第7話 不吉な猫
(糸上春眞)
「ただーいまー」
呼びかけても返事がなかった。
でも、奥の方で物音が聞こえるから、きっとまだいる。
「あ、今日は早いお帰りで、春眞様」
喪服に似ている執事服を身につけているお手伝いさん。
家にいないことが多いお父さんが頼んで、はや数年が経ち、あたしもやっと、ただいまと言って返事があることに驚かなくなった。
なのに、神出鬼没で探すといないのに、あたしが呼ぶとすぐ近くにいたりする。
心臓に悪い。
そっちの驚きには未だに慣れないみたいだ。
「何時に帰ったっていいでしょ」
「それは当然です。ただ、私見ですが、もっと遅くなると思っていたので」
そのつもりだった、けど。
能力がばれた後も外にいるのはさすがに恐かった。
さらに酷い目に遭うんじゃないかって……。
だからできるだけ早く帰ってきたのだ。
家にいれば、少なくとも誰かにばれる心配はない。
んだけど……そうだった、夕方まではこいつが家にいるんだった。
「睨みつけて、どうかしましたか? 掃除の出来映えに満足がいかないと?」
「そうだよそうそう。ほら、ここ、指で擦るとちょっと汚れがつくのはいいのかなあ?」
文句をつけたはいいけどそう長く拘束できるわけもなく、
「出来映えは、どうでしょうか」
「まだ、ここが……」
床を指で擦ると、きゅきゅっ、と音が鳴る。
もちろん、汚れも取れなかった。
「むぐぐ……」
「掃除も終わったので、おやつにしますか?」
「え!? ――うん! 食べる食べる!」
今日はついてない、と落胆していたけど、そうでもないらしい。
上岡が帰ってしまった後だと食べられないホットケーキを食べられる。
早く帰ってくると健康のためと言って運動させられたり、勉強の課題を出されたりするから遅くまで外で遊んでることが多いけど、タイミングが良いとおやつが出てくる。
もしかして、今日は良い日なのかも?
「食べながら、軽く勉強でもしましょうか」
食べながらできるわけがないのに、無茶を言う。
「簡単ななぞなぞですよ。それなら、春眞様も楽しんで頭を動かせるでしょう?」
それならまあ……、
騙されたと思ってやってみたら、意外と楽しかった。
おやつを食べ終えても、しばらくは、上岡と談笑していた。
楽しい時間は、どうしてか、あっという間に過ぎていく。
「……そろそろ帰らないとなりませんね」
日が落ちた頃、上岡が時計を見て、あたしから意識を逸らした。
上岡はあくまでお父さんが依頼した、お手伝いさんだ。
あたしと仲良くしてくれるけど時間内の業務でしかない。
それでもいいと割り切っていたつもりだったけど……。
立ち上がった上岡の袖をつまんで、引き止める。
……もしかしたら、と期待して。
「春眞様、明日も来ますよ」
「……明後日も?」
「はい。明明後日も」
「その次も?」
「日曜日は、私も休みを貰っているので、いませんが……」
分かってる。
上岡にも家族がいて、業務時間以外は自分の子供に意識が向かうことくらい、分かってる。
「ねえ、上岡。……お父さんは、今、なにしてるのかなあ……?」
「……私は、直接は会っていないので。お父様は、多忙のようです。だからこそ、私がこうして雇われていますから。仕事が片付いたら、きっと帰ってきてくれますよ」
「そうだよね、あたしのこと、忘れてなんか、いないよね……?」
「もちろんです。忘れていたら帰らない家の掃除に人を雇いませんよ。
仕事に没頭しているなら尚更、無頓着なはずですから」
困らせちゃダメだと言い聞かせて、引き止めていた指を離した。
上岡はああ言ったけど、お父さんはきっと、帰ってこないと思う。
だって、ずっとそうなのだから。
最後にお父さんと顔を合わせたのは、いつだっけ?
