第13話 みんなが見てない時ならね

 夏休みの終わりはぼんやりしているうちに、まるでそういうレールに乗っていたかのように二学期へとスムーズに続いていた。


 あれから何度か匠は現れて、気まずいことにならないように図書館で一緒に勉強をした。匠のそんな気配りのお陰で、わたしもあまり意識しすぎずそれを乗り越えることができた。


 ⚫ ⚫ ⚫


 ――でも、なっちゃんとふたりで出かけたあの日はとても特別だった。



 当たり前か。

 わたしの周りで年頃になってから兄妹で一緒に出かけたという話はあまり聞かない。

 ましてふたりきりで。


 なっちゃんがわたしに言った通り、来年の今頃は本当の恋人ができて、わたしなんかと出かけてくれるのはこれが最後だろう。


 もしもそうなら……最後の思い出がいい思い出でよかった。


 あの日、あの後、何も言わずに手を引いてくれて、アイスを奢ってくれた。冷たいものを食べて、わたしを泣かせた何かがしゅんと音を立てて火が消えた。不思議な気持ちだった。


 美味しいねって顔を上げて笑うと、なっちゃんは「そうだろう?」と言ってうれしそうに笑った。そうして決してわたしが泣いてしまったことには触れなかった。


 ⚫ ⚫ ⚫


「おはようございます」

「はーい。雅、匠くん」

「あ、ちょっと待って。通知票忘れたかも」


 もうあの子はまったく、置いていってもいいのよーなんてお母さんが言って、玄関をのぞくと匠は困った顔をしていた。


 その間、のっそりとなっちゃんも現れて、いってきまーす、と自転車で走っていった。


 万事が万事、いつも通りだった。こうして毎日は回っていく。


「結局、宿題終わった?」

「終わったよ。雅が隣で見張ってるんだからサボれなかったじゃないか」

「サボりたいみたいに聞こえるけど?」

「そういうんじゃない」


 わたしたちはお互いのバランスを取り戻して、なんとか上手くやっていた。

 元々、友達として匠が嫌いなわけではないし、特に彼女として何かを求められることもなくなって、言えなかったことを言ってくれたなっちゃんには感謝だ。


 ⚫ ⚫ ⚫


 久しぶりー、久しぶりー、と教室のあちこちで同じ会話が繰り広げられて、夏休みにあったことの話があちこちで始まる。


 まみっちがわたしの元にやって来て、「ねー、ねー、何してた?」と聞いてくる。わたしはとぼけて「何してたかなー?」とか言う。まみっちはくすくす笑って、「雅って面白いよね」と言う。


 誰かが、まみっちは夏休み、遊びまくってたような話をしていたけど、正直、興味はなかった。彼女が髪の毛を染めたとか、染め戻したとか、そういう噂にも興味がなかった。


 友だちは友だちだし、プールで会ったあの日から変わったところは何一つなかった。




「席替えは、明日行いましょう」


 担任が言うと、みんな、ひゃっほーと言って喜んだ。

 思う通りに行くとは限らないわけだから、要するに今の席に飽きたってことだろう。前の席替えで後ろの席になった桃ちゃんがわたしの背中をつんつんして「席替え、もし自由だったら近くになろうね」と約束した。


 桃ちゃんは控えめでいい子だ。だけどその控えめなところが、クラスでは「陰キャ」と呼ばれてしまう原因になっている。学校というところも難しい。


 長かった校長先生の話も終わり、青空の下に開放される。九月はまだ真夏だ。台風が近づいているようでむっとした空気が気持ち悪い。




「また席、隣になるといいよなぁ」

「席替え?」

「自由だったら隣になってもいい?」


 別にかまわないよ、と言いながら、行きも帰りも一緒なのに、クラスでも隣にいたいなんてある意味『恋』ってすごいな、と遠くから思う。


 学期始めで、まだわたしと匠のことを噂する子はいなかった。一緒に帰っていったところで、みんな、わたしたちが幼なじみなのは知ってるわけだから特に何とも思わないようだった。


