第9話 クーリングオフ期間後の彼女
カレカノになるってことは、ある程度の覚悟が必要なのかもしれない。つまりわたしにはその覚悟がない。
昨日まで兄弟も含めていっしょくたに遊んで育った幼なじみはやっぱり兄弟とはあまり変わらなくて、今のところひとりの部屋で『思い出しきゅん』とか、なったことがない。
どちらかと言うと「なんだそれは?」だ。
今まで誰とも付き合ったことがないので、前例がない。過去の自分に聞いても「知らなーい」としか、みんな答えなかった。
⚫ ⚫ ⚫
なっちゃんと匠はどっちも大きな声は出さず、静かに話し合っているようだった。
いつ、部屋に戻っていいのかわからずに、とりあえず台所に行って麦茶を飲む。お母さんの煮出してくれる麦茶は安定の味で、ほっとする。
階段を下りてくるふたつの足音がして、どきりとする。まるで裁判の結果待ちのようだ。判決が怖い。むずむずする。……やっぱりあれくらい、見逃すべきだったのかもしれないという後悔が渦を巻く。
なっちゃんの手のやさしさがふわっと広がる。
「雅」
ことり、覚悟を決めてグラスを置く。
「さっきはごめん。なっちゃんに言われた通りだと思う。好きなら我慢も必要だし、雅に怖い思いさせたんじゃ好きになってもらえない。だから……変なことはしないって誓うから、頼むからもう少し、彼女でいてくれない?」
なっちゃんに目を向けると、許してやれよ、という顔をしていた。
許す、許すのか……。それって許したくないってことじゃないの? わたしはこのまま匠と付き合っていけるの?
「俺が言えたことじゃないけど、好きだから手を出したいっていうのはある。好きな子には触りたい。だって魅力的に見えるだろう? 好きな子の髪や、ほっぺには触りたくなるんだよ。素敵だからね」
それって懐柔策じゃないの? みんなしてわたしを何とか取り込んでしまおうとしてない?
わたしはいつでも懐疑的だった。
「でもさ、それでも我慢する。この間も話したけど片想いが長かったから、つい触ってみたくなって。彼女になったんだから、少しはいいかなって思っちゃって。……怖い思いさせたんならごめん」
「わたしもいけないの。なし崩し的に付き合うことになったとはいえ、彼女になったのに。覚悟が足りない……のかも。わたし」
「匠、やっぱり少し待ってやれば。こんなに女の子な雅なんて見たことないし、放っておいた方が匠のこと、意識するんじゃない?」
「……」
匠はうつむいて黙ってしまった。
それはそうだよ、付き合い始めてからまだ一ヶ月ほどだもの。クーリングオフ期間は過ぎてるし、わたしの態度はいつでも曖昧だし、なっちゃんまで出てくるし。匠にとっては納得のいかないことばかりだろう。
「大丈夫だよ。さっき、匠は約束してくれたし。その……ゆっくり、ゆっくりでも許してくれるなら」
「許して欲しいのは俺の方で。本当に無神経でごめん! 大切にします! だからよろしくお願いします!」
なっちゃんの顔をそっと見た。
わたしを見て、にやっと笑った。そうして階段を上っていった。
「俺、付け上がってた。毎日、会いに来たりして。会えば会うだけ、雅との距離が縮まってるんだって思ってた。違うよな、そういうことじゃない。よく考えてみる。出直すね」
匠も二階に上がって、わたしはひとりリビングに取り残された。
イスの背もたれに体重をかけてだらしなくもたれかかる。
会えば会うほどふたりの心の距離は縮まって、お互いもっと好きになっていく……。違うんだ? わたしも頭の中ではそう思ってた。
確かにわたしたちの毎日は、それまでの日々の延長線だった。
⚫ ⚫ ⚫
「匠、帰ったの?」
「うん」
なっちゃんのベッドに腰かける。わたしまでバツが悪くてしゅんとする。なっちゃんは勉強を始めようとしたところだったらしく、机の上には分厚い参考書がノートと一緒に開かれていた。
「結局、どうなった?」
「……匠が、わたしに合わせてくれるみたいな?」
「あいつも一途だよなぁ。子供の時からずーっと同じ女の子を思ってるなんてさ。よそ見したりしないのかよ。あ、いちばん近くにいたからだろうとか、つまらないこと考えるなよ。雅にはそれだけの魅力があるってことだ。ゆっくり待ってもいいって思えるくらいのさ」
「そんなのないよ」
「あるよ、俺の妹だもん」
そう言われると落ち着かなかった心の中の何かがことん、と正しい場所におさまった気がした。なっちゃんの声はあくまでやさしかった。
「雅は十分、かわいい。『恋』をしてる雅はもっとかわいい」
ぽん、と頭を叩かれる。
「『恋』してないよ?」
「バカだな、今みたいに相手のことを一生懸命、知ろうと思ってる状態がもう、『恋』だろう?」
「これが『恋』だっていうの!?」
「『恋』だよ。なんだか胸が苦しいだろう?」
狐につままれたような心持ちで、なっちゃんにありがとうを言うと部屋を出た。
⚫ ⚫ ⚫
お母さんがパートから帰ってきて、買い物を片付ける手伝いをするために階下に行った。
「あら、今日は匠くん、もう帰ったんだ。いつもお母さんが帰ってから帰るじゃない?」
「うん、まあ」
「なぁに? ケンカでもしたの?」
わたしは台所の入口に立って足をもじもじさせた。あれはケンカというんだろうか? 痴話喧嘩、では少なくともないはずだ。
「ねえ、お母さん、どうしてお父さんと付き合うことにしたの?」
「え? ……そうねぇ、言ってもいいのかしら。お父さんから告白してきたのよねぇ」
「え!? お父さんから?」
お父さんは仕事でほとんど家にいなくて、いても穏やかで静かな人だった。怒ることもなければ干渉されることもない。小さい時はよく遊んでもらったけれど。
「意外に思うかもね。でも、お父さん、その頃はよく喋って、笑って。だから突然『好きだ』って言われて正直、ちょっと困っちゃった」
「友達だったってこと?」
「そうそう。最初から恋人ってことはないんだから、友達からってケースがいちばん多いんだろうけどね」
ふふふ、とお母さんは笑った。お茶でも飲む? と聞かれたので、うん、と答えた。もっと話を聞きたかった。
「なぁに? 雅は匠くんとのことで悩んでるんだ?」
「え、別にそんなわけじゃないけど」
「あるある。顔に書いてあるもの」
「嘘つき、書いてないよ」
カタン、カタンとふたつのマグカップをテーブルに置くと、ティーパックを取りにもう一度台所に戻って、お母さんは席に着いた。
「『初恋』だもんねぇ。いいなぁ」
「だからわたしが好きになったわけじゃなくて……」
言ってしまってハッとする。それはあまり人に言っていいことではないような気がしたから。
「ねえ、お父さんの話じゃないけど、お互いに最初から好きだったなんて話はあんまりないんじゃないかしら? どっちかがどっちかを好きで、そこから始まる『恋』も多いんじゃない?」
「そうかもしれないけど……ついていけないっていうか」
「それはふたりの問題ね。はぁ、とうとう雅と『恋愛』について話し合うようになったのか」
「『愛』はないよ!」
「まあまあ、落ち着きなさいよ。いいじゃない、そんなことで悩めるのは今のうちだけなんだから」
まったく同じ女であるお母さんまでそんなふうだとは思わなかった。
お父さんに言われてからの戸惑いは?
それからどうして付き合おうと思ったの?
お父さんのことをもっと知りたいと思ったのはいつ? ……知りたいことは山ほどあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます