この場の実験場に見合う敷地が、地上には見当たらなかった。


 僕が知る組織の実験場は、蟻の巣のように地下へ広がっているから、それと似たようなものだろうか。


「誠也」

「あん?」

 ガスマスクをしているので、彼の表情は窺い知れない。


 病室までまだ歩くみたいだから、この機に聞いておこうと思った。


「母さんの最後を見たの?」


「まあな。っても、最後の言葉を聞いたわけじゃねえよ。目の届く範囲で傍にいたかそうでないかの違いしか俺とお前の間に差はねえな。母さんは意識があっても喋れなかった。腕も動かせない。指一本さえだ。時間と共に衰弱して、そのまま死んじまったんだ」


「原因は……毒、なんだろうけど……こんなに厳重にしてるならすぐに分かる。

 でも、父さんが母さんを、なんで今更……」


「さあな。殺人鬼の考えることなんか、俺には分からねえよ」



 母さんの遺体の状態は酷いものだった。

 死後、こうなったのか、死ぬ直前までこうだったのかは分からないけど……。


 流れる血が沸騰したかのように、内側から皮膚が膨らんで弾けていた。

 その弾けた皮膚がぼろぼろと崩れて、母さんが横になっているベッドに散らばっている。


 表面を軽く擦っただけで、さらに皮膚が剥がれて落ちるほど、脆い体だった。


「父さんは?」


「もう出てった。あっさりしたもんだぜ。ま、愛した女じゃなくて、愛されてた女だったからな、思い入れも少ないんだろ。結局、夫婦ごっこで、母さんは母親役だっただけだ」


 役をこなす人物が重要であって、誰かであるかに重きを置いていなかった。

 だから平然と、長年一緒に過ごした家族を殺せるのだろう。


「今度は俺たちかもしれねえな。こうやって殺されるのが。でもよお、覚悟はしてたはずだ、ちんたら暗殺に手間取ってるのに、どこかで安心してたのは、正直考えが甘かったな……こりゃあさっさと殺しておかねえと、やる前にやられる羽目になる」


「分かってるよ」


 今のところ、こうして毒を解析してはいるけど、絶対に安全な抗体は作れていない。

 対抗手段がなく、父さんの感情一つで僕たちは殺されてしまう状況は変わらない。


 守りに力を注ぐべきではないのかもしれなかった。

 ご機嫌を取って保身に走っていては、なにも変わらないのだ。


 そろそろ、攻めに転じるべきなのか……?


「だとしたら、手段を選んではいられねえよな」

「どうするつもりなんだ?」

「俺にばっかり聞くな。お前も一緒にこれから考えるんだよ」



 病院を出ると、日も暮れた寒空の下で、父さんが僕を待っていた。


「挨拶は済んだか?」

「うん。……父さんは、もういいの?」

「ああ……充分、別れの挨拶をしたからな」


 僕と誠也が政府と繋がり、組織の一員であることを当然、父さんは知らない。

 だから母さんの酷い遺体を見た、とは言えない。


 父さんは、母さんの遺体がああなっているのを知っているが、僕たちに向けては、別人の死体を母さんだと思っている前提で話している。


 互いが嘘を吐いて、騙している。

 これで家族だって言うんだから、歪んでる。


 家族という要素を乗せて組み上げた、不安定な建造物なのだ。


 母さんという一つのピースが欠けたことで、壊れやすさが上がっているはず。


 父さんの飽きがくるのも時間の問題か。

 それに、父さんがどうこうでなく、これを家族と言い続けるのも難しくなってきた。


 いつか、崩壊するだろう。

 そのいつかは、そう遠くない。

 目と鼻の先にあると言ってもいいだろう。



「あら、おかえりなさい」


 そう言ったのは、母さんと同じエプロンをつけて、

 母さんの調理器具を使い、

 母さんがよく作るメニューで夕飯の支度をしていた、見知らぬ女だった。


「…………」


 視線を回し、家の内装を確認する。

 間違いなく、僕らの家だ。


 ……なのに……、

 なんだこいつは。


 一体、誰だ?


「私が、今日から家事を担当させていただきますね――」


 と、自己紹介をする彼女の横を、彼女の言葉を無視して通り過ぎる。


 すると、背後から父さんの声がかかった。


「辰馬」

「父さんは切り替えが早いんだな。いつ、これを手配したんだ?」


「……俺に、家事はできない。母さんに頼り切りだったからな。不十分な出来で、お前と誠也に不自由な生活を送らせないためだ。すぐに慣れる。分かってくれ」


「分かったよ」

 即答できる余裕はあった。


 これは父さんを中心とした生活だ。

 父さんが満足しなければ意味がない。


 母さんの代わりにやってきた女と父さんが話している間に、自室へ戻る。


 誠也は知っていたのか? 

 事前に教えてくれなかったのは、なんでなんだ!?


 こんな時に限って、誠也は席をはずしている。

 組織からの命令があったのだろうけど、表向きは母さんの身の回りの荷物の整理だ。

 父さんはそれで、誠也の不審な動きに疑問を持ってはいなかった。


 そういう手間も父さんがするべきだとは思うけど、

 あの女との対面があるなら優先させるのも仕方ないか……。


 ――ん? 

 仕方ない……か?


 そこは母さんを優先するべきじゃないのか?


 誠也との共有部屋。

 僕の私物が置かれた一角。


 必要なものだけが置いてある殺風景な机の上にある、

 しかし、一つだけ必要のないものが、ふと視界に入った。


 家族写真だ。

 僕と、誠也と父さんと母さん。


 小学生の頃にピクニックにいった時の写真だ。


 必要ないとは言ったけど父さんと母さんに向けて、

 子供らしく振る舞う必要があったため、飾っていた。


 子供らしい笑顔を、僕も誠也もレンズに向けている。

 だけど当時は母さんのことは道具としか思っていなかった。


 任務を達成させるためだけの関係だ、と……なのに、どうしてだ? 

 僕はいつから、母さんがいなくなってこうも寂しいと感じる、一般人になっていたんだよ!?


「……? 父さん?」


 部屋の扉がノックされた。


 父さんかと思ったのは、僕の部屋に訪れる機会がなかったために、ノックの仕方で判別できなかったためだ。


 違うなら、あの女しかいない。

 気に喰わないのは母さんとまったく同じノックの仕方をしたことだ。


 ただの真似だったら、なんとも思わなかっただろう。

 だが、僕の感覚を騙すほど、同一だったのが逆撫でされる。


 ……テクニックを仕込んだわけじゃない。

 遺伝子レベルでなにかしたな?


「辰馬くん、ちょっといい?」


 良いともダメとも言う前に、そいつは僕の部屋へずかずかと踏み込んでくる。

 扉が閉められ、僕に近づくにつれて女の笑顔が消えていく。


 女の容姿は、

 夜の町でサラリーマンを引っかけていそうな、煌びやかで下品な化粧が施されている。


 なんともお似合いだ。

 だから母さんとは似ても似つかない。


「……あなたは私の上司だけど、言わせてもらう……どういうつもりよ」

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