第5話 「嫌」なものは「嫌だ」
中学生のお小づかいなんて今どきたかが知れてるし、面白くないことに高校生にならないとアルバイトもできない。
なっちゃんは週三回バイトをしていたけれど、わたしに臨時収入はなかった。
しかも、この炎天下、外をほっつき歩くには暑すぎた。
「おじゃましまーす」
靴を脱ぎながら匠が玄関を上がってくる。毎日のように通ってきてるものだから、段々そういうのがルーズになる。
「おー、匠。昼、何がいい?」
「昼は家に帰って食べるから、なっちゃん、気をつかわないでよ」
なっちゃんは料理ができない。ここで匠に振る舞うことになっても、せいぜいわたしが素麺を茹でるくらいのことしかできない。
もうどんどん何もかもがズルズルになって、『ふたりで勉強』をしに来たのか、スマブラしに来たのかわからない。
「俺、負けないように昨日、練習したから!」
わたしとしては、スマブラしててくれた方が平和なんだけど。
今日は大知も参戦か。部活が休みなんだろう。元気が有り余る少年は中学に入ってすぐ運動部に入った。
男子三人はとりあえずテレビでスマブラを始めた。
わたしもたまに誘われるけど、お断りだ。どうにも上手くキャラが動かせない。
勝てなくてお情けでつき合ってもらうゲームほど情けないものはない。いっそ子供の時のように「雅は下手くそ」と放っておいてほしい。
⚫ ⚫ ⚫
この間、こそこそっと誰もいない時を見計らって練習を始めたら、お風呂上がりのなっちゃんがふらふらっと麦茶を飲みにやってきて隣に座った。
わたしの下手くそぶりをバカにされるかと思うと秘密の練習にドキドキした。
「雅はさ、とりあえず勝ちたい派? それとも好きなキャラで勝ちたい派?」
「……好きなキャラで」
それは散々やり込んだ、アクションRPGの主人公だった。なっちゃんはもうひとつのコントローラーを手に取って、黙った。
少し間があって、テレビの画面を見ながらこう言った。
「とりあえず勝つ派ならチートキャラとか教えてやろうかと思ったんだけど、好きなキャラで勝ちたいなら、『愛』しかないね」
「『愛』?」
「そう、キャラ愛。ともかく使いこなせるまで練習して、クセをつかむんだ」
「なるほど」
「そうしたら少しは勝てるようになってくるよ。そっか、ゼルダ、ハマってたもんなぁ」
「なんでバレてるのよ!」
「わかるでしょ。こんだけ一緒にいればさ」
けけけ、と品悪く笑って、それからしばらく、早く寝なさいと怒られる時間までふたりでスマブラで遊んだ。
わたしのキャラが大技を入れられるようになっちゃんは手加減してくれて、ずいぶんキャラの動きも良くなった。
「これくらい動かせれば、みんなと一緒に遊べるレベルでしょ」
「ありがとう、なっちゃん」
「そうそう、たまにはそうやって人に感謝を示すものだよ」
おやすみ、となっちゃんは寝てしまった。
⚫ ⚫ ⚫
なっちゃんに特訓してもらったにも関わらず、わたしはみんなの仲間に入れずにいた。
冷蔵庫から冷たい飲むヨーグルトを出してくると大知が「ずるい」と言った。まだまだ小学生と変わらない。
戦況を見ていると、コントローラーをガチャガチャやっている大知はお情け以外では全然勝てず、なっちゃんと匠の一騎打ちだった。
ふたりともキャラ性能がよくわかっているようで、こんなゲームでも動きにムダがないのがわかる。
ふたりは黙々と距離を縮め、お互いのゲージを削りあった。
試合が進む度にゲージに差がどんどん広がっていく。そして最終的に、なっちゃんが勝った。
「くそー、なっちゃん大人気ないよ。えげつない。そう来ると思わなかったよ」
「そう? じゃあ本当にえげつないとこ、見せてやろうか?」
「明日な。明日、約束」
なっちゃんは、少し黙ってから口を開いた。
「……明日はダメだ、予定があるから。たまには雅をかまってやれよ」
コントローラーを置いてすっと立ち上がると、なっちゃんは二階に上がっていった。負けてつまらなくなったからか、大知もいなかった。
「……それ、飲んでもいい?」
「飲むヨーグルト? 半分しか入ってないよ。新しいコップ出してあげる」
腰を浮かせると匠は、そのままでいいと言った。わたしはまた腰を下ろして、テーブルの向かい側に座った匠を見ていた。
