第6話 なっちゃんの彼女
翌日は出かけたきり、なっちゃんは帰ってこなかった。
代わりに電話が入って、遅くなったからそのままバイトに行くよ、と言った。
テーブルの上ではなっちゃんの好きなゴーヤの甘酢漬けが帰りを待っていた。
今までそんなことはなかったので無言で驚くわたしと大知に、お母さんは「男の子だし、年頃だし、いろいろあるでしょう」と言って、素知らぬ顔をして煮た手羽先に口をつけた。
骨の多い手羽先は苦手だったけど、うちは男の子ふたりだから肉を食べないわけにはいかない。油っこい手羽先を少しと、口直しにゴーヤを食べた。
――なっちゃん、どうしたのかなぁと思わずにいられない苦さだった。
⚫ ⚫ ⚫
その晩はなんだか落ち着かなくてスマブラをしているふりをしてなっちゃんを待っていた。
なっちゃんは当たり前のような顔で帰ってきた。
その日のなっちゃんはいつもの寝癖もキレイに直してあった。きちんとしていると、まるで知らない人のようでなんだかその口ぶりに余計頭に来た。
「早く寝ないと明日も匠来るんだろ」と余計なことを言ったので腹が立って寝てしまった。
でも翌日にはいつもと同じくボサボサの髪をして朝食の席に着いていた。
⚫ ⚫ ⚫
わたしたちも宿題とスマブラの日々に飽きて、近くのショッピングモールにでも行ってみようかという話になった。
要は気晴らしのウインドウショッピングで、特に何も買わなければ飲食代だけで済む。冷房完備。
お昼はマックかサイゼでいいよね、という話になる。
ショッピングモールの中は平日なので人も少なく、冷房が効いていて気持ちがよかった。
最寄りの駅からは無料バスが出ていたので歩く必要もなく着いて、それでも背中にじっとり汗をかいていた。平たい胸の谷間に、すーっと汗が一筋、流れる。
「やっぱ、服とか見る?」
「ん? 匠はそれじゃつまらなくない?」
「彼女に服選んだりするのって、特別な感じがしない?」
「そ、そうなんだ……」
『彼女』と一括りに言われてしまうことにまだ慣れない。何か半透明な膜の向こう側から呼ばれているような気がする。
そうか、彼女というのは彼氏に服を選ばれたりするのか……。
てっきり彼女がデートのために一生懸命、着ていく服を選んだりするのかと思ってたけど、そういうこともあるんだ。
下を向いて、自分の服装を点検する。急に自信がなくなる。洒落てるかはわからないけど、一応スカートだった。
「行こう」
差し出された手にはじめ、素直に手が伸ばせなくて、一瞬、躊躇う。
匠がわたしの目を見て、わたしの気持ちを汲み取って、手を引っ込めようとする。勇気を出して、彼の手をつかんだ。
ふぅ。
「さ、行こう。半額セールだってさ」
匠はうれしそうにわたしの手を引いて、いつもはわたしが近寄らないような大人っぽい、お値段の違う一角に進んで行く。
お姉さん向けの雑誌に載っているショップだ。決して中学生向けではない。
いくら彼女の服を選びたくたって、何が似合うのか考えようよ。あんなデザインの凝った服、中学生には似合わないって。
もう、困ったなぁ。でもこういうのが楽しいのかなぁと思いつつ、手を引かれるままついて行く。あのお姉さんたちに混じって、一枚ずつ服を見るのか……。
「なっちゃん」
「え?」
ショップの前面にある、トップスのセール品コーナーになっちゃんが立っていた。
Tシャツにデニムだったけど、あのTシャツはなっちゃんのお出かけ着であることをわたしは知っていた。どこかのブランドの、ロゴは前面に入ってないやつ。お気に入りの。
「なっちゃんの彼女、美人だな。さすが高校生」
さすが高校生、の部分はよくわからなかったけれど、なっちゃんの隣には確かに女の人がいた。長い、緩いウェーブのかかった髪をした人。
その人はなっちゃんに向けて、自分の体に当てたトップスを選んでもらってるようだった。
――なんでこんな時に居合わせちゃったんだろう。
なっちゃんにだって、彼女くらいはいてもおかしくないことはわかっている。わたしに彼氏ができたように、なっちゃんにも彼女はできる。
ましてなっちゃんは学校でも成績優秀で、ボサボサな髪の毛を調えれば見栄えも良くなる。
家では猫背気味な背筋も外では伸びる。きっとモテるんだろう。
普段、わたしはそういうふうな目でなっちゃんを見ることをなんとなく避けていた。
なっちゃんが、男の人だということを正視せず、わたしにとっては、いつもやさしいお兄ちゃんだった。
本人には言いたくないけど、なっちゃんがカッコイイのは隣にいるわたしが本当はいちばんよく知ってるんだ。
その競争率の高さをかいくぐってなっちゃんの彼女になった人は、お化粧をして大人っぽくて、わたしから見るとキラキラして見えた。
とにかく見てはいけないものを見た気がして、急いでその場から去った。匠はおろおろしながらわたしを追いかけてきた。
「どうしたんだよ? なっちゃんに彼女がいてショックだった? 知らなかった?」
「匠は知ってたの?」
「スマブラしてた時に、たまたまそういう話になったから。いつも通り、怠そうに答えてたけど」
「……そっかぁ」
「甘いものでも食べる? パンケーキとか行ってみる?」
「あー、うん」
いつまでもその近辺にいても仕方がないので、フードコートを目指して歩き始める。
ちらりと振り向くとあのショップが目に入る……。なっちゃんは指をさして彼女に何かを話しかけていた。服を、選んでいるんだろう。「似合うね」、「そっちよりこっちの方がいいかな」、「カワイイ系だね」。
匠の手がわたしを離れたところに運ぶ。
⚫ ⚫ ⚫
「ただいまぁ」
「あら、思ったより早かったじゃない? 匠くんは紳士的なのね」
「歩き疲れちゃって。足が痛い」
「あすこ、広いもんねぇ」
迎えに出たお母さんは何かを煮ていたらしく、忙しそうに台所に戻っていった。
疲れてサンダルを脱ぐためにしゃがんだ姿勢のまま、立ち上がれない。今日の出来事を反芻する。
――わたしって実はブラコンだったのかなぁ? まみっちにそう言ったら、絶対そうだよって言われそう。
しゃがんだ膝の上に手のひらを乗せる。いつまでも玄関に座り込んでいても仕方がないので立ち上がる心の準備をする。
膝に手を置いて、さあ。
ガチャ。
乱暴にドアが開いた。
「ただい……うぉっ? 雅、こんなところで何やってんの?」
まだ座ったままだったわたしは上目づかいでなっちゃんを見つめる。
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