第11話 夜更かしは距離を縮めて

「……なっちゃんのさぁ、彼女さんはどういう人?」


 冷蔵庫の前で麦茶を飲みながら振り返って、なっちゃんは固まった。ごくん、と麦茶を飲み下す音が聞こえた。


 さすがに真夜中テンションとは言え、聞いていいことと悪いことがあるんじゃないの、とひとりのわたしは言った。

 もうひとりのわたしは、ほら、やっぱり気になってたんじゃないと言った。


 気にならないはずはない。


 お兄ちゃんの彼女なんだし?

 遠目に見てもキレイな人だったし?


「あー。あんまり言いたくない、かも」

「そうだよね……」


 気まずくなって膝の上に置いた手を見る。指先が落ち着かない。

 手を繋いだりしたのか、それともそれ以上だったりするのか、この話はやめようと思いつつ、一度気になると妄想ばかりが広がった。


「あ、焼きおにぎりとかどう? わたし、作れるよ」


 これが現状を打開するための方法だと思った。

 なっちゃんはダイニングチェアをずずっと引くと、麦茶のグラスを持って座った。膝を立ててあんまりお行儀のいい座り方ではなかった。


「あー、なんだ。中学の時に同じクラスで、高校もクラスは別だけど一緒な子。前にも話したけど、つき合ってくれって言われて断ったんだけど、向こうがどうしてもって言うからさ、夏休み限定。でも俺も忙しいから、ほとんど会わないけど。暇がないし」

「それって、ひどくない? スマブラしてるじゃん」


「仕方ないじゃん。言っただろう? 勉強が一番で、バイトが二番。俺だって疲れるんだからプライベートな時間が三番。それでいっぱいいっぱいだよ」

「……でも仲良さそうに服、見てたじゃない」

「あ? いや、選んでくれって言うから」

「満更でもないんじゃない、キレイな人だし」


 そういうわけでもなぁ、と前髪が伸びてきて目が隠れてしまったなっちゃんの顔は赤くなっていた。なっちゃんだって恥ずかしいことがあるんじゃない、と思う。


「まあ、とにかくだ。夏休みいっぱいの約束は絶対だから、もうすぐ俺はまた独り身に戻るんだよ」

「そうですか」

「そうですよ。来年は受験生だからさ、二学期にはいろいろ決めなくちゃいけない」


「いろいろ?」

「中学の時の高校選びと違って、大学を選ぶのは将来を選ぶのとほぼ同義だし。うちはエスカレーターで上に行けるけど、俺は外部に出るつもりだから」

「よくわかんないけど、難しいんだ?」

「雅はまだお子様だからな」


 お子様扱いだ。なっちゃんから見たらふたつは少なくとも年下だから、それはそうだけど。


「なっちゃんは学校とお金が一番で、家族は一番じゃないの?」


 ふと思いついたことを口にする。

 深い考えはなかった。ただ、お母さんが気にしていたなぁという思いが頭の中をかすめた。


 なっちゃんの頭の中のことは見えないからよくわからなかった。わたしをさっと見て、それから下を向いた。


「家族は、大切だろう? そういうのは抜かしてってことだよ。ランク外。入ってて当たり前だからね」

「そうだよね、確かに、家族は大切で当たり前だし」

「当たり前だろう?」

「うん。わたしもなっちゃんが大切だしね。なっちゃんがいなかったら、いちばん上の子になって大変だし」

「そういう理由かよ? 感動して損したわ」

「えへへ」


 いつも通りに空気がやわらかくなってほっとする。なっちゃんが笑っていた。そして、テーブルに放り出してあったコンビニの袋からお菓子を出した。


「食べる? ポテトチップス。他にもあるよ」

「食べる。わーい、なっちゃん待ってて得した」

「あ、だからっていつも起きて待ってたらダメだぞ。約束」

「はーい、約束ね。とりあえずポテチ開けよ?」


 まったく、となっちゃんは苦笑いしながらポテチの袋を開けてくれた。ポテチはなぜかのり塩で、食べているうちに指先が青のりだらけになっていった。


「なんでのり塩?」

「なんとなく、食べたくなったから。嫌なら食べなくていいよ」

「ううん、嫌じゃない」

「夜、お菓子食べると太るぞ」と言いながら、袋からガサゴソとチョコレートとクッキーも出してくれた。


「コーラ飲む?」

「え、寝る前のコーラって虫歯にならない?」

「歯磨きすれば大丈夫だろ?」


 いつもは知らなかった夜中のなっちゃんは、お母さんが心配するようなことはちっともなくて、どちらかと言えばいつもより上機嫌だった。


 夜中にひとりでいるリビングは、寂しかったかもしれないと、そう思った。うちはいつも賑やかだから。


 その夜は一時過ぎまでお菓子を食べながらくだらない話をして、歯を磨いて、それぞれの部屋に分かれた。


 ⚫ ⚫ ⚫


 あ、寝すぎた……。


 いつもはみんなと朝ごはんを食べるのに、もう十時だった。

 そう言えば、夜中になっちゃんと盛り上がっちゃって、その後、布団に入ってからもなんだか楽しい気持ちが続いちゃって、すぐに寝られなかったんだ。


 誰も起こしてくれなかったのかな……?


 そうだ、匠も今日は来ていない。昨日の今日だもの、仕方ない。

 とりあえずお腹も空いたし、パジャマのままよろよろと階段を下りた。


「お、ようやく起きてきた。お腹空いてるんじゃないの?」

「おはよう……お腹空いたぁ」

「よし、では今日は特別になっちゃんがおにぎりを……なんてな。お母さんが目玉焼き、雅の分、残してあるよ。ご飯にする? パンにする?」

「んー、じゃあパン」

「焼いてやるから顔洗ってこい」


 上機嫌ななっちゃんがパンをトーストしてくれている間に、洗顔をして髪をとかす。じーっと鏡を見る。いきなり美人になってたりはしない。


「焼けたぞー。冷めちゃうぞ」

「はーい、今行きまぁす」


 テーブルについてじっとなっちゃんの目を見る。おかしな話だけど、昨日、なっちゃんと夜更かしをして、今までよりずっとふたりの距離が縮まった気がする。ふふふ、と笑ってしまう。


「今日もバイト?」

「今日は休み」

「後で、スマブラしようよ」

「ダメ。今日は残りの宿題やらないと。もう二学期まで日にち、ないだろう? 大体、スマブラ、本当はそんなに好きじゃないくせに」

「……だって他に一緒に遊べるものってないじゃない」


 真正面のなっちゃんは真顔になった。


 仕方がないんだ。わたしはまだ中学生でなっちゃんは高校生だし、まして性別が違えば遊びも違う。

 なんだかつまらなくて、目玉焼きの目玉の部分にフォークを突き刺す。ひどい横暴な行為だ。


「……映画でも見に行くか?」

「どの?」

「ほら、あのアニメ。一緒に見ようって……」

「匠と見てきちゃった」


 なっちゃんはぽりぽりと頭をかいた。うまい具合に話が回らない。


「あ、でも。なっちゃんと一緒にもう一回見たいかも」

「いーよ、いーよ、気をつかわなくて」

「本気だよ。なっちゃん、支度してよね。デートじゃないからって、せめて髪の毛ちゃんとして!」


 その後は猛然とパンを食べて、黄身がどろっと流れた目玉焼きにケチャップをかけてスプラッタな感じの食事をいただいた。


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