第10話 もしもなっちゃんがいなくなったら?
とん、とん、とリズミカルに階段を下りる音がして、なっちゃんが着替えて下りてきた。お母さんが腰を浮かせる。
「尚、何か食べていきなさい。まだ時間あるでしょう? パン一枚でもいいから」
「……あー。帰りに何か買ってきて食べるよ」
「ダメ、何を遠慮してるのかわからないけど、家にお金入れたりしたらタダじゃおかないわよ。携帯料金だってこっちで払うんだから。毎日ちゃんと食べなさい。それもバイトのうち」
「……うん。じゃあパン食べていくよ。雅、焼いて」
「なっちゃん! わたしがおにぎり作ってあげる。なっちゃんの好きな梅干しの入ったやつ」
なっちゃんはこっちを見て笑った。さっきまで難しい顔をしていたのに、ぱっと表情が変わった。
「どうかな? 雅のおにぎりはすぐにぽろぽろこぼれてくるからなぁ。時間に間に合うように作ってよ」
わかった、と言って台所に入り、まず梅干しを取り出した。
お母さんがわたしとなっちゃんの顔を交互に見ていた。確かにここ数日でわたしたちの仲は前より良好になったかもしれない。
やさしい兄に感謝しつつ、ラップに包んでおにぎりを結ぶ。ご飯が手のひらに熱くて、真っ赤になる。
「どう?」
「もう少し」
梅干しの種を取って、ぎゅっと握る。崩れないようにぎゅっと握って、海苔を巻いた。
「今日のはどう?」
テーブルに身を乗り出して聞いた。自分的には三角に結べて上出来だった。
「うん、崩れないね。梅干しも真ん中に入ってるし、上出来」
やっほー、と飛び上がりたいくらいうれしくなる。なっちゃんもわたしを見てやさしく微笑んだ。やり遂げた充足感がわたしを包み込む。
「あんたたち、兄妹なのに相思相愛なのね」
緑茶をいれながらお母さんはつまらなさそうに呟いた。
⚫ ⚫ ⚫
夕食の支度を手伝って、ほうれん草を切る。
今日はほうれん草と油揚げのみそ汁だ。油揚げは細く切って冷凍してあるのをバラバラと鍋に入れるだけの簡単みそ汁だ。
「尚、どう?」
「どうって?」
「お母さんがいない時はどうしてるのかと思って。バイトも大変だと思うし、そうかと思うと学校の勉強もおろそかにはしてないみたいだし。お母さんの前ではさっきみたいにあんまり話さないからさ、難しい年頃だなと思って」
お母さんの話してるなっちゃんは、わたしの知ってるなっちゃんとあまり重ならなかった。
確かに忙しそうではあるけれど、いつものんびりとしていて、家の中ではリラックスして見えた。
「なっちゃんは普通だよ? いつもと変わんないし、むしろわたしが困ってるといつも助けてくれるし」
「雅は本当にブラコンなのねぇ。ん? 尚がシスコンなの?」
お母さんはマグカップを抱えてくすくす笑った。だって本当のことだし、隠すようなこともないし。なっちゃんはいつもわたしにやさしいし。年上だから当たり前かと思っていた。
「まあ、雅にそうしてるうちは問題ないか。親とは何かと話したくない年頃なのは仕方ないしね。でもさ、もし、尚が悩んでるようなことがあったら、お母さんに教えて?」
「うん、そうするよ」
わたしにはお母さんの言っていることはちんぷんかんぷんだった。まるで宇宙語を聞いているかのようだった。
なっちゃんが反抗期みたいなことになってるなんて思ってもみなかったし、何より、なっちゃんはなっちゃんだったし。
だけど、お母さんの言っていることがもしも本当だとしたら、なっちゃんは何を悩んでいるんだろう? 誰にも話せない悩みって何なんだろう? 妹には、さすがに話せないのかもしれない。なっちゃんにもプライドがあるだろうし。
でも、お母さんの心配するようなことはきっと何もない。お母さんたちに素直になれないだけなんだ。男の子だし、仕方がないことだと思えた。
⚫ ⚫ ⚫
