第25話 気持ち悪いくらいブラコン

 その夜は珍しくお父さんが早く帰ってきて、なっちゃんを除く四人で食卓を囲んだ。


 会社が休みの日と同じようにみんなでご飯を食べているだけだったのに、なぜかお父さんは上機嫌で、わたしの骨折の具合や、大知の部活について話しかけてきた。


 その穏やかな食事はなっちゃんの不在を忘れさせるくらい和んだもので、逆になっちゃんの存在が忘れられているようで怖い。


 お父さんが帰った時にお母さんが「尚はバイトよ」と言ったきり、なっちゃんの話は出なかった。

 それはとても不自然で、わたしは左手にスプーンを持ったまま愛想笑いしかできなかった。


 ⚫ ⚫ ⚫


 ベッドに入ってからはスマホを開いて、寝てしまわないようにまたTwitterを見たり、友達に誘われたけれど面白いツボがわからない実況を見たり、タップするだけでペンギンがどんどん増えていく不思議なゲームをした。


 単調なリズムで画面をタップする。時々、大きなクジラがざぶーんと海面から跳ね上がる。ゆらゆらと海を漂う海藻のような気持ちになってくる……。


 キキィッとこの前と同じように眠りを破る音がした。わたしは音を立てずに部屋のドアに向かった。ドアを開こうとすると、お父さんの声がした。


「お帰り。今日はもう遅いから、明日、話をしようか?」

「……わかった」


 なっちゃんの足音だけが階段に響く。お父さんが部屋に戻るより早く、できる限り静かになっちゃんの部屋に潜り込む。


「雅?」


 なっちゃんは思わず大きな声を上げて、わたしは人差し指を立てて黙るように促した。


「雅、本当に起きてたんだ?」

「約束したよ」

「そうだな、約束」


 シャワー浴びてくるから、と頭の上をぽんと叩いて行ってしまった。手持無沙汰でなっちゃんのベッドに転がる。


 ……これがなっちゃんのいつも見ている天井か。でも、わたしの部屋と変わったところは特になかった。


 同じ天井を見てるのに、なっちゃんだけ悲しくなるのはなぜなんだろう? 血の繋がりってそんなに大事なの?


「お待たせ」

 体は背中を向けたまま、顔だけひねって声の主を確かめる。そこにはタオルを被ったなっちゃんがいた。


「下からグラス持ってきた。アイス、買ってきたけど冷凍庫に入れてきちゃったよ。食べたい?」


 うーん、と考える。

 十月に入るのにまだアイスは必要なように思えた。でもなっちゃんがまた部屋を出て行く後ろ姿を見るのはさみしい気もした。


「今度にするから、いいや」

「大知に食われるぞ」

「またなっちゃんに買ってもらうからいいよ」


 なっちゃんはコーラのボトルを片手にわたしを横目で見た。わたしはなっちゃんを見て、えへへ、と笑った。


「飲まないの?」


 机の上には炭酸を弾く茶褐色の液体の入ったグラスが置かれていた。じっと、それを見る。コーラが特別に好きなわけじゃなくて、なっちゃんと一緒に過ごせる時間が大切だった。


「うん、もう少ししてから」


 曖昧な答えをして、もう一度ベッドに横たわる。また天井を見上げる。


「ごめん、何か嫌な思いさせた?」

「そんなわけじゃないよ」

「だって雅、いつもより大人しい」


 透明な空気が微動だにせずに部屋に充満していた。

 そこには硝子のような仕切りがあって、わたしはなっちゃんとの間の仕切りを壊すだけの勇気がない。何かが変わってしまうんじゃないかという予感が、わたしの体を縛り付ける。


「軽々しく男のベッドに寝転んだりしたらダメなんだぞ」

「なっちゃんのベッドじゃん」


 それに……この間はここで一緒に転がったじゃん。


 なっちゃんはコーラを置いてわたしの隣にギシッと音を立てて座った。


「何が見えるの?」

「天井」

「見てて楽しい?」

「そういうんじゃない。なっちゃんがこの天井を見て、いつも何を見てるのか知りたいだけ……」


 ふあぁ、と欠伸が出て、天井に目がいかなくなる。おいおい、ここで寝るのかよ、というなっちゃんの声が聞こえる。


 でももう眠気は追い払えそうもなくてわたしをゆったりとハンモックのように包んでいく。なっちゃんの声が、わたしを揺らす。


「雅、部屋まで連れていくから」

「いいよ、ここで今日こそ寝る。子供の頃みたいじゃない?」

「もう子供じゃないだろう? 匠もいるじゃん」


 パチッと、面白くないくらい目が覚める。頭の中がいきなり鮮明になる。


「あのさ、前から言おうと思ってたんだけど」


 よっこいしょ、と眠気で重い体を引き起こす。体は意識より後からついて来る。


「匠となっちゃんは全然別だから。比べようもないよ。崖にぶら下がってたらって話したじゃん」

「……でもさ、兄妹と匠は同列じゃないよ」

「違うよ。なっちゃんは『特別な人』なの。バカっ! 恥ずかしいじゃん、そういうこと言うの……」


 それ以上は恥ずかしくて何も言えなかった。

 なっちゃんの薄い毛布を顔に被って、顔の赤いのがしずまるのを待つことにした。


 なっちゃんが立ち上がる気配がして、わたしの目の前で立ち止まる。うひゃーと思う。



「お前、自分で言ってることわかってんの?」



 ……? 何かいけないことを言ってしまったのかと、ぐるぐる考える。なっちゃんが好きという気持ちに偽りはない。ブラコン? 気持ち悪いくらいブラコン? なっちゃんは引いてる?


 毛布からそっと顔を出した。

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