第42話 家族の繋がり

 ――なっちゃんの『査問会議』はその夜に行われた。



 お父さんは夕食には間に合わなかったけど早めに帰宅して、ご飯を食べた。


 なっちゃんとわたしはソファに並んで座って、どうでもいいバラエティをテレビは流し続けた。


 どっちも声に出して笑ったりしなかった。わたしはぎゅっとお気に入りのクッションを抱きしめていた。


「じゃあ尚と話があるから、雅は部屋を出て」


 なっちゃんの顔を見る。

 だけどなっちゃんはうつむいていて、わたしを見ない。拒絶されたように感じる。


 あきらめてのろのろと立ち上がってリビングを後にする。階段を、どん、どん、といつもより大きな音を立てて上って、それで。


 足音を立てないよう、またリビングの前まで行く。バレたらバレただ。話がまずい方向に向かったら、わたしがなっちゃんを助ける。


 ⚫ ⚫ ⚫


「じゃあ、少し話そうか」

 お父さんの声が聞こえた。


「はい」

「学校で嫌なことでもあるのかい? たとえばイジメとか」

「ないです」


「この前配られた進路調査票も返してないんだって? 別にこの歳になってまで親といちから十まで決めなきゃいけないって言いたいわけじゃないんだ。先生だってまだ二年生だからあわてることはないと言っていたよ。空欄の多い子も多いらしいし」


「……進路票は捨てました。駅のゴミ箱に」

「どうして?」

「自分の未来に責任が持てなくなって」


 進路に迷っていたなっちゃんは、とうとう自分の進路をゴミ箱に投げてしまったということだ。


 でもお父さんの言う通り、まだ時間はあるんだから焦ることはないと思う。


 高校と大学の受験は違うんだろうけど、とにかくなっちゃんは頭がいい。学んだことをすっと覚えてしまう。たとえば難しいゲームのルールやなんかでも。


 だから少しくらい迷っても、なっちゃんなら乗り越えられるんじゃないかと思う。なっちゃんには集中力とそれを持続させる力がある。


「行きたい大学があるのかな? それとも見つからなくて困っているのか? それで迷っていて学校に足が向かないんだと考えていいのかな?」


 少しの間があって、なっちゃんは口を開いた。


「そう思ってくれていいと思う。大学のことで迷っているのは本当の事だし、そのことで踏ん切りがつかないから自分でもどうしたらいいのかわからないんだ。

 もう二度と遅刻や欠席はしないって約束するから、少し、将来のことは考えさせてください」


 想像する。

 駅前でいつもの駐輪場に自転車を停めて、ふっと途方に暮れるなっちゃん。

 駅の雑踏の中で行き先を失うなっちゃん。

 わたしが見ていない時の知らないなっちゃん。


 でもわたしはなっちゃんをよく知っている。心の奥の根っこの部分は、たぶん、誰より知っているはずだ。


「尚、時間をかけて悩むといいよ。でも私たちでは相談に乗れないのかな?」


 沈黙。

 部屋の空気が固まる音が聞こえた。胸が不思議に痛む。


「お父さん、お母さん、迷惑ばかりかけてごめんなさい。俺、進路のことはずっと前から詳しく調べていて、行きたい大学はもう前から決めてたんだ。

 だけど情けないんだけど決断ができないんだよ。自分のことなのに決められない。そのことにすごく腹が立つ。

 この家の子はみんな真っ直ぐで迷いのない目をしてるのに、俺は迷ってばっかりだ。まだ漠然とした進路調査ひとつ、書けないでいるなんて……」


「尚……」


 なっちゃんの声は最後の方は震えていた。あの夜に繋いだ手のように、小さくか細く。


「そういう考え方をするのはやめなさい。尚だってうちの子だろう? お前だって真っ直ぐな目をしているよ。自分を信じなさい」


「それは本当だけど本当じゃない。どんなにがんばったって俺だけは本当の家族じゃない。

 俺、ずっとバイト代、貯金してたんだ。けっこう貯まったよ。目的があると貯金ってできるものなんだね。

 ――俺、家から通えない距離にある学校に通いたい。家を出るんだ。でも『家を出る』ってその一言がいえなくて」


「尚、それを反対したりしないわよ。あなたはしっかりしてるし、家を出ても自炊できると思うもの」


「·····違うんだ! 怖いんだよ。この家を出たら、それでもここの子でいられるっていう確信がどうしても持てない。帰ってきていいのかわからない。バカみたいだけど、家を出るのが怖いんだ。遠くに行くのが怖いんだ。……どうか、これからもこの家の子でいさせてください······」


「ちょっと待ちなさい!」


 ガタン、と大きく椅子が動く音がして、パーンッと平手を打つ音が鈍く響いた。誰かが誰かを殴った。


 わたしは話の展開について行けず、部屋に入っていこうか迷う。勇気が出ない。


「そんなつもりで本当のことを話したわけじゃないわよ! 尚には本当のことを知る権利があると思ったから話したのよ。言わなくたってよかったの。だってどっちにしたって、尚はに違いないもの。なにがあってもうちの子よ!

 頼まれたって誰にもあげない。例え神様に頼まれたってもう返さない。――どうしてそれがわからないの?」


「お母さん、俺はどうしようもない親から生まれてきたのに、お母さんとお父さんに大事にされる理由がないよ。ましてや長男だなんて」


「尚はわたしの子よ! 未来永劫、うちの子だわ!」

「なあ、もう少し冷静に話し合おうよ」


 またリビングは静けさに満ちた。みんな、疲れてしまったような気がした。


 なっちゃんはやっぱり遠くの大学に行きたかったんだ。

 勉強をしてる時、ときどきふっと遠い目をする時がある。そんな時はそこに思いを馳せていたのかもしれない。


 お母さんの言った通り、どこに行ってもなっちゃんはうちのなっちゃんだ。なっちゃんにはそれが伝わらないんだろうか?


「約束破ったんだ。親には会いに行かないってあの時約束したのに、おばあちゃんに泣きついて親の居場所を教えてもらったんだ」


「……会ったの?」

「いや。父親は行方がわからなかった。そりゃそうだよね、借金取りに追われてたらさ。母親は·····お母さんの妹って人は、夕方、小学生の男の子と手を繋いで歩いてるのを見た。時間からすると、学童のお迎えだよね、きっと。お父さんたちが俺を引き取った時には兄弟はいなかったんだから、父親違いの弟なんだね」


「……再婚したのよ」

「だろうね。でも、あのお母さんの妹って人、背中が疲れてたよ。とてもしあわせそうには見えなかった。俺はしあわせなんだなぁって思ったよ。十五までは本当の子供じゃないなんて疑ったこともなかったし、それからだってこうして分け隔てなく……」


 立ち上がると情けないくらい膝が震えていたのに、思っていた以上に大きい声の出る自分に驚く。

 リビングのドアを開けると、そのドアはさっきまでの沈黙に比べてずっと軽くて、あっという間に隔てはなくなった。


「なっちゃん!」


 みんなは一斉にわたしを見た。それもそうだ、話に夢中でわたしの気配なんか気がつかなかったんだろう。わたしはなっちゃんの目を力いっぱい見た――。


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