第34話 相思相愛
家に帰って着替えをするとちょうど良くなっちゃんは帰ってきた。
いつもより少し早い帰宅だった。もうずいぶん涼しくなってきたというのに、額の汗を腕で拭っていた。
「俺も着替える。ちょっと待ってて」
ドンドンと大きな音をたてて階段を上っていく。
わたしは階段の下の方の段に座ってなっちゃんを待っていた。待っているのもなぜかうれしい。
「お待たせ。じゃあ行こう」
靴を履いてなっちゃんが押さえてくれている間にドアを出る。鍵をかけ終えたなっちゃんが自然に手を引いてくれる。
「なっちゃんは」
「何?」
言わない方がいいかな、と少し考える。でもこれくらいなら言ってしまっても問題はないだろう。
「なっちゃんは女の子と手を繋ぐのに抵抗がない人?」
「あ、ごめん、嫌だった?」
「嫌じゃない」
離されそうになった手をわたしからぐっと握る。
「……慣れてるのかなと思っただけだよ」
「どうやって慣れるんだよ? 雅だけ。雅以外に手を繋ぐような女、いねーし」
「だってこの間の彼女みたいな人がたくさんいるんじゃないの? どうしてもなっちゃんと付き合いたいって人が」
「本気で言ってるの? そういうのいないから。これは本当。第一、そんなふうに見られてたらわかるだろう? 俺が恋愛なんか興味ないの」
「女の子に興味がないの?」
なっちゃんは上からまじまじとわたしを見た。わたしもなっちゃんを見上げてじっと目を見上げた。
「あるにはあるけど。好きになる人だけいれば良くない? それ以外はいないのと一緒だろう?」
あ、弾かれた。
ぽーんと遠いところまで弾かれてしまった。わたしなんか女の子のうちにも入らなくなってしまった……。
なっちゃんの好きになる人はわたしじゃない。これから大学生になって、社会人になって、その度にいろんな女の人に出会うんだろうけど、わたしはその内に入ることはない。もう出会ってしまっているのだから。
『いないのと一緒』というのはさすがに堪えた。
「つまんないこと考えてる? 雅は特別だって言ったでしょう? ずっと好きな女の子だよって、やっぱり恥ずかしいからこういうのはやめよう」
「……わたしだってなっちゃんが特別にすきだよ」
「相思相愛だ」
「そうだね」
字面だけ見たら溶けてしまいそうな甘いセリフも、わたしには意味のないものだった。口先だけの甘言だ。
なっちゃんだけが特別だなんてバカげている。自分でもそう思う。
そのうち高校に入って、大学生になって、社会人になって、わたしだってたくさんの男の人と出会う。きっとその中になっちゃんより特別な『運命の人』がいる。きっといるはずだ。
⚫ ⚫ ⚫
思った通り経過は良好で、無事、完治となった。いつものように頭の上をぽんぽんと叩いて、なっちゃんは「良かったな」と言った。「うん」と返事をしたけれど、全然良くなかった。
ああ、これでなっちゃんに送ってもらう権利がなくなってしまった……。
帰り道のコンビニでいつもより大きなプリンを買ってもらう。一緒に食べようと、ふたつ買った。そしていつも通りコーラを買って、少し前を歩くなっちゃんのパーカーの背中を右手でつかんだ。
なっちゃんは少し驚いた顔をして振り返ったけれど、ああ、とため息のように言ってわたしに手を差し出した。
これは私のためだけに差し出された手だ。いつか誰かのために差し出されるまではわたしには手を繋ぐ権利があるんじゃないかな、と小さいことを考える。小さくてどこか狡い。そんな考えだ。
⚫ ⚫ ⚫
家に帰るとお母さんは喜んで、その晩はちらし寿司を作ってくれた。イクラも乗った上等なちらし寿司で、いつもは肉じゃないと文句を言う大知も率先して箸を運んだ。
湿布の取れた指は驚くほどよく働いて、久しぶりに自由に使える箸でご飯を食べるのは本当に美味しかった。
たかが小指一本、それまではそう思っていたのにそうではなかった。骨折してからのことを思い出す。あれこれあったなぁと。
「雅、大知が部屋に行ったらプリン食べよう」
「お母さんに怒られないかなぁ」
「お祝いだからいいだろう?」
風呂入ってくる、となっちゃんは消えていった。
なっちゃんのお風呂は短い。這い寄ってくる眠気に負けそうになりながら、またTLで動物の動画を見ている。
子猫が、テレビに映るネコたちがジャンプするのにつられて自分もテレビにジャンプした。ふわふわの毛がぬいぐるみのようで一段と眠気を誘う。
「雅? もしかして寝てる?」
「……起きてる」
ふわぁと欠伸が出る。なっちゃんは冷蔵庫に向かって歩いていった。大きなプリンがふたつ、テーブルの上に置かれる。
「家で見るとやっぱり大きいね」
「さすがビッグサイズだな」
コンビニでもらったプラスチックのスプーンをもらって、フタを開けようとする。うーんと上に引っ張ったけれど開かない。なっちゃんのプリンは既に開いていた。
「貸してみ」
言われるままに渡すと、するりとフタは剥がれてわたしの前にプリンは置かれた。
「いただきます……」
なんだか釈然としないまま、一口すくった柔らかめのプリンを口に入れる。
「角度じゃない?」
ん、とスプーンを止めてなっちゃんの顔を見る。なっちゃんはにやにやしながらわたしを見ていた。なんか、嫌な感じだ。
「引っ張る角度が悪いんじゃないの? 無理に開けようとするからさ、開かないんだよ、たぶんね」
「別に無理になんて開けようとしてないよ……」
それではわたしはよほど食いしん坊だということになってしまう。
「何事も自然に任せればいいんだよ。意外と頑固なんだな、雅は。何でもフタ開けるの苦手だし。
握力のせいだと思ってるかもしれないけど、コツさえつかめばするっと開くんだよ。
力任せにしなくてもいいんだけど、開かない時は開けてやるから渡せばいいよ。……雅の彼氏になる男もそうしてくれると思うよ」
そう言われると、食卓の誰も座らない席に知らない誰かがにこにこして座っているような気がしてきた。
その人はわたしのプリンのフタをするりと手品のように開けて、間違えて買ったアイスバーが割れてもいいように小皿を出してくれる。
そう、なっちゃんみたいな人。
気持ち悪い。まずそう思った。
この世に、なっちゃんみたいな人が存在するのか、まだわたしには想像もつかなかった。
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