何年前だったかすら、思い出せないほど遠い記憶になってしまっている。
上岡が帰ると、家の中が静かになった。
使わない部屋の電気は消している。
すると真っ暗の部屋の方が多い。
当然だけど、あたしの自室しか、明かりは点かない。
上岡が作っておいてくれていた夕飯を、自室へ持っていって食べる。
ホットケーキは表情が緩むほど美味しかったのに。
用意されていた夕飯は、美味しいけど、まったく表情が動かなかった。
義務的に食べ終えて、ゆーちゅーぶを開く。
ものは試しでやってみたけど、ここは楽しい世界だ。
面白いことをすればすぐに反応してくれる人がたくさんいる。
離れていく人もいるけど、それ以上に新しい人がすぐに入ってきてくれる。
誹謗中傷もあるけど、言葉の殴り合いも実は楽しい。
そういうケンカができる人の方が、あたしのことを見てくれてるって実感がある。
賛同してくれる人は、あたしじゃなくて、動画や企画の先を見てたりするし。
「お父さんめ、相手してくれなくたっていいもん。友達の作り方は分かってる。目立つのがまず一つ、あとは、過激なことをすれば絶対にみんなはあたしを見てくれる」
バンされちゃったのは痛いけど、それはゆーちゅーばーとしてのあたしの話。
学校なら、バンされることはまずないんだから。
「ふへ、ふへへへへ……っ」
なにをしようかなあ、と考えながら、
参考に今、話題に上がっている動画が注目されていたので見てみることにした。
喋る動物動画だった。
動物がただ映っているだけでも見ている方は癒やされるから、再生数を稼ぐのは、そう難しくない。
そこに、喋った、と珍しいタイトルを添えるだけでさらに再生数を伸ばすことができる。
本当に喋ってるわけがないと思いながらもちょっとは期待して見たら、本物みたいに喋っていたので驚いた。
どうやってるんだろ。
それとも本当に喋ってる?
…………。
………………。
………………………………。
「え?」
話題になっているから、動物動画はいくつも上がっていた。
投稿者が違うため、映っている動物も違う。
なのに、動物たちが話す内容は決まっているみたいに同じだった。
まずいよ……まずいまずい!
なんで、どうして!?
誰かにはめられた!?
だけどなんであたしが能力者だって、ばれて……!?
こうしている間にも再生数が伸びていく。
喋る動物たちが、多くの人たちに見られているってことは、一緒に内容も聞かれている。
主役は動物だし、話す内容に、あれ? って思うことは少ないかもしれない……、
でもまったく気にしないわけじゃないから、たった一人でも真剣に、内容の真偽を確かめようとすれば、あたしは捕まる。
いま、能力者がどういう扱いを受けているかはよく分かってる。
体に毒を持つ殺人鬼の能力者は、
今も政府に監視されて、体中をいじくり回されて調べられてる。
……もう、十一年も前のことだ。
動画を探せば、簡単にヒットする。
十一年前に報道された映像を、そのまま見ることができた。
十一年も、政府に管理されても解放なんかされない。
このままずっと、死ぬまで管理され続けるかもしれない。
能力者だとばれたら……あたしもあんな生活を……。
「…………なんとか、しなくちゃ……っ!」
(坂上辰馬)
同じ学年の兄弟でも、登校するタイミングが同じとは限らない。
誠也は彼女の家まで向かえにいくので、意外と朝は早かったりする。
僕は遅刻しないくらいの時間の余裕を見て、寝られるだけ寝るようにしていた。
充分な睡眠を取らないと、僕は次の日に動けないタイプだ。
誠也はそのへん、不眠不休でも遊び通せる体力があるから凄い。
遊ぶことに関しては、体力が無尽蔵にあるのかってくらいだ。
「……え、なんだ?」
呼ばれた気がして振り向いてみたけど誰もいない。
サラリーマンが通り過ぎたけど、目も合わなかったあの人が僕を呼んだとは思えない。
空耳か……?
睡眠は充分に取ったはずだけど……、訓練の疲れが取れていないのかもしれなかった。
歩き出すも、やはり、呼ばれている。
自然と足が止まる。
後ろを見ても誰もいないのなら、もっと視野を広げてみよう。
上だ。
――僅かに、僕の身長よりも上の塀に、呼び声の正体がいた。
虎模様の猫だ。
「助けてくれ!」
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