第14話 お子様なわたし

「なっちゃん、わたしがさぁ、もしも同じ高校に入ったらやだ?」


 バイト帰りのなっちゃんを捕まえて聞いてみる。何度も聞こうかと頭の中で迷ったんだけど、ぐじぐじ考えてるより言っちゃった方がマシだと思った。

 なのに、足元がそわそわして落ち着かない。


「N高は?」


 なっちゃんは顔だけ向きを変えてわたしを見た。

 ――ああ、やっぱりいきなりすぎたよなぁ。わたしだってそう思う。


「えーと、ほら、例えばの話! なっちゃんの高校って女子の制服、めちゃくちゃかわいいでしょう? あの、セーラーカラーのジャケット、憧れる」


 ああ、と答えてなっちゃんは手を洗いに行って戻ってきた。


「コーラ飲む?」

「いいの?」

「半分ね」


 グラスに褐色の液体が、パチパチと弾けながら注がれていく。それを横から眺めている。なっちゃんがそんなわたしを笑う。コップ一杯がちょうど半分くらいだった。


「そうかぁ。雅がね。考えたこともなかったよ、ずっとN高って言ってたからさぁ。N高もいいよなぁ、黒いジャケットとスカート。あれはあれで真面目で清楚な感じだけど」

「ま、まぁそうなんだけどね」

「確かに雅はうちの高校の制服、似合いそうだよなぁ。髪下ろせばいいよ。きっと似合う。……一年だけでも、俺の後輩になる?」


 ドキッとする。


 考えがストレートに伝わっちゃったんじゃないかって、どうしてバレたんだろうって、なっちゃんの目が見られない。頬がかーっと熱くなるのを感じる。


「妹が一緒だと嫌じゃない?」

「別に。中学も一年間、被ったでしょう? 俺、『尚の妹、かわいいじゃん』って言われたし」

「えー、やだー! そんなのないよ、嘘ばっかり」

「本当だよ。自慢の妹だもん、嫌なわけないでしょう? 痴漢にあわないように、電車も一緒に乗ってあげるよ。雅に彼氏ができるまでなら」


 また『彼氏』か……。

 そんなんなら、『彼氏』なんかできなくてもいいのに。つくづく面倒な存在だ。


「なっちゃんに彼女ができるかもよ?」

「俺は大丈夫だよ、作らないから。今のところ、そういう女はいないしね」


 なっちゃんにはいつも負けてしまう。言い負かすなんてできっこない。

 だんだん、コーラの泡が消えていくように、心のボルテージもしゅんとしてくる。


「今からM高の過去問やって、間に合うと思う?」

「大丈夫だろう? 雅なら推薦取れるだろうし。特進も狙えるよ。それに、受験勉強見てやるよ? N高でもM高でも」



「――あ! なっちゃんたち狡い」



 ハッと振り向くと、大知がそこに立っていた。


「あんた、何しに起きてきたの?」

「ちょっと喉乾いただけだよ。あーあ、夜中にコーラなんてお母さん、怒るよ。なっちゃんならまだしも雅まで……」

「だから呼び捨てにするなって!」


 わたしのグラスを持ち上げると、大知は一息にコーラを飲んでしまった。

 絶句してるわたしをよそに、なっちゃんは、「大知、歯磨きしないと虫歯になるぞ」としれっと言った。


「わかってる」

 弟は洗面台に向かうと歯磨きをして寝てしまった。



「コーラ、やるよ。少し飲んじゃったけど、俺のでいい?」

「別に、どうしても飲みたかったってわけじゃ……」

「素直じゃないなぁ。また買ってきてやるからさぁ。あ、でもいつも待ってたらダメだぞ。寝ないと育たないから」

「もう身長、伸びないよ」

「いや、バストが」


 思わず下を見て確認する。バストはいつも通りかわいげなく平たかった。見る度に悲しくなる。

 なっちゃんはコーラのボトルを持って、にやにや笑っていた。


 ごうっと強い風が不意に雨戸に当たり、ガタンと大きな音をたてた。


「冗談はさておき、もう寝ないと。……気にしてんの?」

「うっさい」

「大丈夫だよ、そのうち大きくなるよ」


 そのうち。

 それっていつのことを言うのよ。突然、ボンッて大きくなるわけじゃあるまいし。


 高校生の胸元をチラ見しても、大きい人と小さい人がいる。自分は後者で、なっちゃんは前者が好きなんだろう、きっと。


「雅。そんなこと……女の子にとっては問題なのかもしれないけどさぁ、気にするなよ。

 雅はさっきも言ったけど十分かわいくて魅力的だから。じゃなきゃ、匠だってあんなにムキになってお前のこと追いかけないだろう?

 あいつ、すごい一生懸命だし、そうさせてるのは雅なんだよ。すごいことじゃん」

「かなぁ?」

「だよ」


「なっちゃん。……今日、匠と手、繋いじゃった」


 ……しまった。

 自分でもなんでそんなことをなっちゃんに言ってしまったのか、驚きだった。


 報告義務もないし、どう考えてもプライベートなことで、言ってしまったら匠がかわいそうな気がした。

 こういうのはたぶん、ふたりだけの秘密にするべきなんだって、お子様なわたしの脳ミソでもわかった。


 いっそう強い風が雨戸を揺らす。台風は近づいている。


「……あー、なんてコメントしたらいいのか」

「そうだよね、わたし、どうかしてた。変なの。忘れて、今の」


 どっちの手、とこの前のように聞かれる。胸がドキドキする。これじゃまるで期待していたようだ。


「違うの、ちょっとならいいよってわたしから……」


 背中に軽く手を組んで隠す。そうなんだってことが大事。


「どっち?」

 その視線の強さに一瞬、たじろぐ。

 いつものふんわりやさしいなっちゃんは、そこにはいなかった。


「えっと、こっち」


 なっちゃんは何も言わずにわたしの手を持ち上げると、両手でそれを包んだ。熱が、伝わる。いつもと違う気がして、何も言えない。


 リビングの古い壁掛け時計は今どき連続秒針じゃない。チッ、チッ、と音をたてる度に過ぎていく時間がものすごく長い気がして、どうしていいのかわからなくなる。


 外では雨も降り始めたようで、風と共にバラバラッと強く雨戸に吹き付けている。


 何も言えない。

 やさしい手から、何かが流れ込んでくる。


「雅は嫌じゃなかったの?」

「小さい頃と変わらないと思えば」

「嫌だったから、言ってきたんだろう?」


 わたしの目を真っ直ぐに見たなっちゃんは少し、苛立っていた。そして、怖かった。


「やたらに手なんか繋ぐなよ。はい、お兄ちゃんからの忠告おしまい。……キスしたからって、代わりにキスしてあげるわけにはいかないんだしね」


 ごめんなさい、とわたしは口ごもった。


「匠だって男だ。もったいつけるくらいで丁度いいんだよ。待たせておけ」



 おやすみ、と軽くデコピンされてなっちゃんはシャワーを浴びに行ってしまった。

 早く寝るべきなのはわかっていたけれど、熱を帯びた右手がやけに存在感を増して、ソファに沈みこんだ。不思議な気持ちで、右手を見つめていた。

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