第7話 大人は『秘密』を作れる(1)
なっちゃんを見つめたまま、じーっと何も喋らずにいた。口をぎゅっと真一文字に結んだ。
複雑だった。
世間てそんなものかもしれないと思うけれど、やはり兄に彼女ができたと知れば動揺もする。
ましてそれを自分の彼氏が先に知っていたとなるとなんだかプライドの問題になってくる。
彼女がキレイなひとだったとすれば尚更だ。……それは関係ないか。
とにかくわたしとなっちゃんは、見つめ合ったままボケーッと玄関にいた。
そのうちなっちゃんが家に虫が入ることを思い出したのか、ハッとなってドアを閉めた。バタンという音にドアくらい閉めておけよ、と思う。
どちらも一歩も動けない状態だった。
何しろわたしはあのショッピングモールにしかないショップの袋を持っていたし。しかもご丁寧にそれは膝の上にあったし、なっちゃんが気が付かないわけはなかった。
「ああ、なんだ、うん。……匠からLINE来てたよ……」
どーんと重い荷物がなっちゃんの両肩に乗っかったような錯覚を見た。
「あ、そうなんだ。仲いいね、匠と」
「まぁな、ほら、俺だって匠とは歳が違っても幼なじみだしさ」
「そうだよね。そっか、気が付かなかった。いつLINE送ったんだろう?」
「……なんか、ごめん。報告しておくべきことだった?」
「……別に」
歩き疲れて重いだけだったはずの足が自由に動いて、ゆっくり家に上がる。サンダルのストラップをわざとらしくゆっくり外す。
お母さん、何か手伝おうか、と言いながらなっちゃんはそこに置いてきた。
⚫ ⚫ ⚫
「ふふふ、おかしい。尚の彼女、見ちゃったんだ?」
「見ちゃったっていうかさ、いたんだもの」
「尚だって雅と同じく、むしろ雅以上に、お年頃だもん、そんなことに腹を立てても仕方ないでしょ?」
「腹立ててないもんッ」
お母さんの隣で食器を拭きながら、ぶつぶつ今日あったことを話す。お母さんは笑ってばかりだった。
「まぁ、尚の方があんたより大人よねぇ。『秘密』が作れるんだから」
「何それ? わたしは『秘密』も持てないってこと?」
「なんだかんだ、匠くんとこーだった、あーだったって話してるじゃない? あ、お父さん、帰ってきた」
⚫ ⚫ ⚫
なんなのよ、なんなのよ、なんなのよ!
わたしはお子様で、なっちゃんは大人なのか? ……確かになっちゃんはわたしより歳が二つ上だけどさ。
彼女は同級生なんだろうか、それとも、先輩・後輩の関係? 年上の人? そんな気もする……。いや、そんなことはどうでもいい気がする。
「まだ怒ってんの?」
「怒ってなんかないよ!」
なっちゃんは冷蔵庫からスーパーカップを出して、スプーンを取りに隣にやってきた。人の顔色をうかがうようなことをするなら、近づかなければいいのに。
「夏休みに入る時さぁ、夏休み限定で少しでもいいからつき合ってほしいって言われたんだよね」
「聞いてないし。……大体、少しでもいいって何? あんなにキレイな人がへりくだる必要ないでしょ」
「だってさ、俺、夏休みはバイトやって勉強もがんばるって決めてたし。まぁ、スマブラばっかやってると思ってるかもしれないけど」
お行儀悪く、立ったまま冷蔵庫にもたれかかるようにしてアイスを食べている。
別に釈明してほしい何かがあるわけじゃない。ただちょっとイラッとしてるだけで。
そう言えばまみっちがいつだったか一緒にいる時、なっちゃんを『カッコイイ』と言った。さらに『紹介してほしい』と言った。
なっちゃんは背が高くてスラッとしていて、学校に行く時は髪ももしゃもしゃじゃないし、私立高校の特進クラスの特待生、つまり成績がいいから学費は無料で通っている。
まみっちは『超お買い得物件』だと言った。
「なっちゃんて、モテるの?」
「……何だよ急に」
「友達が『モテそう』だって言ってたから」
「……どうかな? つーか、そんなこと妹に真正直に話すか? 話さねーだろ、フツウ」
「ま、いいけど。ちょっと驚いただけだよ、それだけ」
わたしは使い終わったふきんをハイターに漬けた。なっちゃんの、アイスを食べる手が止まった。目と目が合う。
「俺だってお前が匠とつき合うなんて思ってなかったよ」
「あれはね! ……あれは、その、告白された瞬間になっちゃんが現れたから。本当はあの時まだ返事してなくて、なっちゃんが『つき合ってるんだ』みたいに言うから流れでそうなっちゃったみたいな。……『好き』とかよくわかんないよ」
なっちゃんの大きな手が珍しくわたしの頭を撫でて、ちょっとくすぐったい。小さかった頃を思い出す。あの頃は、いろんなことがシンプルで良かったのに。
「そっか、勘違いしたのは俺だったのか。本当は匠をフるつもりだったの?」
「わかんない。今のままでいいのにと思った」
「つき合い始めちゃったけどいいの? フるなら早いうちの方がお互いの仲も修復しやすいと思うけど」
唇を、ぐっと噛む。ほとんど泣きそうだ。
「だってそんなのできないじゃん」
「……つき合ってればさ、長くなればなるほど手を繋ぐだけじゃ済まなくなるよ? 俺は雅が泣かないのがいちばんだけど」
「……わかってるよ。わかってるけど、じゃあレールの上を走り出しちゃった時はどうしたらいいの? もう止まれないじゃない」
「言ってやろうか?」
「……もう遅いよ」
なっちゃんはそこでため息をついた。
それはわたしをバカだと思ったからなのか、それともなっちゃんが原因でわたしたちがつき合うことになったことに責任を感じているのか、見分けがつかなかった。
なっちゃんはアイスを大きく掬って、わたしの前にカップを差し出した。
「半分やるよ」
「食べかけじゃん」
「遠慮するなよ」
「年頃なんだよ」
「兄妹なんだから気にしないだろう、そういうの。もらっとけよ。それから、何かあったら悩まずに必ず相談するんだぞ。約束」
じんわり、涙が滲んできた。
本当は怖かった。男の子とつき合うなんて、まだまだ先でよかった。この先、どうなっちゃうんだろう、高校が分かれてもずっとつき合うのかな、とか、ずっとっていつまでだよ、とか、いろいろ不安だった。
「よしよし、泣いていいよ、少しだけな」
「怖いんだもん。なっちゃん、カレカノなんて怖いよ」
「まだ中学生だしな。そのうち、匠には悪いけど雅が本当に『この人が好きだ』って思う人ができて、『恋』なんてそれからでいいんだよ、本当は」
「……なっちゃんの彼女さんはそういう人なんだね?」
なっちゃんは台所の床に座り込むと、わたしにも同じようにするよう、促した。深夜の台所で、兄と『恋』について本気で話し合うなんておかしな話だ。
「そういうのは良くないんだとわかってるんだけど、さっき話した通り夏休みの間に少しつき合うだけの約束だから。彼女には悪いけど、本気の人じゃないんだ。だから何回かデートはするかもしれないけど、それだけだ」
「それってひどくない?」
「ひどい」
「すきじゃないのにつき合うなんて不誠実だよ」
揺れる視線の中、急になっちゃんが大人びて見えた。
「そうだよ、すきな人じゃないんだよ」
それは夜中にスマブラを教えてくれたなっちゃんとは違う人だった。
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