第22話 大好き

 なっちゃんのわたしより大きな手のひらが、やわらかくわたしの手を包んだ。


「少し、こうしててもいい?」

「いいよ」


 当たり前かもしれないけど、匠と手を繋いだ時とはその感触はまったく違った。そう、しっかりした大人の人の頼りになる手だ。


「こうしてると安心する。子供の頃みたいじゃない? 俺が雅の手をいつも繋いで歩いてた頃のような」


「そうかも。いつもなっちゃんしか相手にしてくれなかった気がする」

「そうだな、あいつらガキだったから。今もだけどな」


 手を繋いだまま、ベッドにごろんと横たわる。

 軽い眠気が戻ってくる。なっちゃんも穏やかな顔をしていた。繋いだ手が心地いい。


 デスクライトが淡い光を放って、右手の包帯がほのかに光を反射する。


 妙に繋いでいる方の手を意識して、鼓動が早くなる。小刻みに手が震えそうで、お兄ちゃん相手にそんなのはおかしいよ、と自分で自分にツッコミを入れる。


「どうしても怖いんだ」


 天井を見上げるなっちゃんの横顔を見つめる。その表情は静かで、言葉とは裏腹に穏やかだった。


「笑う? そんなお兄ちゃん、カッコ悪くない?」


 こっちを向いたなっちゃんに、わたしは首を横に振って答えた。


「笑わないよ。誰にだって怖いものはあるもん」


 怖いものならピンからキリまでいろいろある。テストや受験や、幽霊や死……。わたしだっていつでも何かが怖い。


「先のことを考えると怖いんだよ。情けないよな。自分のことは自分で決められる歳なのにさ。おかしいと思わない?」


「別におかしくないよ。将来のことは大切なことだもん」


「そうだよな、大切だよな。……頼むからもう少し考える時間が欲しいんだよ。進路はもう決まってるはずなのになんでか書けない。文字にできないんだ。それで焦る」


 なっちゃんの話は難しくて理解できなかった。

 けど、震えていたのはなっちゃんの手の方だった。少しでもなんとかしてあげたくて、骨折した右手の包帯を巻いていない親指側の三本の指で、そっとなっちゃんに触れる。


 なっちゃんの目はそこに注がれて、わたしの目を見なかった。それでいいと思った。恥ずかしかったから。


「なっちゃん、わたしはいつでもここにいるよ。忘れないで。なっちゃんがどこへ行ってもどんな時でも、なっちゃんのことを待ってるよ。ここにいるから。小さい頃と変わんないよ」


 なっちゃんも両手でわたしの左手をつかんだ。その手はもうやさしくはなくて、ぎゅっと、何かにつかまるように力強く握られた。


「雅、ここにいてくれるの?」

「大丈夫。どこにも行かないから」

「雅がいてくれるから、俺、ここにいられるんだ」


 約束だよ、と言ったけれど出すべき右手の薬指には包帯が巻かれていた。口約束だけになってしまう。


 なっちゃんの口にした言葉の意味は正直よくわからなかった。わたしがここにいても、いなくても、なっちゃんの家はここだった。


 いつも前を歩いていたなっちゃんが、わたしを頼りに思う気持ちもわからなかった。


 でもそんなことは関係なく、わたしにはなっちゃんが必要だった。


 気のせいかもしれない。

 兄と妹という立場は関係なく、人と人としてお互いにお互いを強く必要としていると感じる。


 わたしだって同じだよ。いつだってなっちゃんがいてくれるからここにいられる。

 同じだよ。なっちゃんといると無理をする必要も無いし、いつでも安心できる。



 ――本当の、雅でいられる。



「雅はいい子に育ったな」

「なぁに、それ?」

「半分くらいは俺が育てたようなものだからな」

「それって言い過ぎじゃない?」

「そんなことないよ」


 緊張がどっと解けて、気持ちが緩む。微笑みが戻ってきて、冗談を言い合える。いつものわたしたちに戻る。


 けど、心の中のどこかはさみしいと言った。


「こんなんしてると、匠にバレたら殴られるな」

「なんで? 兄妹じゃない」

「そんなの関係ないよ、あいつ嫉妬深そうだもん」

「そうかな」

「きっとそうだよ」


 ちょっと意地悪そうな目をして、なっちゃんは笑った。イタズラを思いついた時のような目をして。


「『雅は俺に手も握らせてくれないのに、なっちゃんならいいのかよ』って言うぜ、あいつ」


「ないよー。だってわたしたちのこと、いちばんよくわかってるの、匠じゃない」


「だから雅はお子様なんだよ。男はそうじゃないの」


 ……。

 胸の奥にしまい込んでいた疑惑が持ち上がる。

 言わないと決めていたのに、言わなければよかったのに、口が勝手に言葉を発する。


「なっちゃんだって、あの彼女とどうなったの?」


「別れたって言ったじゃん。疑い深いやつだな。この前話した通りだよ。夏休みが終わったからもう付き合うことはないよ。

 と言っても4回しか出かけてないんだ、ひどいよな。クラスも違うし、あれから口もきいてない」

「でも、LINEもあるし」


 なっちゃんの表情がぐんと変わる。


「あれさ、めんどくさいな。バイトだって言ってるのに『尚くんはバイト? 少しだけでも会えない?』とか。かわいく頼まれてもダメ」


「じゃあわたしがさ、バイト休んでほしいって言ったらどうするの?」

「彼女じゃないだろう……。ま、もしもの話だから。もしも雅がそう言ったら、まずは事情を聞く」


「バイト遅れちゃうよ?」

「もしもの話だからいいんだよ。それで、納得したら『風邪ひきました』って電話するよ。『親戚に不幸』でもいいけど」


 ふふっ、と笑ってしまう。なんだそれは。妹の甘やかしすぎだろう? バイトの責任なんてその程度のものなんだろうか? この前、人に迷惑かけたら……って言ってたのに。


 でもわたしはなっちゃんの過剰な甘やかしを上回ってなっちゃんのおでこに自分のおでこを当てて、手を繋いだままの姿勢でそれを言った。小さな子供のように。



「なっちゃん、大好き」



 予想していなかった展開だったのか、なっちゃんの体温がぐんと上がって、手も汗ばんできた。


「お前さ、言う相手、間違ってないの……?」

「間違えてないよ。今も昔もなっちゃんが好きだよ。それってそんなにおかしなこと?」

「……夏休みに見た映画を思い出しちゃったよ」


 映画の中にそんなシーンがあったのか、二度も見たのに思い出せなかった。

 だからなっちゃんがどんなシーンを今、思い出したのかは知ることはできなかった。





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