第9話 KILL AND CAT

「さり気なく聞いてみたけど、やっぱり知らねえってさ」


 昼休み、山本が成果を教えてくれた。

 まあ、向こうが、

「そうだよ」なんて言うわけもないから、答えを鵜呑みにはしないけどさ。


「そっか」

「どうすんだ? あの喋る猫」


 カバンに放り込んであるけど、内側からチャックを開けるのは容易い。

 僕が席をはずしている間に逃げるのは簡単だ。

 案の定、カバンの中を見てみたら姿がない。


「あれって、いま話題の喋る動物だったんだな」

「? なにそれ」


 山本は部活に力を入れているので、そう詳しくはないらしい。


 にもかかわらず、

 彼のようなスポーツマンの耳にも入るくらい話題になっている動画があった。


 それが喋る動物だった。

 ぶいちゅーばーが出てきたように、動物に声をあて始めたのかと少し前の僕なら思っただろうけど、実際に喋る猫に会っている……、

 山本に見せてもらった喋る動物たちがみな、本当に喋っているようにしか見えなかった。


 そして、動画には共通性がある。

 みな、糸上について言及している。


 偶然か? 

 誰かが仕込んで喋らせている?


 もしくは。

 ……動物たちが鳴らしている警鐘が、事実という可能性だ。


 バラバラ殺人。

 糸上の名が出ているけど、それがクラスメイトの糸上春眞であるとは限らない。


 探せば同姓なんていくらでもいるのだから。

 しかも動画を投稿している人物はこの地域外に住んでいる場合もあるだろう。


 日本全国、投稿者の動物がみな、糸上春眞のことを言っているわけではないはずだ。


「でも、猫って一日でどれくらいの距離を移動するんだっけ?」


 動物が喋る内容の出所が総じてここなら、断定してもいいかもしれない。

 ……手帳の言葉に、重みが増してきた。


 糸上春眞に気を付けろ。


 ……バラバラにされないように、気を付けろって?



 放課後、カバンを開いた山本の動きが止まった。

 期待と下心が見え透いた表情を浮かべ、周囲を気にしながらそそくさと教室を出ていった。


 ……かかったみたいだ。

 カバンを肩にかけて山本の後を追う。


 彼が向かったのは、今朝、僕たちが話し合いをした屋上前の踊り場だ。

 ひとけがないと案内された場所だが、考えることはみな同じだ。


 山本を呼び出した誰かも、この場所が人目につかない穴場だと思っているらしい。


 ひとけがないからと言って、隠し事をするのに向いている場所とは言えない。


「この手紙をおれのカバンに入れたのは……なんだよ、糸上かよ」

「なんだよとは失礼な! ……ねえ、もしかして、ガッカリさせちゃっ、た……?」


 一つ下の階から、二人の会話を聞く。

 傍から見れば、距離が遠いため僕が盗み聞きしているとは誰も思わないだろう。


 相手は糸上……、なのは分かってた。

 予測できた。

 でも、本当に糸上がこうも早くアクションを起こしてくるとは思わなかったけど。


 昼間、山本が糸上に聞いたことが関係している、と普通は思う。

 しかし山本はそんな考えに至らないみたいだ。


「ガッカリなんて、してねえって。嬉しかったぜ。このラブレター」


 モテたいモテたいと執拗に言っている山本にとっては相当に嬉しい手紙だろう。

 警戒心を持たないのも無理ない。


「知らなかったぞ。随分前からおれのことを見てくれてたんだな……試合も、こっそりと見てくれてたみたいで……言ってくれればいいのにさ」

「だって、恥ずかしいじゃん、そんなのさ……」


 山本は柔道部主将だ。

 しかし、そう強いわけでもないので、学内でも知名度は低い。


 そんな弱小部の試合を見にきてくれていた糸上に向ける印象も、山本の中では今頃、うなぎ登りだろう。


 弱小部活に応援しにいったのが知られるのが恥ずかしいから、とも取れるけど……、

 さすがにそう言うのはいじわるか。

 単純に、意中の相手の応援にいったのが知られるのが恥ずかしいから、と山本は思うはず。


「お、おう、そうか……」


 照れ臭そうに頬をかく彼の姿が、実際に見ているようにイメージできた。


「それでよ、つまりは、あれだよな……ラブレターをくれたってことはさ」


 ごくり、と山本が喉を鳴らす。


「おれの、ことが、さ、す、好き…………なんだ、よな…………?」


 互いの距離が詰まる足音が鳴る。


「い、糸上……!? 近い、だろ。そんな、急に……っ」


 二人の距離がゼロになった。

 キスでもしたのかと勘繰るには至らない。

 聞こえた音が、無機質だった。


 じゃきんっ、という、体の芯から震え上がる音だ。


 ……この音に、なんで反応して……っ!


