第16話 疑似家族

 雛緒ちゃんの口が、震えながらゆっくり開いた。

 大人の動揺を見て、あたしもはっとして冷静になれた。


「――やっぱりいい。今のはつい言っちゃっただけだから、うん。雛緒ちゃんにとっても思い出したくないことなのに、それはあたしが一番よく分かってる気持ちなのに、無理やり言わせようとしちゃって、ごめんなさい」


「……知りたくないの?」


「そういうわけじゃない。知りたいよ。お母さんがどういう最期だったのか。誰かを守ろうとしたのかな、誰かを救おうとしたのかな、やりたかったことができたのかな、それとも、できなかったのかな……って。お母さんのことなら、なんでも知りたいよ?」


「だったら……!」


 雛緒ちゃんは途中で口を閉じた。


「……わたしじゃ、ないんだよね」


「あたしはお母さんの話を、お父さんから聞きたいんだ」


 だけど、話をするにはまず会わなくちゃいけない。

 お父さんがあたしと会ってくれるためには、どうすればいいんだろう……?


「はるまちゃん、お父さんとどれくらい話してないの?」

「んー、小学校の入学式にはいてくれたけど、中学の入学式にはいなかったかも……」


 保護者面談もお手伝いさんを代理にしていたため、

 お父さんとはもう三年間も会っていない。


 ……もっとかな。

 小学三年生頃から、お父さんは家に帰らなくなった。

 その頃は、クリスマスや誕生日にはいてくれた記憶が薄らとあるけど、高学年になったらまったく、そういう機会はなくなっていった。


 サンタさんだけは今でも毎年きてるけど。


 だから、六年……かな。

 お父さんとは、話してないどころか会ってもいない。


 お父さんがちゃんとあたしの顔を見てあたしだって分かってくれるのか、心配だった。


「……………………ここまで酷いとは思わなかった」


 雛緒ちゃんがスマホを取り出してどこかに連絡を取り始めた。


「えっ、もしかしてお父さん!?」


「番号が変わってなかったら、呼び出す。自分の可愛い子供を、六年間も仕送りだけで放置するなんて、あり得ないよ!? 

 日和先輩のおかげで変われたのに……、

 これじゃあ昔の統先輩となんにも変わってない!」


 でも、呼び出し音が途切れてしまう。


「番号は、変わってない……? はるまちゃんは分かる?」

「お父さんの電話番号、知らない……」


 スマホを貰ったのも中学入学と同時で、二年前だ。


 お手伝いさんから貰って、

 番号もその時はお手伝いさんたちと上岡の連絡先しか入っていなかった。


 それから友達の連絡先が増えたりしたけど、

 お父さんの連絡先は、結局、今でも手に入れることはできていない。


 番号がもし分かっても、繋がらなければ意味がない。


 雛緒ちゃんみたいに、着信しても取ってくれなきゃ、お父さんとは話せないから。


「いいよ、雛緒ちゃん。だいじょうぶ。お父さんも、きっといつか会いにきて」


「がまんなんてしなくていいの。もっと、わがままを言っていいんだから! 

 はるまちゃんは先輩に……お父さんに会いたいの、会いたくないの!? どっち!?」


「……会いたいけど、でも、お父さんは今、忙しいと思うし……」

「会いたいか、会いたくないかで聞いてるのっ!」


 雛緒ちゃんも苛立って、ストローをずーずー言わせている。

 空になったドリンクの容器を、テーブルに叩きつけるように置いた。


「会いたいって言うなら、わたしが絶対に会わせる! 約束するっ!」


 ……どうして、そこまで親身になってくれるのだろう?


