第36話 シンプルがいちばんだよ

「なっちゃん、あのさぁ」

「何?」


 タオルで濡れたところを拭いていたなっちゃんが顔を上げた。制服の肩のところがひどく濡れていた。申し訳なさでいっぱいになる。


 洗面所の入り口の柱に寄りかかって、なんでもないことのように努めて言う。


「今日ね、学校で友達に『お兄さんの写真見せて』って言われたんだけど、わたし、なっちゃんの入ってる画像持ってなくて」


「ああ、そっか、俺は雅の写メ、スマホに入ってるよ。中学に入った時の緊張した顔のヤツとか、夏に浴衣着た時のとか。今度はうちの制服着たとこ、撮らないとな」


「なんで持ってるの!?」


 その事実があまりにも恥ずかしくて、なっちゃんをグーで殴る。危ないな、となっちゃんはわたしの手を止めた。


「だからそういう時に撮ってくれってお母さんに頼まれるわけ。それでかわいく撮れたのを送れって。そういうことだよ。

『かわいく』って言われるから、つい何枚も撮っちゃったりするけど、人が映ってるのってなかなかデータ捨てられなくて、ブレちゃってるのもまだ入ってるよ」


 そうか、お母さんか。いかにもお母さんの言いそうなことだ。


 お母さんは自分がきちんと撮るのが面倒だからなっちゃんに放り投げる。それでその写真を年賀状に貼られたりするから困る。


 親戚のおばさんなんかに久しぶりに会った時、それをネタに「大きくなったわねぇ」なんて言われてしまうのだ。


「……なんか狡い」

「狡いって言ったって。なんならふたりで自撮りする?」


 わたしとなっちゃんは目が似ていた。まったく血の繋がりがないわけじゃないんだなって、鏡の前で並ぶといつも変な感じがする。


 ツーショットで写真を撮ったりしたら、本当は従兄弟だけどよく似た兄妹だと見た人はみんな疑わずに思うだろう。


「やだ、なっちゃん今、髪の毛どうなってるかわかってんの?」


 なっちゃんは髪を拭く手を止めて、鏡をのぞきこんだ。そうして「いつも通りだけど?」と言った。笑いながらドライヤーを手にする。


「なんだよ、ちゃんとするからプリクラでも撮りに行くか?」

「いいよ、どこに妹とプリクラ撮る兄がいるのよ」

「ここ」


 にこっと笑うと普段使わないのにヘアフォームなんかつけ始める。

 まったくどこまでが本気なのか全然わからない。着替えてくるよ、と言って二階に上がってしまった。


 ⚫ ⚫ ⚫


 本当に行くのかな、と不安になる。パーカーのポケットに両手を入れて考えてる。

 いや、ちょっと待て。なっちゃんは今日はバイトだ。勘違いしたらいけない。


 なんて思いながら雨で湿気った髪に櫛を通して、なっちゃんの好きなポニーテールにする。崩れないようにピンを忘れずに刺す。


 鏡にうんと顔を近づけて自分の顔を見る。問題がないか、じっと見る。


「お、準備万端だな」

「違うよ、なっちゃん今日バイトでしょう? 行けないじゃん」

「バイトの前にちょっと行けばいいじゃん。ちゃんとお前は送ってくるから。かわいい妹をゲーセンに置いてこられないだろう?」


 ……。恥ずかしいことばかりだ。誰だ、なっちゃんの写真をどうこう言い出したやつは。


 当たり前の事のようにごく自然に、なっちゃんはスニーカーを履いた。服はこのままで良かったかなとあわてる。



 長Tにパーカーで、わたしたちはお揃いの服を着ているように見えてしまう。ペアルックは死語だ。


「行こう」


 なっちゃんは傘を二本片手に持って玄関のドアを開けた。


 さっき少し濡れてしまったハイカットのスニーカーを急いで履く。


 なっちゃんのスニーカーに似ているものが欲しくて、でも言えなくてローカットのものを買えなかった。なっちゃんはなんにも知らなくて笑って「雅、ハイカット似合う」と言った。


 傘のうち一本は開かれることがなかった。それはなっちゃんの腕にぶら下げられて小さく揺れていた。


 また濡れてしまうかもしれないのにふたりで一本の傘に入る。学習していない。


 こういうのは『相合い傘』と呼ぶ。どうかしてる兄妹だ。


 ゲーセンに着く頃にはやっぱりなっちゃんの肩はしっかり濡れていて、わたしの肩はパーカーの元の色を保っていた。


 なっちゃんにいつになく強引に手を引かれる。店内の一階の敷地をほぼ占めるプリクラコーナーには、違いのよくわからない様々な機種がずらっと並んでいた。


「どれがいいの? 美肌とか? ……美肌に写ってどうする、俺。どれにしたいとかある?」


 首を横に振る。友達と来る時はこんなに大きなゲームセンターには来ないので、たくさん並んだプリクラに唖然とした。何を選んだらいいのか、全然わからない。


「なっちゃんはどれがいいと思う?」

「雅がかわいく写るやつ」


 そうじゃない。なっちゃんの写真が欲しいんだ。わたしがかわいくなっても意味がない。


「えーと、かわいすぎるのパス」

「あれ、目が大きすぎて怖いわ。雅は目がパッチリしてるから、ヤバいことになるよ、きっと。美肌のもヤバいよ。だってお前、素肌も白くてきれいだし、真っ白になっちゃうよ」


 そう言いながら顔をのぞき込んでくるなっちゃんの距離が近すぎる。汗をかく。


「あれ、あれがいいよ。シンプルなの。普通が一番じゃない?」

「なるほど。確かに自分たちを盛ったら今の俺たちの写真じゃなくなるしな」


 手を引かれて中に入る。明かりが眩しい。画面にいろいろ選択肢が出て忙しい。

 なっちゃんが適当に決めていく。何しろ、ふたりの写真が欲しいだけなんだから。


「いい?」


 唇の端が引きつりそうだった。無理に笑顔を作るのは難しい。瞬きをしないのも難しい。いつも通り自然な顔のなっちゃんの隣できちんと笑っていられるか、それが問題だった。


 友達同士で来ると、デコりにデコって顔が見えなくなるんじゃないかと思うくらい派手にやるんだけど、にやにやしているなっちゃんの隣でわたしは日付だけを入れた。


「……それだけ? せっかくここまで来たのにいろいろ書かないの?」


 終了をカウントダウンする音声が気持ちを急かす。


「これでいいよ。だって何を入れるの?」

「ハートとか入れてみる?」


 それは。


 それはさすがに兄妹でまずいだろう。

 わたしの兄は全然わかっていない。ハートはかわいいけど、兄妹で使っていい物じゃない。


 時間切れで、シンプルなプリクラは二分割にプリントされた。それを備え付けのハサミで切ろうとして止められる。


「家まで送るから。バイトに行く時、濡らしちゃうといけないから持ってて」

「うん……」


 そんなことに少しドキドキしてしまうわたしは、ダメな妹なのかもしれない。


「なっちゃん、慣れてるよね……」

「それは。……そんなことないよ。雅より少しだけ経験値高いだけだろ?」


 嘘つき。


 他の女の子と来たことがあるんだ。何も知らないふりをして操作の手際が良すぎたし。

 その人にも「シンプルがいちばんだよ」って言ったんだろうか? 素顔がかわいいよって。


 ハートもたくさん描いたんだろうか?

 同じ日付の入ったプリクラを、今でも大切に取ってあったりするんだろうか?


 ――そんなことを考えるわたしは本当にバカだ。

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