 心臓を鷲掴みにして、数秒、深呼吸を繰り返すと、体の震えが止まった。

 監視を再開させると、踊り場の二人に会話がない。


 足音を殺して階段を上がり、二人の様子をこの目で確認する。


 山本の姿がなかった。

 いや、ある。

 糸上の足下に積まれているのは、手や足の形に見える……、

 じゃなくて、実際にそうなのだ。


 山本の頭部が、糸上に抱えられていた。

 口にはガムテープが貼り付けられ、彼の表情が恐怖に歪んでいる。


 山本の額に、まさに今、ハサミの刃が入り込もうとしていた。


「痛くなーい痛くなーいから、だいじょーぶ」


 子供をあやすように、山本の後頭部をとんとん叩いて落ち着かせようとしていた。

 そんなことをされても、目の前の刃の恐怖を消せるほどの効果はない。


 ずずずっ、と刃が額に入り込む。

 じゃきんっ、と繰り返される音の後、

 ハサミの両刃に挟まれて出てきたのは、映画のフィルムだった。


 連続した静止画がコマとして映っているのではなく、場面は飛び飛びだ。

 チャプターメニューを見ているようだった。


 コマの一枠に映っていたのは、踊り場の風景だ。

 そこには僕がいる。

 虎模様の猫もだ。


 今朝の光景が、映画のフィルムに記録されていた。

 糸上が、その一つのコマをハサミで切り取る。


 それを自らの額へ触れさせると、フィルムの形が崩れていった。


「…………坂上くんが、また……?」


 糸上が僕の名を呟いた時だ。



「坂上! 見ろ、知り合いを見つけてきたぞ!」


 背後から呼びかけられて振り向くと、虎模様の猫……、逃げたはずの山本がいた。


 隣には、同じく猫(こっちは黒猫だ)がいた。


 知り合いって言われても……あ、もしかして。


「そうだ、同じクラスの、佐藤なんだよこいつ!」

「そうなの?」


「ねえ、あんたはなにか知ってるの!? 全然驚きが少ないからびっくりなんだけど!」

「そりゃ山本で一回経験してるからなあ。さすがに同じネタでは驚かないって」


 突然いなくなったと思えば、知り合いを探しにいってたのか。

 連れてきたのが女子ってところに、山本らしさを感じる。


「偶然だっつの! 選り好みして佐藤を連れてきたわけじゃない! 

 最初に見つけたのがたまたま佐藤だっただけの話だ!」


「そっか。それで佐藤は……」


「糸上よ! あの子が――――ッ、って、!?」


 屋上前の踊り場から階段を下り、僕の背後に立っている。


 糸上春眞が、ハサミを持って。


「坂上くん…………見てた?」

「見てないよ。なーんにも、これっぽっちも、見てないし、知らない」


 見ていたけど誰にもばれたくないことなのは分かっているから、

 糸上の希望通りにここであったことは誰にも口外しないよ、と伝えたつもりだけど、


 たとえ伝わっていたとしても、彼女はハサミをしまいはしなかっただろう。


 突き出される刃を回避しようと足を下げたら階段を踏み外した。


 下まで落下し、思い切り背中と肘を打ち、広がっていく痛みに思わず表情が歪む。


「坂上……、お前……」


 階段の下にいた猫二匹には当たらなかったようで、良かった。

 なのに、二匹の表情は安堵からは程遠い。


「お前……! 腕がッ!!」

「え」


 腕を上げる。

 手首から先が、そこにはなかった。


 階段の真ん中あたりに、僕の手首から先が落ちている。


「切られたのか……」

 しかし、痛みはない、血も出ていない。


 そう言えば、バラバラにされていた山本(人間)も、血は出ていなかった。


 切られた感覚も……足を踏み外した驚きのせいかもしれないけど、感じなかった。


 人体バラバラの光景に、死という強い印象を持つけど、実際はなんてことないのではないか。

 取り返しのつかない切断なのではなく、修復可能な取り外しだった……?


 そして多分、糸上春眞の脅威はそこではない。

 だって、切ったものにダメージがないのなら、切る意味がない。


 だから、切れる攻撃力ではなく、

 切った後の使い道に、糸上の脅威があると見れる。


「糸上っ、お前は一体、なんなんだ!? なにがしてえんだよおっ!!」


 階段を下りてくる糸上に向かって山本が叫ぶ。

 佐藤が僕の残っている方の手に寄り添ってくれている。


 いや、二人は逃げないと。

 もしも切られたら、二人は元には戻れない。


 そんな気がした。

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