第41話 プレッシャー、かけてる
朝は肩が寒くて目が覚めた。
暖房のスイッチを入れることを躊躇う。まだ入れるには早い。早くから暖房を入れることに慣れると、冬がいっそう辛くなる。
肩先に毛布を巻くようにして、二度寝する。
……遠くの方から肩から太鼓を提げたパレードがやってくる。ダ、ダ、ダン! ダ、ダ、ダ、ダン! すこぅしずつ、少しずつ、パレードが近づく。心持ち、楽しくなる。
「雅、遅刻だよ。置いて行くよ!」
ハッ!
……太鼓だと思ったのはなっちゃんがドアをノックする音だった。ヤバい、よだれが。
「ごめんなさい、すぐ支度する!」
がばっと起きて、とりあえず制服を着る。急げ、急げ、階段を駆け下りたところになっちゃんが立っていた。
「朝ごはんは?」
「だってそんな時間ないんでしょう?」
「んー、俺はいいけど雅は遅刻させるわけにいかないしなぁ」
「髪、結ばないと」
顔を冷たい水でざばざば洗う。背に腹は変えられないので、基礎化粧は省略。夏休みのあの日からずっと続けていた習慣だ。
あの頃からニキビが少しずつできなくなった。
髪を下めに結う。校則通りきゅっときつく結ぶ。
「お待たせ」
「二度寝?」
「まぁね」
ふたりとも気をつけるのよ、とお母さんの大きな声が聞こえた。
⚫ ⚫ ⚫
「尚!」
こんなこと、この間もあったなって思う。デジャブ。
わたしはアイスのカップを抱えたままお母さんを見たが、なっちゃんは違った。テーブルにふやけてきたカップを置いた。
「はい」
「言われなくてもわかってるわよね?」
「はい」
部屋に行ってなさい。
なっちゃんはわたしの方を見ようともせず、階段に向かった。ミシッ、ミシッ、ミシッ、と一段一段を踏みしめるような足音が聞こえた。
ふぅ、とお母さんはため息をついて上着を脱がずに椅子に座り、急に目をわたしに向けた。
「雅にも何も言わないの?」
「……」
それはわたしとなっちゃんの信頼の深さを確かめてるかのようだった。
胸に刺さる。なっちゃんが今だに解消されない悩みを抱えてるなんて知らなかったから。
わたしになんか大切なことを話すわけがない。だってなっちゃんにとってわたしはいつまでも小さな妹で、対等には絶対になれないから。そう、絶対に。
「男の子って難しいわね。何を考えてるのか正直、全然、わからない」
お母さんはもうひとつ大きなため息をついて、お茶を入れるわね、と席を立った。
「じゃあさ、……じゃあさ、お母さんにはわたしの考えてることがわかるっていうの? 何を悩んでいるのかさぁ」
「雅のこと、何も責めたりしてないじゃない」
「お父さんもお母さんも、なっちゃんを過大評価しすぎなんだよ。なっちゃんは今まで自分のしたいことより、みんなのしたいこと優先でがんばってきたじゃない。
なっちゃんだって立ち止まる時もあるし、今までの自分を振り返ることがあるんだよ。どうして家族なのになっちゃんの気持ちを優先してあげないの? なっちゃんを少しだけ休ませてあげないの?
雅はずっとなっちゃんにくっついてきたけど、それでもわかんないこと、いっぱいある。
だけどもっとなっちゃんを知りたいし、こんなことでなっちゃんを切り捨てるようなことできないよ。なっちゃんをもっと知って大事にしてあげて。なっちゃんだって傷ついて迷うこともあるんだよ」
お母さんは言うべき言葉を見失って、ぽかんと立ち尽くした。
わたしは恥ずかしさのあまり、逃げ出したくなった。
なっちゃんの置いていったアイスのカップは置き去りにした。
そして、こそこそとなっちゃんの部屋に潜り込む。いつからか、ここが隠れ家になってしまった。
「なっちゃん……いい?」
「ダメって言ったらそれで納得するのかよ」
その言葉は笑いを含んでいた。
「おじゃましまーす」
どうぞ、と言ったなっちゃんは机の椅子に座っていた。なぜかこんな時でもなっちゃんは平然と勉強していた。
「お前さ、すごい剣幕だったよ」
「だってさ」
「俺のことでそんなにムキになってどうするんだよ」
くっくっく、と嫌な感じでなっちゃんは笑った。自分のことなのに……と思うと少し腹が立った。わたしはただ、なっちゃんを守りたかった。いつだってそれだけだ。
「だってさぁ。なっちゃんはさぁ」
「うん、学校サボったんだよ」
「わたしと朝、一緒に通ってるのに?」
「そう、その後、学校に行かなかったんだ」
どうして、という言葉が喉元までせり上がる。だけど口から飛び出してはこなかった。触れてはならないことのように思った。
「聞かないのかよ、なんでなのか」
「それくらいのデリカシーはあるって言うか。言いたくないことだから、今まで言わなかったんでしょう?」
「まぁ、そんなとこ。雅には聞かれたくないかな」
「どうして名指し? 妹だからってこと?」
「特別だってこと。軽蔑されたくない、お前に」
「軽蔑なんてしないよ。いつだってなっちゃんはわたしの」
わたしの? 特別な人。尊敬できる、信用に値する人。頼りになる人。
「そんな目で見るなよ。なんか、プレッシャー」
なっちゃんは苦笑して見せた。
そうなのかな、それならいつでもわたしはなっちゃんにプレッシャーをかけていることになる。小さい時から今までずっと。だって自慢の兄だった。
「雅の特別な人でありたかったけど、幻滅させちゃったよな。親とも満足に話せないような」
「でもお父さんたちだってひどいよ。なっちゃんの言い分、聞いてくれた?」
「いや、その前に俺がきちんとするって約束しちゃったからさ、これはお父さんとお母さんには関係のない俺だけの問題なんだ」
「……わたしは、何も助けにならない?」
「いや、いてくれるだけでいい」
「役に立ってないよ……」
自分の非力さを実感する。そんなことないよ、とやさしい目をして大好きなひとが微笑む。
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