第13話 糸上の豪邸
ふと、話し声が聞こえて目を覚ました土曜日の朝。
目を開けて、聞こえる話し声に自然と耳が傾けられた。
玄関に父さんと母さんがいる。
……父さんが仕事にいく時間なのか。
だとすると、だいぶ早く目を覚ましてしまったようだ。
糸上の家に遊びにいく約束をしているけど、約束の時間はまだ遠い。
「先輩、夕飯に食べたいものでもありますか?」
母さんと父さんは、同じ高校、大学の先輩後輩の関係性だったようで、その時の呼び方が今も続いている。
僕たちの前でも構わず呼ぶのだから、一番しっくりくるのだろう。
「なんでもいい」
「それが一番困るんですけどぉ……」
父さんの勤め先は分からない。
スーツを着ているので、会社員だとは思うけど……。
組織の言いつけを破って独自に調べてみても、把握できなかった、と誠也が悔しそうに言っていたのが印象的だった。
母さんももちろん知らないみたいだ。
忘れたお弁当を届けにいく機会があっても、政府の所員が代わりに届けてくれるらしい。
徹底された情報規制は、父さんの希望なのだと。
僕らのわがままで聞いても、答えてはくれなさそうだ。
「そうか……なら、辰馬の好物でも出してあげればいい」
父さんが長考の末、そう答えを出した。
「……あの子たちのことばっかり考えて。
たまには自分の好みくらい、素直に打ち明けてもいいんですよー?」
「俺も好きだぞ」
「…………へ? え、えと、……夕飯の、話、ですよね……?」
「それ以外になにがある? 辰馬と誠也が好きなものは、俺も好きだ」
母さんの不機嫌さが、手に取るように分かった。
「……そうですか。これっ! お弁当ですっっ!」
「ああ、いつも悪いな」
「そこは、ありがとう、と言ってください」
「? そうか、ありがとう」
僕でも分かった。
ただ言っただけの、感情が乗らない言葉だった。
「――どうぞ、いってらっしゃいッ!!」
ばたんッ、と強めに玄関の扉が閉められた。
遠ざかる父さんの足音が、振り返る素振りなく、進んでいく。
「な、なんだよ今の音っ!?」
隣のベッドで誠也が目を覚ました。
「おい、辰馬っ!」
「母さんがご機嫌斜めってだけ。今、下にいくのは賢くないと思うぞ。
ちょっと時間を置けば、母さんのほとぼりも冷めるだろうし……」
「じゃあよ、階段を上がってくるこの足音は、なんだ?」
「あ……」
母さんは八つ当たりをしないけど、ストレス発散のために家事を必要以上にする癖がある。
潔癖症ではなくて、掃除魔なのだった。
まだ朝早い時間。
二度寝もできる時間帯に、母さんが僕らの部屋の扉を開けた。
「二人とも起きて! 布団、洗って干しちゃうから!!」
当然、僕らの不満の声など、母さんには届いていなかった。
約束の時間を向かえ、秒針ぴったりに公園に赴くと、糸上がいた。
時計台の下で執拗に髪の毛をいじりながら、僕の接近に気づきもしない。
服装は白いワンピースに、麦わら帽子を手に持っている。
……もう十月も半ばだと言うのに、まるで春先のようなコーディネートだ。
僕のイメージなので、別にオールシーズン使えるファッションなのかもしれないけど……。
ただ、女子の制服にも言えることだが、寒くないのか? というのが気がかりだ。
僕のパーカーを譲ると、逆に僕が寒くなるので、あまりしたくはない。
「あっ……」
糸上が僕に気が付いて、腕も振らずに小走りで近づいてくる。
「遅くないぞ、ぴったりだ」
「……? ううん、遅刻したって別にいいよ?」
なんと。
時間ぴったりにきたつもりだけど、声をかける(気付かれる)まで数秒のラグがあったので、細かいけど遅刻である。
咎められるだろうと思って先回りしたが、糸上は気にしないらしい。
女神だ。
じゃあもっと遅くても良かったか……と、甘えたらダメか。
そんな糸上は、二十分も前から待っていたらしい。
今日は冷える。
温かい飲み物を買って飲んでいたのだろう。
しかし既に中身はなくなり缶も冷えてしまっている。
ゆっくり飲んでも十五分……大体二十分くらいだろうと予測したら当たったわけだ。
「もっとゆっくりくればいいのに。あと、ちゃんと厚着しろ」
「だいじょうぶっ。あたし、今すっごく熱いから」
……確かに、糸上の手を取ってみたら、もの凄い熱を持っていた。
今もさらに温度が上がっていっているのを感じる。
寒くないならいいんだけど……、
今度はこの熱があって、大丈夫なのか?
