第32話
教室棟の、すみのすみ。
F組にまでたどり着くのに、ずいぶんと時間を食ってしまった。
ふんふんと鼻歌交じりのパルルを連れ、昨日も来た教室の入り口をくぐる。
「おや……?」
てっきり、誰もいないだろうと思っていた。
しかし果たして、ふたつの人影があり、片方がパッとこちらに顔を向ける。
「あ! れ、レジードさん……でしたよね?」
「ああ。おはよう、シーキー」
「お、おはようございます! あのあの、な、なんか、すごい音してませんでしたか?」
「うん?」
「聞こえませんでした? レジードさんが来たほうから、どしーんとか、ずばーんとか、なんかいろいろ……こ、こわいことあったんですか?」
なるほど。
まあ聞こえもするか。
気になって当然だが、別に声を震わせるほどではなかろうに。
なにもないぞと言っておくと、シーキーは露骨に安心した顔を見せた。なんとも素直だ。
「にしても、今日は授業はないはずでは? 知ってただろう?」
「あ、はい。私はその、ご主人様に授業があるので……」
「なるほど。付き添わねばならないわけか」
「い、いえ! そんな、とんでもないです! お、お世話させていただくのは当然のことで……!」
噛みまくりながら答えてくれるシーキー。
本当に焦っているようだ。表情にも余裕がない。
ずいぶんと尽くす従者なのだな……というか、どんな主人なんだ?
「アビエッテは、よく眠るな」
昨日と同じく、分厚い本をまくらに突っ伏している銀髪に苦笑する。
学校に来ている意味があるのか……?
いや、それはこの場の全員に言えることだな。はからずも。
「初めましてえ、パルルと申しますう。レジード師匠の1番弟子ですう」
「あっ、は、初めまして。シーキーです……えっ、レジードさん、お弟子さんがいらっしゃるんですか? すごい……」
「そーなんですう、お師匠さまはすごいんですう! ちょっぴりキテレツな部分もあるっていうか、価値観がご実家基準でどーにもこーにもなとこありますけど、なにとぞよろしくお願いしますう」
「え、え、はい……こちらこそ……」
パルルだけは、今この瞬間すらムダにしていないようだ。
俺と同じだけの期間、山にこもっていたとは思えない軽快なフットワークだな……さすがは元・教祖。
人付き合いに関しては、俺のほうが弟子入りするべきなのだろうな。
ガラーンガラーン ゴオオン ゴオオン
学園中に、2種類の鐘の音が響き渡る。
最初のが、授業開始のチャイムというやつだ。ふたつめが鳴った回数で、何時限めかを報せてくれる。
課外も多い都合上、あまり意味はないとセシエが言っていたな。
F組に至っては、そもそも授業がないわけで。
それでも、学生経験が初めての俺にとっては、なかなか新鮮な音色だな……
ガララッ
ん? ドアが開いた。
不思議ともう、Fの学生はそろっているはずだが。
「失礼するであります!」
長い髪をまとめて帽子をかぶり、白い布切れで口元を隠した掃除装備の人間が入室してくる。
施設管理の人員だったか。確か、校務員とかいう。
……こんなタイミングで?
いや、F組は授業日ではないから、ありうるか。
さすが都会はひと味違うな。
「ホウキがけをさせていただくであります! どうかお気になさらず!」
「……え、何してるんですかあ? セシエっち」
「ぎくっ」
む?
セシエ?
「な……な、何のことでありますか? セシエ? はて? 新しい洗剤のことでしょうか!」
「自分の名前そんなふうに言わなくても。確かに洗剤の香りもしますけど、セシエっちの匂いがはっきりとしますう」
「犬並みの嗅覚!? エルフこわい! し、しかし、ばれてしまってはしかたないであります!」
バッと口元の布を取り払う、彼女は確かにセシエだった。
ここで何を……?
というか、Aクラス騎士がなぜ校務員スタイルで? 妙に似合ってはいるが。
……まさか、やはり……
「この学園の校務員アルバイトに見事1発合格した、セシエ・バーンクリルであります! 皆さんなにとぞよろしくよろしく!」
「セシエ。……金に、困っているのか?」
「レジード殿っ!? い、いきなりのずいぶんなお言葉!?」
「そうだな。そうだよな。いや、考えてはいたんだ。俺とパルル、2人もの居候に転がり込まれた挙げ句、この学園の費用まで世話をして……なんでもないように振る舞ってくれて、俺もつい甘えてしまっていたが。やはり無理が出ていたんだな……」
「いえいえいえいえ!」
「ぜひもない。パルル、やはり自分たちの学費は自分たちで稼ぐぞ。まずは退学届だ!」
はい! とためらいなく立ち上がるパルルの前に、
「待ってえ! であります!」
慌てた様子のセシエが立ち塞がった。
「誤解! 誤解であります! 痩せても枯れてもこのセシエ、Aクラス騎士としてそれなりの蓄えは持っているでありますよ! おふた方には説明したでありましょう!?」
「確かに聞いたが……やさしいウソかと……」
「自分、そこまでお人好しではないであります!」
「じゃあ、なぜバイトなどを?」
それはー、とセシエが目線をそらし、頬を染めてもじもじとホウキをいじり回した。
「おふた方のことが、心配で……できるだけ近くで様子を見たくあり、いてもたってもいられず。けれども自分はああ部外者。ならいっそ働いてしまえばいいか、と思った次第であります……」
「ひまですか、Aクラス」
「ひどいであります!? 自分こう見えて、特務経験も豊富な使えるAクラス騎士なのでありますよ、パルちゃん!」
「1個前のセリフとぜんぜんつながらないですう。でも心配してもらえるのはありがたいので、ここは何も言わず、あたたかい笑顔で信じようと思いますう」
「ぜんぶ声に出てること以外はとってもうれしいであります!」
ふむ……。
パルルのみならず、セシエもこのフットワーク。
2人ともすごいな。
ただならぬ行動力といい、いつのまにか互いに愛称で呼んでいるほど爆速で仲よくなっていることといい。
俺も負けてはいられないぞ。
努力あるのみだ。
くどいほど、今日は授業がないわけだが。
「じゃあ、せっかくだから、俺たちはセシエの仕事を手伝おうか」
「えっ!? い、いえいえレジード殿! それではなんだかあべこべでありますよ!」
「気にするな。校務員は、学園のあちこちで仕事をするんだろう? 手伝えば早く地図を覚えられそうだ、教室に来たのも慣れるためだしな」
「そ、そうでありますか? いやしかし……」
と。
視界の端で、眠っていたアビエッテの両目が、ぱちりと開くのが見えた。
身を起こし、小さくのびをしている。俺たちの会話がうるさかったのだろうか。
すまんな、と俺が謝るより早く、再びドアの開く音がした。
「おやおや」
聞こえたのは、穏やかな男性の声。
ドアの前には、すらりとした長身の老人が立っていた。
短い白髪に、整えられた口ひげ。ピシリとめりはりのきいた紳士服に、孫を見守っているかのようなやさしい微笑がよく似合う。
この御仁は……
「副校長殿……?」
間違いない。昨日、入学式で見た、モーデン副校長だ。
彼がなぜ、F組の教室に……?
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