とは言え気になって、お母さんに早く寝るように怒られながら生返事をしてリビングのソファでごろごろしていた。
バラエティ番組をつけて、スマホでTwitterを見ていた。ながら、である。
「ただいまぁ」
なっちゃんの声がする。おかえりなさい、を言うべきか迷う。なっちゃんを待ってたなんて思われても恥ずかしいだけだし。
おかえりー、と小さい声でもごもご言う。
「あれ、雅、まだ起きてたんだ?」
「うん、まあね」
何が「まあね」なのかは自分でも謎だった。
「珍しいな」
「たまにはね」
「LINEでもしてんの?」
「TwitterのTL見てただけ」
「ふうん。なんか生意気。ついこの間まで小学生だったくせに」
ついこの間っていつよ? わたし、来年から高校生なのに。なっちゃんと同じく高校生になるのに。
わたしは大きく憤慨した。
せっかく起きてたのに損をした気分だった。
それでも、なっちゃんの短いシャワーが済むまで同じようなツイートばかりが飛び交うTLを眺めていた。
スマホって、長い時間使ってるとつまんないことを知る。ぼーっと、同じ画面を見ている。猫が立ち上がっては転び、走ってきては眠る。そんな動画を繰り返し、繰り返し。
「まだ起きてたの?」
「なっちゃん、お腹空かないの?」
「帰りにコンビニでちょっとつまんだから」
「ふぅん。おにぎり食べるかなぁと思ったのに、それじゃあいらないね」
できるだけ本気で言ってるわけじゃないんだという感じで話す。
タオルで髪を拭きながら部屋の中になっちゃんは入ってきて、わたしの寝転んでいるソファの隣に腰を下ろした。
そしてわたしの顔を見た。
シャワーを浴びたばかりのなっちゃんの体からシャンプーの香りと、一段高い体温がふわっと伝わる。
「それで待っててくれたの?」
「……別に。確かにちょっとなっちゃんは偏食が過ぎると思うけど」
「偏食ではないよ。ムラ食い」
「どっちでもいいけどさッ、労働の後はお腹が空くんじゃないかと思っただけだよ。でも決してなっちゃんのために起きてたってわけじゃないし、わたしは夏休みならではの夜更かしを満喫してただけだし」
「Twitter、つまらさそうに見て?」
「そ、そんなことないよ。フツウじゃん、Twitterくらい」
どれ、とひとのスマホをのぞこうとするのでバッと隠した。
「まだ受験生だからな。受験終わったら面白いアプリ教えてやるよ」
「……来年はなっちゃんが受験生じゃん」
「確かに。でも遊ぶのは雅だからいいんだよ」
一緒に遊んでくれなくちゃつまんないじゃん、と思いつつ、またスマホの電源を入れて、新しいアプリを探すふりをした。
「あ、お前、一緒に遊ばないとつまらないって顔したな?」
「……つまんないじゃん」
「来年の今頃は匠じゃないとしても、俺なんかと遊ぶより楽しい彼氏ができてるよ。雅、かわいいし」
「何それ? かわいくなんてないし。彼氏がもしできたとしたって、家でなっちゃんと遊んだらいけないの?」
「いけなくはないけどさぁ。ネットは繋がってるから離れてる彼氏とも遊べるし、そうなったら俺なんかより彼氏に夢中だよ」
わかんないなぁ、と思う。
だって彼氏ができたってなっちゃんはお兄ちゃんなわけだし?
大体、家で遊んでる時、わたしとスマブラで遊んでくれるの、なっちゃんしかいないし?
なっちゃんがいなくなったりしたら……いなくなったりするはずは……大学に行ったら……?
「なっちゃん、とにかくわたしはなっちゃんと遊ぶ。彼氏ができてもなっちゃんと遊ぶ。だから」
「だから?」
家にずっといてほしい、なんておかしなことは言えない。わたしがたとえ、お母さんの言う通りすごいブラコンだとしてもさすがにそれは重い。そんなこと言われたらフツウに怖い、と思う。
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