飲むヨーグルトの紙パッケージは結露がすごかった。匠はいつの間にか、うちの居間と同化していた。
いただきます、とごくごく、わたしのコップを傾けて飲むヨーグルトを飲み干すと、ごちそうさま、と言った。
何だか変な気分だった。
「わたしの部屋で勉強する? それとも冷房効いてるから、ここでする?」と聞くと、「……雅の部屋でもいいかな?」と聞いてきた。
「いいけど、狭いし、冷房消しちゃったから暑いかもよ」
いいよ、と言うので一緒に階段を上った。
⚫ ⚫ ⚫
中三の夏休みということで、鬼のように山盛りの宿題が出ていた。
わたしは難しいところはなっちゃんに教えてもらっちゃったので、どちらかと言うと残りは英単語の練習みたいな単純なものだけだった。
匠の宿題はまだまだあった。一緒に宿題を始めて何日か経ったけれど、ひとりで勉強した方がずっと捗るんじゃないかと思って見ていた。
思い切って言葉にする。夏休みの宿題だってバカにできない。高校受験への大事な布石だ。
「ねえ」
「うん」
「……ひとりで勉強した方が捗るタイプじゃない?」
「そんなことないよ。俺がいると勉強の邪魔?」
「そういうわけじゃないよ。匠があまり進んでないみたいだから」
匠はシャーペンをころんとノートの上に転がすと、後ろに手をついて天井を見た。
「雅はさ」
「うん」
「やっぱり、なっちゃんみたいに勉強のできる男が好き?」
「は? なっちゃん? ……どうかな、考えたことない。ましてなっちゃんと比べて、なんて」
「なっちゃん、頭いいじゃん」
「頭はね」
普段はボサボサのヨレヨレだけどね。
「……俺さ、スポーツ推薦でT高に行くかも 」
「ああ、バド。強いもんね」
「ねえ、それ以外の感想ないの? 同じ高校に行かなくちゃ嫌だとか言わないの?」
「……言ったらどうなるの?
ぐっ、と彼は言葉に詰まった。言いたいことはすべて言ってしまったらしく、そのままの姿勢で上を眺めていた。わたしには天井には何も面白いものは見当たらなかった。
「雅はN高?」
「うん、なっちゃんみたいに私立の特進の特待生とかなれるほど賢くないし」
「N高も、公立では偏差値高いじゃん」
「そうねぇ。でも公立だし、なっちゃんみたいに特待生じゃないけどお金はかからないからね」
お金、お金、お金。
この世はお金でできている。お金がわたしたちの進路も揺さぶる。そしてふるいに落とす。
「……ねえ、少しだけ、いいかな」
返事をする前にさっと手が伸びてきて、握られてしまう。手が石のように固まってしまう。
ここで心を折ってはいけないと、うんと覚悟を決めて口にした。
「手を繋がないとダメなのかな?」
「……ごめん。図に乗りすぎた」
「勉強中に、手、繋がれたとしても困っちゃうよ。その、なんて言うか……」
匠は下を向いて耳まで真っ赤だった。ここでさらに追い打ちをかけるのかと思うと、少し気が引けた。
でも事は自分にとって大切なことだし、ここではっきり言わないでどうするんだ。されるがままになるのはおかしい。
そんなのは『つき合ってる』とは言えないんじゃないかな。
「匠はわたしとつき合いたいの? それとも手を繋ぎたいだけなの?」
これだ! 決まった! ……どこかで聞いたようなセリフだけど。
「ごめんよ、気をつけるから怒らないでくれよ。雅のこと、女の子なんだから大切にしなきゃとは思うんだけどさ、ずっと見てるだけだったから近くにいるとさ」
「なによ?」
「……触りたい」
かぁっと全身の血が沸騰して目の前が見えなくなるところだった。
あろうことか触りたいだなんてさ、一言でいえば不潔だよ。
「悪いんだけどそういう気持ちになれない」
鬼だったかもしれない。でも本当のことだ。許し続けてどうする? 保健体育の授業を受けた限りでは「嫌」な時は「嫌だ」とはっきり言うことが大切だと先生も言っていた。
匠は項垂れて、もうわたしの顔なんか見ないで勉強道具を片付け始めた。
そうしてすっかり片付くと「反省してくるよ。だからまだ嫌いにならないでほしい」とぼそぼそ言った。ぼそぼそと、言い訳じみて。
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