第21話 手相占い
帰りも匠はわたしの荷物を持ってくれて、周りのみんなに冷やかされる。
わたしたちが付き合っていることはもう周知のことだったので、あまり気にしないことにする。いつもの道を、話しながら歩く。
「雅、ほんとにお前、元気ないよ。どうした?」
「たぶんそう見えるのは、本当はちょっと手が痛いからじゃないかなぁ」
「やっぱり無理してるんじゃん! そうじゃないかと思ったんだよ」
納得がいった、という顔をして匠はうなずいた。
外から見ただけでは人の痛みはわからない。……痛みが移って胸が痛くなる時はある。たとえば、今みたいな時だ。
あんまり無理するなよ、と言いながら骨折したわたしに遠慮するように匠は帰っていった。
⚫ ⚫ ⚫
「なっちゃん?」
家に入るとなっちゃんはパーカーを着て、ちょうど玄関に出てきたところだった。
「バイトあるからさ。人に迷惑はかけられないだろう?」
「まだ時間までずいぶんあるよ?」
「……今なら、雅にしか会わないで行けるだろう?」
荷物持ってやるよ、と言って階段に向かったなっちゃんの表情は読めなかった。
なぜだかとても悲しくなった。
わたしとなっちゃんの間にあるはずの目に見えない繋がりが溶けて消えてなくなってしまうような錯覚をおぼえた。
「バカだな。二度と会えなくなるみたいな顔するなよ」
「帰ってくる?」
「みんなが寝た頃、帰ってくるよ。そういう心配はいらないから。錨はここに下ろされてるから安心していいよ」
な、とわたしの頭にポンと手を置いた。
じゃあな、と手を振ってなっちゃんは出て行った。
こんな生活が続いたら、なっちゃんは家族じゃなくなっちゃうんじゃないかと新しい恐怖がわたしを襲った。
ただいまぁ、という自分の声は誰もいない家に虚しく響いて、わたしは虚ろな囚人のような足取りで部屋へ向かった。
⚫ ⚫ ⚫
帰ってきたお母さんのイライラは爆発しそうで、その日の麻婆豆腐はめちゃくちゃ辛かった。
大知は「これ辛いから山椒はいらないよ」と何も気にしてない顔で言った。「豆板醤を入れすぎたのよ」とお母さんは料理の出来にも不満そうだった。
小丼にご飯をよそって、麻婆豆腐を乗せてもらう。
スプーンでも食べやすいように。確かに大知の言う通りの辛さだったけれど、それより、左手のスプーンでも簡単に食べられてしまうことが面白くない。
餌付けをしてくれる人もここにはいない。
親を待つ雛になり損なったわたしも、なっちゃんの帰りを待つことはできず眠りが訪れた。
……どれくらい眠ったのだろう。
キキッと小さな金属の音が夜の底を揺るがせて、穏やかな眠りから意識がふわりと呼び起こされる。時計を見ると、まだ新聞配達の時間ではなかった。
わたしは寝ぼけたまま、そっと自分の部屋のドアを開ける。
向こう側の誰かも気をつかって玄関のドアを開ける。息を殺す……。
「なっちゃん」
なっちゃんはわたしの突然の呼びかけに必要以上に驚いたようだった。
「起きてたの?」
「ううん」
目の前に会いたかった人がいることがうれしくて、それはたぶん顔に出てしまっているだろう。
「起こしちゃったか」
「いいの」
後ろ手に自分の部屋のドアを閉めようとすると、予想以上に大きな音がしてびっくりする。
そんなわたしを無言で笑いながら、なっちゃんは自分の部屋にわたしを手招きした。
そっと、その部屋に忍び込む。
「はーっ、びっくりした」
「雅の驚いた顔、すごいおかしかった」
「もう、ひどいなぁ」
なっちゃんは着ていたパーカーをベッドに放り投げると、昨日のようにベッドに座り、わたしに隣に来るよう促した。
「なっちゃん、お腹空いてないの? おにぎり……は作れなかったや」
「大丈夫。バイトの帰りにちょっと食べたから。雅こそ、お腹減ってないの? ちゃんと食べた?」
「お母さんが麻婆丼にしてくれたから食べたよ」
「そっか。俺、食べながら雅が食べられなくて腹減らしてたらかわいそうだなとか思っちゃったよ」
その言葉にくすくす笑う。
「なんだよ、妹思いのやさしい兄貴だろう?」
「そうですね」
お互いに声を潜めて笑い合う。なぁんだ、やっぱりなっちゃんはなっちゃんだ。何も変わったところはない。
「そうだ、雅、手相見てやろうか?」
「手相? そんなの見られるの?」
「教えてもらったの。お前は女だから左手な」
半信半疑で、骨折してない左手をそっと差し出す。
占いなんてちょっと怖いなと思いつつ、なっちゃんの占いなんてあてになるわけないとも思う。
「どれ。生命線、これな? くっきりして素直な線でいい感じ。雅らしいな。こじれてない。それから感情線……」
生命線、感情線となっちゃんのわたしより太い指が線をなぞる。こそばゆいけど、意外と本格的だ。
「感情線は、急カーブだなぁ。キレるとヤバいタイプ」
「もぉ!」と抗議するとなっちゃんは「手相がそう言ってるんだから仕方ないだろう」と笑った。
確かに、なだらかな線がいきなりカーブを描いていた。
「結婚線、見てみる?」
ふたりの目が合う。しばらく見つめ合ったあと、小指の下だよ、となっちゃんが囁く。
なっちゃんからよく見えるように左手を捻る。
「ほら、ここ、見える?」
「短い線だよね?」
「そう。……太い線が二本あるね」
小指の下には確かにくっきりとした太い線と頼りなく細い線が一本ずつ、ある。
一本はもう一本に比べて短かった。ふたりともそれを見たまま、しばらく動かなかった。
「二本あるとどうなの?」
「運命の人はふたりいるのかもな。……忘れちゃったよ、細かいことは」
なんだか狡い気がした。ここまで来て、大事なところではぐらかすなんて。
それでもまだ左手はなっちゃんの手の中で、占いはまだ続くのかというとそういう感じではなかった。
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