第24話 世界はひっくり返った①
リビングの床にふたりで座り込む。
なっちゃんの座る右側の指は骨折していて、手を繋ぐこともできない。
なっちゃんはわたしの顔を見て、わたしはなっちゃんの肩に頭を乗せた。
「そんな格好したら指、痛くない?」
「だって手も繋げないし」
「別に手を繋がなくても繋がることはあるだろう?」
ふ、と大人びた顔をしてあきらめたように、なっちゃんはわたしの頭に手を乗せた。
「子供の頃みたいだな。·····俺のつまらない話、してもいい?」
「なっちゃんの話ならなんでも」
「……」
自分から話し始めたことなのに、なぜかそこで言い淀んだ。こんなに近くにいるのに考えていることはわからない。
「俺さ、この家にいていいのかなってたまに考えちゃうんだ」
「俺ね、ちょうど雅くらいの時に自分がこの家の子じゃないって知ってさ」
「それでもみんななにも変わらないじゃん」
「でもさ、それで、考え方をぐるっと変えなくちゃならなくなったんだよ。世界がひっくり返ったような気がして。わかりにくいとは思うけど」
「ごめん、……わからない」
「だよなぁ。これは誰にも言ったことがない秘密なんだ。雅に初めて話してるわけだけど、上手く話せないんだ、中途半端でごめん」
リビングの外の緑はいつの間にか降り出していた雨に濡れていた。細い雨の線が、窓ガラスに跡を残す。
「そのせいで学校に行かないの?」
「まぁ、根本的にはそういうこと」
「そっか……全然よくわからないけど、大切な秘密を話してくれてありがとう」
最後の方は棒読みだった。なっちゃんの話は全然よくわからなかったし、でも、そう言ってあげるのが相応しいんじゃないかと思ったからだ。
「雅がいてくれてうれしいよ」
「ほんとに? 最近そんなことばっか言ってるけど」
「本当だよ。……初めて雅に会った時、雅はまだよちよち歩きだったんだけど、なんてかわいい女の子なんだろうと思ったんだ。
こんなにかわいい子が自分の妹になるなら、どんなことからでも守ってやろうと思った。それは本当。でも、泣かせてない?」
わたしはわたしの中でなっちゃんの話を噛み砕いて消化して、差し出すべき言葉を探した。
でも簡単にいい言葉は湧いてこなくて、その代わりになっちゃんにもっと体を寄せた。なっちゃんはわたしの肩に手を回して、はぁ、と小さくため息をついた。
「雅には負ける……お前、いつでもかわいいんだよ」
「バイト終わるまで今日も待ってるから、早く帰ってきて」
「わかった、わかったからさ」
わたしたちは隣り合わせに肩寄せあって座ったまま、音も立てずに降る雨を眺めていた。
難しいことは置いておいて、このまま時間が止まってしまえばいいのにとバカなことを考えていた。
⚫ ⚫ ⚫
そう、そのまま時間が止まってしまったら良かったのに、ある瞬間、なっちゃんの手がわたしの肩からするりと下りて、突然のことに驚いて顔を上げたらなっちゃんに身を引かれてしまった。
「雅、学校に行かなくちゃダメだよ。内申に響く」
「なっちゃんだって」
「俺のはリフレッシュ休暇。お前のはサボり。サボりは癖になるといけないから、学校に行きなさい」
「……狡い」
「途中までは送ってやるから」
重い荷物は今度はなっちゃんが持ってくれて、もう一方の手で傘をさしてくれる。
急いで支度をしたなっちゃんはトレーナーにデニムでやっぱりよれよれだったけど、私服のなっちゃんと外を歩く機会はそうそうないので、うれしくてたまらなくなる。
彼女みたいにエスコートされるのも照れる。夏休みを思い出す。
「あと、一人で行ける?」
「うん……怒られるかなぁ?」
「怒られるだろうなぁ。俺が代わりに怒られに行く?」
「もう! 冗談ばっかり!」
くくく、となっちゃんは愉快そうに笑った。わたしはその笑顔に安心する。
「おみやげはコーラね、いつも通り。あとはなっちゃんに任せる」
「あとって何だよ? 欲張りだな」
行ってきな、と声に背中を押されて後ろ髪を引かれながら学校に向かった。
⚫ ⚫ ⚫
「話、済んだ?」
「うん、長かったよね、お説教。待たせてごめん」
「だってお前、傘とカバン、一緒に持てないだろう? 行きはどうやって来たんだよ」
「あ、えっとね、カバンは片方の肩に背負うみたいにして傘さしたの。大変だった」
嘘ばっかり。
午前中は小雨だったのに、午後には本降りになっていた。
匠に荷物を持ってもらって、傘だけは自分で持つ。雨音がひっきりなしに傘を叩いて、自然、言葉少なくなる。
どうして遅刻したのか、匠は理由を聞かなかった。
先生には終わってない課題があって、なんて苦し紛れの言い訳をしたけれど、「城崎さんは真面目だからね。受験だからってそんな小さなことにこだわらなくてもいいのよ」と言われた。
でも匠は何も言わなかった。
あの、夏の日のコンビニの入口のところでなっちゃんが傘を持って待っていた。その証拠に傘以外、何も持っていなかった。
「なっちゃん」
「ちょっとだけ迎えに来た。大切な妹だからね。匠、荷物持ってやってくれてありがとう。あとは俺が持っていくよ」
匠はまるで最初からこうなることがわかっていたかのように、なっちゃんに荷物を渡した。
「じゃあ、雅。月曜の朝、また迎えに行くから」
匠は小走りに帰って行った。
「ただの邪魔者だった? 俺」
「さぁ、どうだろう」
「雅に非難されないならいいか。あ、何か買って行く?」
いらない、とわたしは言った。アイスとか、プリンとかそんなものが頭の中に浮かんだけれど、夜中のお楽しみに取っておくことにした。
学校に送ってもらった時と同じように、一本の傘はたたんで、なっちゃんの傘にわたしは入った。そんなことをしたらなっちゃんの肩が濡れてしまうのはわかっていたけれど、近い距離を感じていたかった。
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