第14話 不意討たれる父と子
糸上家は二人家族で、父親は滅多に帰ってこないらしい。
じゃあ、糸上はほとんどこの広い家に一人きり……?
家政婦や執事はいるけど、一日中いるわけではない。
父さんがそうであるように、夕方には勤務を終えて帰宅している。
能力者だという正体がばれてもいいから、誰かに見てほしかった……、
そんな彼女の願いは、一人でいることが多い環境ゆえの欲望だったのなら、理解できる。
……僕らとは、真逆なんだろう。
「坂上くんは座ってて。すぐに用意するから」
「クッキーってすぐにできるものなの?」
生地を作って焼いて……とイメージすると、時間は結構かかる気がするが。
調理器具を用意するのもおぼつかない糸上の手際だと、速度に期待はできなかった。
「まあ、僕も詳しいわけじゃないし。素人が手伝っても効率が落ちるだけだよな」
素直に待つことにした。
「待つのには慣れてるから、僕をちょくちょく気にしないで料理に集中しなよ」
エプロンの紐を背中できゅっと結び、
「待っててね!」と糸上がキッチンに引っ込む。
設備が良い家だから防音対策もされてある。
料理の物音も、とびきり大きな音でなければ完全にシャットアウトされていた。
それは、隣り合って喋る雑談など聞こえもしない。
逆もまた。
僕らの会話も、糸上には聞かれないだろう。
対面するように、ソファに父さんが座った。
しかし、僕が話しているのは、上岡、という執事であり、向こうもそのつもりだった。
「お礼、ということは、春眞様を助けてくれた、のかね?」
「大したことをしたつもりはないけど……まあ、糸上は感謝してるみたい」
その後、糸上について、会話が弾んだ……のだろうか?
少なくとも、家で話すより、父さんと交わした言葉は多い気がする。
上岡という役になりきっているからなのか、家よりも口数が多かった。
すると、数時間が経って、クッキーが焼き上がったようだ。
糸上がオーブンに乗せたクッキーを持ってくる。
「おぉ……」
万遍なく、黒焦げだった。
もはや炭だ。
ビター過ぎるチョコクッキーに、見えなくもないけど……、
十中八九、体に悪い食べ物だろう。
「…………っ」
焼き上がってから数分、持ってくるまでにタイムラグがあった。
盛り付けに手間取っているのかと思っていたが、持ってきたのはオーブンに入れたままの状態で、なんの装飾もなく、盛り付けもしていない。
じゃあなんで数分の差があったのかと言えば、糸上自身が落ち着くためだった。
「失敗しちゃったっ」
と気にしてなさそうに言うものの、泣き腫らした目がはっきりと分かった。
失敗して、ひとしきり悲しんで、心の整理をつけてから、持ってきたのだろう。
「……食べられないよね。ごめんね、坂上くん。また、別の日に……でも、もしも坂上くんが良いなら、待ってくれるなら、もう一回だけ挑戦させてほしいの……!」
「もう一回、作る必要なんてない」
「え……?」
無理やり押し込めた涙腺の栓が、スポッと抜けたように表情が崩れていく。
糸上は誤解している。
僕は別に、これをいらないと言ったわけじゃない。
「僕が一度でも、こんなクッキーが食えるかって、文句を言ったか?」
糸上が勝手に判断し、勝手に食べられないと決めつけ、これを失敗作としただけだ。
少なくとも僕は、このクッキーが失敗作だとは、思わなかった。
「ダメだよ坂上くん! 体に悪いから……ッ!」
「大丈夫。僕はそういうの、丈夫にできてるから」
ある程度なら。
多分、食中毒にはならないはずだ。
ぱくっとクッキーを口に放り込む。
咀嚼して、飲み込む。
……見た目から想像していた味とは違う。
なんだ、全然平気だ。
ちゃんとクッキーしてんじゃん。
「好きだぞ」
「はっ……う、それは、……クッキー、の、ことだよね……?」
「うん。そのつもりで言ったけど」
見た目はあれだけど味は及第点以上だと思う。
だからオーブンに乗っていたクッキーのほとんどを既に食べていたみたいだ。
残りもつまんで口に放り込んでいく。
気付けば、全部を平らげていた。
「……本当にだいじょうぶ? 食中毒、とか……」
「それはないって。大丈夫だからさ、糸上。ありがとう」
「う、ううん。こっちこそ。食べてくれて、ありがとう……っ」
良かった、糸上も満足そうだ。
――さて、ひとまずこれで互いの貸し借りはチャラになったはずだ。
糸上に期待する結果が望めない以上、有限の時間内で絡む時間を多く取るのは損だ。
だから、手早く切り上げることにした。
「糸上、用事が済んだんだ、僕はそろそろ帰るよ」
「うん……きてくれてありがと……坂上くん」
もっと強く引き止められるかと思ったが、糸上はあっさりしたものだった。
ぼーっとしているようにも見えるが、受け答えははっきりしてる。
「ばいばーい……」
「あ、うん。じゃあね」
手を振り返す。
ほしいわけじゃないけど見送りはなし、か。
父さんは……、さっきまでソファにいたのだけど、気付けばいなくなっていた。
まだ勤務時間内だし、別の場所にいるのだろう。
わざわざ探して、帰ることを伝える仲でもない(父さんとして、ではなく上岡として接しているため、初対面同士だ、挨拶もいらないだろう)。
途中、同じ時間内で働いている家政婦にはすれ違いざまに挨拶をし、玄関から鉄門を出て帰路につく。
しばらく歩いていると、背後から足音が聞こえてきた。
僕が足を止めると、彼も同時に止める。
「忘れ物、ありましたか?」
「いいや、用件はそうじゃない」
僕を追うために走ったようだけど、息一つ乱れていなかった。
「さっき話した通り、春眞様は、小さな頃からずっと見てきた、私の娘みたいなものだ。もう一つの、家族みたいなものだな」
「父親が滅多に帰らない環境で、糸上が家政婦や執事に信頼を寄せるのは、当然ですね」
「だから、執事として、そしてずっと見守ってきた、もう一人の父親として、春眞様の友人である辰馬に、頼みたい」
僕は一度も自分の名を名乗っていない。
互いに分かっていながら、初対面の設定で喋ってはいたけど、当たり前の通過儀礼を忘れてしまったのは、必然、知っているからだ。
仕方ない見落としなのかもしれない。
「あの子と、友人でいてあげてほしい。初めてなんだ。小さい時から執事として近くでお世話をさせてもらっている……が、家に招いたのは、辰馬が初めてなんだ――それに」
「それに?」
「いいや……。少々厄介な性格をしているが、素直で優しい子だ。分かってくれ」
「分かってる、そんなこと」
これでも僕は、糸上春眞の裏の部分を見てきたのだ。
今更、友達をやめるなんて判断はしない。
友達は、気を遣い始めたら終わりだって、持論がある。
互いに気兼ねなく接することができて、自然と離れても、自然とまたくっついているような、そういうのが友達なんじゃないかって。
親しき仲にも礼儀ありとも言う。
だが、関係そのものが鎖となってしまうのは違う。
もしもそういう関係になってしまえば、遠慮なく断ち切るだろう。
だけど、互いに必要とし合えば、意識せずとも繋がっているはずなのだ。
だから、父さんのそれは、意味がない。
言われようとも切れる時は切れるし、繋がる時は繋がる。
あーだこーだと親に言われるのは子供の役目だと思うけど、
こればっかりはこう返すのが、たぶん、正しい。
「大きなお世話だよ」
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