第2話 『恋』ってなんのためにするの?

 わたしと匠は無言でアイスを食べた。

 いつもより高いアイスだったのに、不思議なことにちっとも美味しいと思えなかった。


 ただ舌だけが凍るほどに冷えて、急いで食べなければならないと気ばかりが急いた。


「それ美味しくない?」

「美味しいです」

「おいおい、匠、何いきなり敬語になってんだよ?」

「……美味しいよ」

「素直でよろしい」


 アイスは残り少なくなっていって、それを食べ尽くしてしまったら何か、何かを……なっちゃんに言わなくちゃいけないんだろうと思うともう、気が進まなかった。


 隣で匠も同じことを考えているのか、どこか遠いところを見すえてアイスを齧っていた。


 ⚫ ⚫ ⚫


「あっ!」


「あっ!」


「やると思ったんだよ。雅はカップにしておけば良かったのに。ハンカチある?」


 ある、と小さな声で答えて、のろのろ食べていたせいで割れてしまった手のひらの上のアイスの欠片を見た。周りからどんどん溶けて、滲んでいく。


「ひゃあ」

「これでいいだろう? 店の中に入って、手、洗っておいで」


 なんと、なっちゃんはわたしの手の上にあったアイスをパクリと大きな口で食べてしまった。そして、「もったいないなぁ」と言った。


 もう小さい女の子ではないわたしは、あまりのことに心臓がバクバクする。

 小さい時ならまだしも、こんなに大きくなってからそんなことをするなんて、なっちゃんのデリカシーはどうかしている。


 服にアイスの色が付かないよう、気をつけて小走りに洗面台に向かった。


 Tシャツはこの夏に買ったばかりのお気に入りで、紫色のシミがついていた。洗濯で落ちなかったらルームウェアにするしかないかなぁと残念な気持ちでいっぱいになる。


 あーあ、と思いながら濡らしたハンカチで一応叩いて、情けない気持ちで店を出た。


「手、きれいになった?」

「うん……」

「何、しょげてるんだよ。いつものことじゃん。それが嫌なら今度はカップのアイスにするんだぞ。雅はのんびり食べるんだから」


 はぁい、と気の入らない返事をすると、なっちゃんはわたしの頭をぽんぽんと叩いて、さも当たり前だというようにわたしの前に手を差し出した。「ほら」


 後ろでは匠が食べ終わったゴミを捨てる音がした。


 安心して、なっちゃんと手を繋ぐ。


 中学生になってからは、余程混んでるところにでも行かない限り、なっちゃんはわたしと手を繋がなくなった。


 兄妹だし、それは当たり前の事として受け止めていたけれど、こんなふうに普通の状況で手を繋ぐとまるで他人と手を繋いでいるかのように変に意識してしまう。


 しかも、後ろでは匠が見ている。

 うちより少し行ったところに匠の家はある。


「悪かったな、匠。雅のこと、よろしくな」


 うちの前でなっちゃんは余計なことを言った。だってわたしはまだ、匠に何も答えてなかったのに。勝手によろしくしてるなよ。


「あ、うん。了解」


 返事もらってないのに了解するなよ。

 それじゃあ、と言って匠は帰って行った。

 庭では夕方のしょげた朝顔が出迎えてくれた。


 ⚫ ⚫ ⚫


「なーんだよ、お前ら、つき合ってたのかよ」

「違うよ! なっちゃんの勝手な誤解だよ」

「手、繋いでたじゃん?」

「あれは……」

「女の子と手を繋ぐのって、なかなか勇気が必要なんだぞ」


 そんなことを言われても、わたしからお願いして繋いでもらったわけでもないんだし困ってしまう。

 男の子目線ならそうなんだろうけど、女子目線としては……いきなりは、困る。


「手、繋いでもいい?」って聞いてくれたら、もう少し良かったかもしれない。でもその時、いい返事をかえせるかはわかんないけど……。


 きっと無神経なわたしは「なんで?」と訊いたに違いない。


「まぁ、健全なお付き合いにしておけよ。後悔しないようにな」と捨て台詞を残して、なっちゃんは玄関の扉を開けると、ただいまぁ、と何事も無かった顔をして家に入っていった。


 ⚫ ⚫ ⚫


 なんなんだよ、それが年上の余裕ってやつなのかよ、とイライラしてベッドにダイブする!


 さっき食べた天ぷらのせいで胃がムカムカしているせいかもしれない。泳ぎ疲れた体に天ぷらがもたれる。


 ベッドにばーんと大の字になって横たわり、天井を見上げる。もちろん何かが見えるわけではなく、ゲップが出そうになる。


 枕元に投げたスマホが着信を伝える。



 ――あ、匠からだ。



 どうしよう? 告白してきた向こうの方が気まずいはずなのに、なんでわたしの方が逃げ腰になるんだ?


『匠』と表示されているディスプレイを見て、どうするべきか考える。だって今まで幼なじみとしてしか見てこなかったし。

 仕方なく、スマホを取り上げる。


『はい、雅です』

『あのさ、えーと』

『うん』

『今日、ごめん。そんなに急ぐつもりじゃなかったんだ』

『うん……』


 急ぐつもりじゃなかったって、どういうことだろう? もっと周りからじわじわと、わたしを取り込んでいくつもりだったんだろうか?



 わたしの何を? 心を?



 たとえば手を繋いだから、昨日までより今日の方が匠に心惹かれたことになるんだろうか?


 わかんないなぁ。……わかんないのは、わたしが女の子だからなのか、それとも幼いからなのか。


『とにかくごめん。謝りたくて。なっちゃんにも誤解されちゃったよね』

『ああ、うん、まぁ、そんなことは言われたけど』

『……なっちゃんより、雅のこと大事にするから』


 は? 何を言ってるんだ?

 兄と張り合ってどうする?


『だから、お願い』

『……正直、そんなふうにいきなり言われるとは思ってなくて驚いたんだけど』

『少しずつでいいよ! 一緒にいる時間が増えればいいんだ。少しでも今までより一緒にいられれば』

『そうなの?』

『そんなものなの。じゃあとにかく明日の朝、迎えに行くから、どこか行こう!』


 プツン、とも言わずに通話は切れた。急ぐつもりじゃない? 十分、急いでるじゃない。むしろ急ぎすぎって感じだ。


 これはデートの約束ってやつじゃないのか?


 こういうのを温度差っていうのかなぁ。そのうち少しずつ溝が埋まって、そういうのも感じなくなるものなのかもしれない。



 本当に?



 きっとそうだ。匠の言う通り、会う時間が多くなればなるほど気持ちは近づいていくに違いない。

 初心者のわたしにはわからないけど。


『恋』って、なんのためにするんだろう?

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