第33話 彼氏らしいこと

 匠と別れてしまってからは前のようにひとりで学校に通うことになった。


 右手の小指はほぼ治ったけれど、心配したなっちゃんが途中まで荷物を自転車に乗せてくれることになって、なっちゃんはそのために少し早起きしてくれるようになった。



 ……奇跡だ。



 なっちゃんは朝が弱い。そのなっちゃんがわたしのために早起きしてくれる。

 お母さんは「やればできるんじゃないの」と笑った。


 なっちゃんが電車に間に合わなくなるといけないので、わたしも少し早く起きる。


 朝の洗面台は、わたしとなっちゃんだけが並ぶようになった。


 大知の生活はすべて、部活が基本だ。大知にしても匠にしても、部活に一生懸命な男の子というのは忙しそうだ。いつも何かに背中を押されて流れに乗っているようだ。規則正しく生活しているらしい。


 ⚫ ⚫ ⚫


 なっちゃんとわたしはと言えば。

 荷物を運んでくれると言い出したのはなっちゃんなのに、話が弾まない……。朝だからかもしれない。


 それにしても、どちらも言葉数少なくていつもみたいにはいかない。ぼそぼそっと「今日の日課」の話なんかをして「じゃあね」となる。


 なっちゃんはわたしにそっと荷物を持たせると、自転車ですーっと駅に向かう。


 ああ、何を期待していたんだろう。恥ずかしいというか、さみしいというか。背中はどんどん小さくなってカーブを曲がると消えてしまう。


 明日は病院の日だ。たぶん貼り薬ともおさらばだ。折れたくせにすぐに復活する小指が憎くなる。まだ、なっちゃんと登校中、上手く話せていない。


 ⚫ ⚫ ⚫


「雅、あのさ」

「うん」

「今日、病院に行くんだろう?」

「……うん」


 そうなんだ。実はもう指なんか全然痛くなくて仮病のようなものだ。なっちゃんに荷物を持ってもらわなくちゃいけない理由はなくなる。


「俺と一緒に行く?」

「なんで……どうしたの?」

「いや、お母さんは仕事抜けなくちゃいけないから保護者代わり」

「ああ」


 なっちゃんの自転車のタイヤが回る度にチッ、チッ、チッと小さくスポークの音がする。タイヤだって荷物が重いんだろう。


 そっか、お母さんと話して決めたことなのか。

 少し期待してしまった自分がバカみたいに思える。


「嫌だった?」

「ううん、付き合わせちゃってごめんなさい」

「いや、せっかく送ってあげてたのにろくに話もできなかったし、埋め合わせってことでいい?」


 なっちゃんもそのことを気にしてくれてたんだと思うと、さっきまで沈みこんでいた気持ちがぐんと上がる。


「ううん、それはわたしも悪いの。なんかいつもと違う感じがして話しかけにくくて……おかしいよね」


「俺もだよ。これから一年間、一緒に通うって約束してるのになんでだんまりなんだよって反省した。電車の中でもお前を守ってやるとか言って、口もきかないとか最悪じゃない?」

「最悪……。最悪だよ、なっちゃん」


 わたしは声を上げて笑った。

 たぶん、なっちゃんと通うようになってからはは一度もこんなふうに笑わなかった。ふたりともテンション低めでお葬式のようだった。


 けど。緊張していたのかもしれない。

 匠にも送ってもらってはいたけれど、制服の違う、年上の背の高い男の人に送られるということに緊張していたんだ。


 なっちゃんはなっちゃんだったけれど、上手く言えないけど知らない男の人のようだった。


「じゃあ、放課後まっすぐに帰るから」と言ってその人は走り去って行った。わたしはぼんやり、その背中が見えなくなるまで遠くを見ていた。


「おはよう。今のなっちゃん?」

「おはよう、いつから見てたの?」


「本当は何回か見かけた。雅と一緒にならないように時間ずらしてたんだけど、なっちゃんと通い始めてから時間が合っちゃう時があって」


「そうだったんだ。わざわざ時間、ずらしてたなんて気がつかなかった。……なんかごめん」

「いいんだ、気づかせちゃったら格好つかないし」


 別れてしまっても隣の席のままの匠は、わたしに背中を向けるばかりだった。それはそうだ。当たり前のように話しかけてくるほど匠だってもう子供じゃない。


 まみっちと桃ちゃんはわたしを心配してくれたけど、わたしが彼を傷つけたわけでわたしが傷つく資格はなかった。だから曖昧に笑って「大丈夫だよ」と言っておいた。


 わたしたちが別れたらしいという噂はまたたく間に教室中に知れ渡ったらしい。誰もわたしたちを一セットとは見なさなくなった。


「なっちゃんはやさしいよな。女にモテるのがわかる気がする」

「……モテるの?」


 なっちゃんと匠はわたしの知らないところでLINEで話したりしているらしく、わたしの知らないなっちゃんを匠は時々、わたしよりもよく知っていた。


「はっきり聞いたわけじゃないけど、話の感じだとそうみたいだよ。うらやましい。頭もいいし、女にはモテるし、雅にはモテるし」


「わたしは関係ないんじゃない?」

「あるよ、俺にはある。雅は小さい時からなっちゃんといつも一緒だったし、こんなに大きくなってもいまだにさっきみたいに送ってもらったりさ。普通、なかなかないだろう? 今までどれくらいなっちゃんに嫉妬したか、雅は知らないから」


「……兄妹だよ?」

「そうだよ、年頃になるとよその兄妹は口もきかないっていうのに、雅はなっちゃんばっかりだ」


 そんなことないよ、と思いつつ、下を向いて歩く。


 そんな、嫉妬の対象になるのはおかしい。確かになっちゃんはわたしにやさしいし、甘やかしてくれる。でもやっぱり、兄であり妹であるという範囲から抜け出すことは一生ない。例え本当の兄、妹ではないとしても。


「匠、荷物、ずっと持ってくれてありがとう。重かったよね。すごく助かった。たぶん今日の放課後、病院に行ったら完治したって言われると思うから」


「そんなこといいんだ。……彼氏らしいことができてよかったっつーか。治ってよかったじゃん。球技にはこれからも気をつけろよ」


 一緒に校門に入るとまたうるさく言われるから、と言って、匠はそこから早足で行ってしまった。

 どうしようもないことだとわかっていても、匠の気持ちに応えられなかった自分を反省した。

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