第17話 モール内、制圧

「誰!? なんなの!? もしかして、そっちも能力者なの!?」


『そっち、「も」? なるほど、能力者か。忠告の真意がよく分かった』


 ごとん、と。

 ガスマスクの足下に落とされた小さなボールが破裂して、

 灰色の煙があたしたちを飲み込んだ。


 視界が覆われて、目の前の子がどこにいったのか分からない。


 足音も聞こえないし! 

 まさか目の前にいてくれるはずもない。


『うちの司令塔にも困ったものだ。……そういう事情なら先に言え』


 声の方向に意識が向く。

 でも、さっき眠ってるフリをしている時に聞こえてきた、

 この子と無線の相手の会話を思い出す。


『お前らが束になって――』

 この言葉を今、急に思い出したのは、なにかをあたしに伝えようとしてくれてる……?


『お前ら』……ってことは、複数人。

 あたしの睡魔を貼り付けて一人を眠らせたけど、

 最初から二人しかいないって証拠はどこにもない。


 今、あえて独り言を呟いて煙の中のあたしの意識を片方に引き寄せて、隠れていたもう一人が、逆側から襲いかかってきたとしたら――あたしは防げないんだ!



『――いない?』


 上から聞こえてくる戸惑いの声に、やっぱり予想が当たっていたんだって分かった。


 地面に筒状の切り目を入れて、下の階までするりと落ちて抜けた。

 記憶とか縁とか人からの評価とか、そういう抽象的なものを切り取ることが多いけど、普通の物体だって切り取れる。


 どこにも貼り付けなければ、しばらくしたら自然と元の位置に戻っていく。

 そこは記憶を切り取った場合と同じだ。


「なによ、なんなの……!? あたしを狙ってたわけじゃないみたいだけど……じゃあターゲットって……雛緒ちゃんのこと……?」


 あ。

 しまった、上の階に、忘れてきちゃった……!


「雛緒ちゃんを……ッ、早く、助けを呼ばなくちゃ!」


 あたしが能力者だからかな、最初から警察に電話する発想はなかった。

 唯一、信頼できる番号に電話をかける。


 あっちも探していたみたいで、コール音が鳴り始めたらすぐに出た。


「……っ、助けて、上岡ぁ!!」



(坂上辰馬)


「あ……」


 糸上の家からの帰り道、珍しい人物に出会った。


「……辰馬くん、か……? 

 ああ、やっぱりそうだ、辰馬くんに間違いない!」


 昔から苦労人ではあったけど、栄養失調気味に頬がこけるほどではなかった。

 無精髭を生やし、昔よりも度が強い丸メガネに変わっている。


 僕と誠也が今の家族に引き取られるまで、

 小さな頃から面倒を見てくれた育児院の院長先生だ。


 朝起きてすぐに外に出てきたような、整えていない容姿なのは変わりない。


 昔は清潔感を意識した白衣を着ていたけど、

 今はワイシャツの上に、だぼっとしたカーディガンを羽織っている。


 白いワイシャツが昔の姿を思い出せてくれて、懐かしい。


 それにしても、なんでこんな場所に先生が……? 

 育児院は都外であり他県になる。

 うんと山奥だ。


 僕と誠也はそこから上京したようなものだ。

 懐かしく久しぶりなのも、そう軽々と戻れる場所ではないからだ。


 時間をかければ戻れるが、僕らにとっての実家は、今いる坂上家だ。

 しかし僕個人的な意見としては、育児院が実家とも言える。

 里帰りしたい気持ちもあるけど、今の家族のことを考えると言い出しにくい。


「生活の方はどうだ? もう慣れたのかな」

「先生、院を出てもう九年だよ、慣れてるに決まってる」


 僕にとっては九年という長い月日が経っていても、

 先生にとってはまだ短い期間の感覚なのかもしれない。


「もう二人がいた頃にいた子供たちは、みんな里親が見つかって出ていってしまったよ。あ、でも安心してほしい。新しい子も入っているからね、育児院がなくなったりはしていないんだ」