「あ、ああ、て、手が、あた、しの、て、手、手を、とっ――」
ぐるぐるきゅー、と奇妙な声を発して背中から倒れそうになる糸上を支える。
頭の中の回路がショートしたように、煙が出ているのがなんとなく分かった。
「……仕方ないな」
したくないとは言ったものの、風邪気味の女の子を薄着で外に放置するのは忍びない。
ベンチに座らせ、着ていたパーカーを脱いで、糸上に被せる。
「あー、寒っ」
暑さと寒さには、めっぽう弱い僕だった。
真っ赤だった糸上の顔は、目を覚まして真っ青になっていた。
「お礼をするつもりだったのに、また助けられちゃった……!」
メガネを無くした人みたいに右往左往する糸上に声をかけた僕の声は震えている。
寒い……もうそれを通り越して、痒い。
「と、とりあえず、パーカーを返してくれ……」
衣一枚だが、ないよりマシだ。
すると、糸上が一人分の位置を移動して密着してくる。
人肌で温める方法も聞きかじった程度だけど、ある。
ただあれは、互いに裸になった方が効果があるのでは?
いや、服が濡れていないのなら、服の上から温めた方がいいのか。
「ぬ、脱いだ方がいいのかなあ……」
と、ワンピースの裾をたくし上げた。
「脱ぐなバカ。こんなとこで脱いだら逮捕されるだろ」
「で、でも、坂上くん、すっごい寒そうにしてるし……」
なぜかすぐさま高熱を発した糸上と密着していれば、すぐに温まるだろう。
方法としてはありだ。
ただ、僕らの目的はなんだった?
待ち合わせをした、その先があったはずだろう。
「……あ」
「さっさと家に案内してくれれば、寒さに苦しむこともないってことだ」
「糸上って、お嬢様、だったりするのか?」
案内された豪邸を前にして、呟きがそのまま質問に変わってしまっていた。
鉄門が開き、中に入ると庭が広がっている。
海外にありそうな、花のアーチの下を通って進んだ。
「お嬢様じゃないよ。お父さんがお金持ちってだけ」
掘り下げてみようしたが、僕の息継ぎを察してか、糸上が話題を変えた。
……掘り下げられたくない家庭事情か。
僕も似たようなものなので、気持ちを汲む。
門の外の表札を見てからだいぶ歩いた気がするが……やっと玄関だ。
糸上は鍵を持ち歩いていないようで、そのままドアノブに手をかける。
これだけ広いと掃除も大変だ。
そのための家政婦がいるのだろう。
だから、誰かが家にいるため、鍵も必要ないと言えた。
「執事とかいそうだ」
「いるよ? あ、いたいた」
扉の先にいたのは、僕たちを出迎える、執事服を着た男性だ。
その人と目が合う。
……互いに、数秒、時が止まって――、
「……っ、かっ」
右手で太ももを強くつねり、痛みで驚きを誤魔化した。
動揺するな……!
ここは、気付かなかったことにして、流すべきだ。
「この人があたしの執事の上岡。
なんでも言いつけちゃっていいからね。
上岡は優秀だから、なんでもしてくれるよ」
「ほお。この男の子が、春眞様が昨日、延々とどんな服装で迎えようか悩んでいた、意中のお相手ですか?」
「なっ、延々となんて悩んでないでしょお!
季節の変わり目だからちょっと服装に悩んでいただけ!」
「散らばった服を綺麗に畳んで片付けたのは私ですよ。昨日は大変でした、どんな服がいいか私に何度も何度も聞いてきたではありませんか」
「か、上岡ぁ! ひとまず黙って! っていうか、お客さんにお茶でも出しなさいよ!」
「お茶と一緒にお菓子も……あ、春眞様が手作りのクッキーを作るのでしたか?」
「なんで言う!? どうして次々とばらしていくの!?」
糸上がこうも相手にペースを握られているのは珍しい。
クラスでは彼女が中心となって事態が動いているのだ。
周りが取り乱しても、糸上はマイペースに場を乱している。
そんな糸上を、こうも手の平で転がすなんて……、
糸上が言った優秀という評価は間違っていないらしい。
「へー、糸上はクッキーが作れるのか?」
「え。……う、うん。…………食べる?」
自信のなさが顕著だ。
強く勧めたいわけじゃなさそうだけど、あえて頼んでみよう。
「あるなら。じゃあそれがお礼ってことでいいんじゃないか?」
元々、僕を家に招いて、なにをしてお礼とするのかは分からなかったが、手作りクッキーをご馳走してくれる、なら、お礼として及第点ではないだろうか。
ジュース一本を奢って、ほど軽くはない。
お礼をする側の糸上の気持ちも、ある程度は消化できると思った。
それでもまだお礼をしたいと言うなら、それこそジュースを奢ってくれるだけで充分だ。
あまり貰い過ぎると、今度は僕が加えていかなければならない。
僕にも良心はあるのだ。
それに、糸上の危機を助けたとは言え、無償じゃあない。
糸上には言えないけど、それなりの対価は望んでいたのだが……、
しかし、糸上に望んでいたことも、今になってみれば難しそうに思えてきた。
本当に、予定外だった。
まさか、父さんの職場が、ここだったとは――――。
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