 信号を渡ろうとして、手を引かれる。赤になるところだった。匠は紳士的に、すぐ手を離してくれた。


「いつもよりぼーっとしてる。危ないよ」

「ありがとう、死ぬところだった。……あのー、いいよ、ちょっとなら手、繋いでも」

「え?」

「手だけだよ。その、みんなが見てない時ならね」


 匠は黙ってうつむいた。顔が赤くなっていた。

 信号が青に変わって、少し遅れて渡り出す。もぞもぞと手を繋いでいたからだ。


 このところの匠の紳士的な態度を見ていたら、少しくらいなら許してもいいんじゃないかと思ったんだ。繋ぎたいってそんなに思ってくれてるなら、ちょっとなら。わたしが無理をしすぎない範囲なら。


 どっちの手も汗ばんでいた。

 汗をかくなと言うのも無理なくらい、蒸し暑い日だったから。


 家に着くとすぐに手は離されずに、匠は「ありがとう」と言った。――実を言うと手を繋ぐこと自体にはそれほどの抵抗はなかった。子供の頃は繋いでいたんだと思ってしまえばなんでもなかった。


 ただ、人前で手を繋ぐのはさすがにちょっと、と思う。噂になるのはめんどくさい。あれこれ詮索されるのは勘弁してほしい。


「どういたしまして」


 結局、席替えで匠はわたしの隣の席になった。


 ⚫ ⚫ ⚫


 二学期になると進路指導の集会や面談が増えて、お母さんも忙しそうだった。尚の時もやったからわかってるわよ、と言いながら、資料に一生懸命メモを取っている。


 個人面談も増えて、毎回、同じようなことを聞かれる。


城崎きざきさんは第一志望は公立のN高校でいいのかしら?」

 ちょっと神経質な担任の女性教諭が、眼鏡越しにこっちを見た。


「はい」

「お兄さんはM高校の特進だって聞いたけど、N高校でいいの? 城崎さんの成績なら十分、M高みたいに私立の高いところも狙えるんじゃないかと思えるんだけどな。私立は受験早いから推薦で決まっちゃうと、試験が遅い公立と違って気が楽だよ。私立の単願推薦ならまず落ちないと思うし」

「はい……考えてみます」


 志望校をN高校にしようと決めたのは他ならぬ自分だった。M高校も狙えることはわかってはいたけど、なっちゃんみたいに特待生になるには成績が足りないんじゃないかと思っている。M高は私立だし授業料がもったいたい。


 じゃあどうしてはっきりしない返事をしたかというと……一年間、なっちゃんと同じ高校に通えるのはすごく貴重なことに段々思えてきたからだ。


 たった一年だけど、同じ制服を着て、同じ電車に乗って通学することを想像する。それはすごく特別に魅力的だった。


 でもそれだけのことだ。結局わたしは現実的にN高校に行く。



「面談、終わった?」


 席に着くとすかさず匠が話しかけてきた。さすがに席が隣で毎日一緒に帰っているとなると、噂にもちらほらなっているようだったけど、匠は一向に気にしていないようだった。

 匠としては望んでそうなったのだから、それくらいが丁度いいのかもしれない。


「雅はN高? 決まってるといいよなぁ」

「匠だってスポーツ推薦でしょ。勉強ほどほどでいいからいいじゃない」


「……がんばったところで、同じ高校に通えるほど頭良くないしなぁ。どうやってもN高は無理って担任に言われた。俺、すげー後悔してる。部活なんかやらなくてもいいからがむしゃらに勉強すれば良かった。せっかく付き合ってもらえたのに、高校分かれちゃったらさ」

「つまんない。そういうのって、つまんないと思うよ。自分のしてきたことを誇りに思いなよ。匠にしかできなかったことなんだから」


 そうか、そうだよな、と言って、匠は自習用の数学のプリントに戻っていった。

 人のことはなんとでも言えるのに、自分のことはなぁ。ていうか、ブラコンすぎ。

 窓の外に高い空が開けていた。

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