 だって、あたしに構ってもお金は発生しない。

 雛緒ちゃんはお手伝いさんじゃない。


 なのに……。


「先輩の子供なら、わたしの後輩だもの。困っていたら助ける。がまんして潰れてしまいそうになっているなら、手を差し伸べて抱きしめてあげる。

 わたしはね、そんな風に、はるまちゃんのお母さんに支えてもらったんだから」


 雛緒ちゃんと目が合った。

 奥に見えたのは、雛緒ちゃんが見ていた、お母さんだった。



『子供がいっちょ前に気を遣って遠慮なんかしてんじゃねー。子供は子供らしく、大人の事情なんか放ったらかしで好き勝手言ってりゃいいんだよ。

 ――言ってみろ、心の底から声を出してみろ、雛緒をうんと困らせてやれ』


 お母さんはこんな風に、イタズラを企む子供のように、笑っていたんだった。



 背中を押されて、結ばれていた唇が緩み、気持ちが漏れていた。


「…………会いたいよっ」


「うん。そうだよね、だって、お父さんだもん。会いたいに決まってる。

 会わなくていいなんて言える家族なんて、いないんだから」


「――お父さんに、会いたいよぉっっ!!」


「分かってる。この雛緒ちゃんに任せなさいっ」



 ……でも、お父さんと連絡を取るのは、今日中は難しいみたいだ。

 雛緒ちゃんが知り合いを辿って探してみると言っていた。

 お父さんが居場所を隠そうとしていなければ、きっとすぐに見つかると思う。


「せっかくだから、一緒に見て回ろっか」


 雛緒ちゃんに手を取られて、ショッピングモール内を闊歩する。

 目につく看板が気になったら、すぐにそのお店に入った。


「はるまちゃん、クレープ食べようよ!」

「ついさっきドーナツとアイス食べたのに、だいじょうぶ?」


 遠くの方にシュークリームの看板が見えていた。

 いくら食べても満腹にならない雛緒ちゃんなら、絶対に買って食べるはず。


 スイーツは別腹と言うけど、お昼ご飯を食べてないから……あ、これがお昼ご飯?


 雛緒ちゃんって、お母さんなんだよね?


「もちろん、家族には栄養を考えてご飯を作るよ? 

 でもね、好きなものを好きなだけ食べる方がストレスもないから、健康に良いと思うの」


「あ、それは分かるかも」


 お手伝いさんも上岡も、嫌いなものも食べないと、って、しつこく言ってくる。

 ガミガミうるさくて、健康には正しいのかもしれないけど、ストレスは溜まる一方だ。


 こういう息抜きも絶対に必要なんだと思う!


 スイーツを食べ歩いた後は、服屋さんに入って、雛緒ちゃんがあたしに似合う服を選んでくれて、試着を繰り返した。

 お返しに、あたしも雛緒ちゃんに似合いそうな服を選んで……、

 見せ合いっこをしていると、あっという間に時間が過ぎていた。


「はるまちゃんって、わたしよりも…………ううん、なんでもない」

「む、胸のことは言わないでよ……アンバランスで気にしてるのに……!」


 最後にお互い、墓穴を掘った感じになって、気まずい空気が流れる。

 だけどその空気も、お店を出て感じた、ただならぬ雰囲気にそれどころじゃなくなった。


 モール内は音楽が流れていて決して静かではないけど、でも、静かだった。

 喧騒がなくて、平日じゃないのに、人の気配がまったくなかった。


 吹き抜けから下の階を覗くと、たくさんの人が倒れていた。

 異常を知って確認にきていた警備員の人も一緒に倒れている。

 ……見える範囲を見渡しても、動くものはなかった。


 もしかして、動いているのは、あたしたちだけ?

 すると、どさっ、と後ろで音が聞こえて振り向くと、雛緒ちゃんが倒れていた。


 駆け寄ろうとしたら、急に足の力がなくなって、両手が地面についてしまう。


 その両手の力も一気になくなって、冷たい床にほっぺたがついた。


 ……なん、で。すっごく、眠たい……。


 そして、あたしは意識を失った――



「ショッピングモール内は睡眠弾で制圧完了した。

 これで邪魔ものは入らない。ターゲットも確認しているぞ……眠っているが、どうする?」


『理想は別の形だ。そういう依頼だったんだが……どっちか起こせねえか? 意識ある中で追い詰めたら、助けを呼ぶはずなんだがな……ったく、難しいのは重々承知してるが、ターゲットを眠らせるなよ』


「分かった。起こしてみる」

『待て、ターゲットを起こすのか? ……意外と大切な人を守る時の意地の張り方は男勝りなんだよな。素直にあいつに助けを呼ぶか分からねえ。もう片方を起こせばいい』


「了解した。追い詰め方に指示はあるか?」

『ねえよ。一つだけ忠告するとすれば……』


「?」

『お前らが束になってやっと追い詰められるくらいの力量差かもな』



 ――フリをやめて、自分の体から切り取った睡眠薬を、近くにいたガスマスクを顔にはめた小さな体に貼り付けた。

 ガスマスクで防いだつもりみたいだけど、関係ない。

 あたしの能力は、そういう障壁を通過して体内へ浸透していくから。


 ガスマスクの一人が睡魔に負けて倒れた。


 同じ姿の、まるでコピーしたみたいなガスマスクが、隣にもう一人いる。

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