「それは、良かった、と言えるのかな……天涯孤独の子供はいない方がいいんだけどね」


 様々な理由で親を失い、生活力を失った子供が引き取られる施設だ。

 そんなの当然、院が活躍しないに越したことはないのだ。


 ヒーローが出動しない方が、平和な世界である証明のように。


「そう言えば、どうして先生はこんなところに?」


 すると、先生の服のポケットに入っているスマホが振動していた。


「先生?」


 先生は気付いていながら無視していた。


「耳がいいね。……いいんだよ、昔の知り合いなんだ。

 僕がここにいるのをどこかで嗅ぎ付けたのか、連絡しているみたいだから」


 触れられたくない話みたいだ。

 僕も、先生には知られたくない事情がある。


「僕の実家がこの近くにあるんだ。ちょっと身辺整理を、と思ってさ。

 すぐに帰るよ。辰馬くんたちの時にはいなかったけど、今、育児院には僕に代わって子供たちの面倒を見てくれる人がいるんだ」


 昔は、自分一人で全部をやろうとしていたあの先生が……人を雇うなんて。

 あれから九年だ。

 僕の体が大きくなるように、先生の心の形も変わっていく。


「先生。誠也には会っていく?」


「いや……やめておくよ。本当は君たちが成人するまで、会う気はなかったんだ。

 だからこうして辰馬くんとばったり会ったのは事故みたいなものなんだよ……それに」


 先生が周囲を見回した。


「ばったりと知り合いと出会いたくないから、僕はそろそろいくよ」


 先生が挨拶もそこそこに足早に去っていく。

 僕も、引き止めたりしなかった。


「先生、また、成人したら!」

 と、約束はできないけど、そう伝えて、先生の背中を見送る。


 先生も変わった。

 昔はもっと頼りなさそうだったのに……、


 今も、第一印象を言えば、頼りなさそうな男性、がまず一番にくると思う。

 けど、旧知の僕からすれば、比べてしまえば一目瞭然の違いがある。


 分かりにくいけど、僕の目はきちんとそれが見えていた。


「先生、筋肉ついてたなあ……」



 少しのタイミングのずれだった。

 十字路があり、先生が下から右へ曲がった後、数秒もしないで父さんが現れた。


 左側から上へ曲がっていった。

 執事服のまま、全力疾走で、僕にも気付いていない。


 追うつもりはなかった。

 僕はこのまま、帰って残りの休日を有意義に使うつもりだ。



(糸上春眞)


 ガスマスクをつけた小柄な相手は、叩けば出てくる埃のようにたくさんいた。

 レインコートのようなものを羽織り、ガスマスクで顔を覆う。


 髪型も二つで結んで垂らしたツインテールだから、

 見た目はそっくりさんだけど、思えばいくらでも似せられる。


 同じ人間がいてまるでコピーみたいだと思ったけど、単純に、背丈が近く、髪型を揃えた違う顔の人間が十人以上いるだけだ。


 勝手に能力者だって思い込んでいた。

 相手はただの人間だ。


 すぐに発想が飛躍しちゃうのは、あたし自身が能力者だからかもしれない。


「……あれ?」


 静かになった……? 

 店内音楽は流れたままなので、しーんとした静けさはないけど、さっきまで飛び交っていた無線の会話や残る足音、あと、これが一番心拍数を上げてくるんだけど、煙幕の中であたしを追ってくる圧迫感が消えていた。


 肩に乗っていた重荷がふっと消えて、

 軽いことに慣れずに、おっとっと、と逆に動きづらい感じ。


 ……誘われてる……?


 緊張の糸が切れて、あたしが隠れてる柱から身を出した時に狙い撃ちされるとか……。


 出るに出られない中、次第に煙幕が晴れていく。

 いくら時間が経っても晴れなかった煙なのに……。


 すると、見えてくる景色があった。

 休日のショッピングモールの喧騒に戻ってる――、

 なんて、そんなはずがないのは分かっていた。


 みんなは変わらず倒れたまんまだ。


 ただ、倒れている人たちとは距離を取って、伏しているガスマスクの姿もあった。

 ……その中の一人に、おそるおそる近づいてみる。

 道端に落ちてる仰向けになったセミをつつくみたいに手を伸ばす。


 触ってみて気付いた。

 指先が触れた瞬間に、分からされた。


 当たり前だけどセミとは違う。

 体温がなくて、とっても硬くて、そして――、


 鼻がひん曲がるような刺激臭がした。


「う……っ」


 ……死んでるんだ。


 みんな。

 みんな、みんな、みんな。


 ガスマスクの子だけが、皮膚が沸騰した液体のようにぼこぼこ膨らんで、破裂してた。


 レインコートの袖の下は痛々しくて、見てられなかった。


 一人がそうならみんなそうだろうと思って確認はしてないけど……。

 ガスマスクの下から滴る液体が、刺激臭の正体だった。


 仮面をつけたまま、吐いちゃったんだろう。

 なんで……。

 この子たちだけ区別されて攻撃されてるんだろう……?


 狙撃されるかなって思って顔を出さなかったけど、吹き抜けから下を覗いてみる。

 今のショッピングモール内では少数派の、立って動いている人がいた。


「上岡だ……っ!」


 助けにきてくれたんだ……!

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