なっちゃんのひみつ~お義兄ちゃんは特別

月波結

第1話 繋がれてる手、その意味

 城崎尚きざきなおことなっちゃんは、わたしの実の兄ではない。

 でもそんなことは関係ない。なっちゃんは大切な家族の一員だ。


 ⚫ ⚫ ⚫


 幼なじみのたくみがわたしに告白してきたのは中三の夏休みのことだ。


 クラスの仲のいい子で市民プールに泳ぎに行った。

 まみっちとみっちゃん、高柳くんと真田くん、それからわたしと匠。


 みっちゃんと真田くんは今にも上手く行きそうで、つき合うまで発展しないふたりだった。要するにまみっちが、それにお節介をしたわけだ。


 まみっちのお節介はそれだけに留まらず「ね、みやびは匠と高柳くんとどっちがいい? 匠は運動部だっただけあって逞しいよね。でも高柳くんも大人しくてマイペースな感じで悪くないよね」と聞いてきた。


 そんなことを聞かれると思ってなかったなわたしは「え!?」と大きな声を出してまみっちを笑わせた。


 熱したアスファルトの上で目玉焼きが焼けそうなくらいに暑い日のことだった。そんな日は冷房のよく効いた自分の部屋に篭城するに限る。

 

 普段、通学の時にしか外に出ないわたしは、屋外プールで痛いくらい真っ赤に日焼けしてしまった。肌がピリピリする。


 真っ赤に焼けたわたしたちはプール前からバスに乗って、それぞれの家の方面に散っていく。匠とは幼稚園からのつき合いで家も近所だから、自然、最後はふたりきりになった。


 ⚫ ⚫ ⚫


 夏の日差しはぎりぎりのところで夕焼けに変わらず、わたしたちの影はまだ長くはならなかった。どこからか弱々しくヒグラシの鳴く声が聞こえてくる。


 はしゃぎまくった後だったせいか、言葉少ないことにあまり疑問を持たなかった。泳いだ後の脱力感だけが体を支配して、何も考えられなくて。


 早く家に帰りたいのに足が重い。考えたことがあったとしてもそれは晩ご飯のことくらいで、あんまり油っこいものは今日はもう無理だな、とかそんなくだらないことを考えていた。


 そもそも子供の頃から転がるように育った匠相手に気づかいもいらないだろうと心のどこかで思っていたし、相手もそうだろうと思っていた。


 なのに。


 気がついたらやけにふたりの距離が妙に近かった。日焼けして火照った肌の熱が伝わってしまいそうに思えて、もう少し離れようとした時だった。


 動きの合わない振り子のように揺れていた匠の長い真っ直ぐな腕が、すっと当たり前のように、手の甲まで真っ赤に日焼けしたわたしの手をつかんだ。



 ……小学校低学年の頃を除けば、そんなふうに男の子と手を繋いだことはなかった。



 ちょっと待とうよ、なにかの間違いだよ。だってさ、砂場で顔まで砂まみれになって遊んだ匠だよ?  わたしのリカちゃんを握って走って逃げてわたしを泣かせたの忘れたの?


 それは家から一番近いコンビニのすぐ手前で、そんな日常的なところで手を繋がれてしまったことにあたふたした。


 だって、十年以上のつき合いの幼なじみに手を握られて、どうしろって言うんだろう?

 つまりわたしの回線は、パンク寸前だった。


 ⚫ ⚫ ⚫


「あのさ。俺はみやびにとって幼なじみだってことはわかってるんだ」

 恥ずかしくて下を向いていたわたしは、ぼそぼそと喋る少し背の高い幼なじみの顔を盗み見た。


 自信なさげに語り始めた彼と目を合わせることはなかった。匠は目を伏せていたから。


「だけど……雅のこと、好きなんだ。少し、そういう目で見てほしいんだけど」


 言うべき言葉がすぐに出ない。もやもやする。……やっぱりそういう意味なんだ。車に轢かれそうになったわたしを、匠が手を引いて助けたとかそういうんじゃなくて。


 わたしの心臓の鼓動は嘘みたいに大きくなった。ピアノの発表会で舞台に上がって最初の一音を弾くときのように。



「あの……とりあえず」



 離してくれる? と言いかけたところでコンビニからが出てきた。いつも食べてるガリガリ君より、高そうなアイスバーの袋を開けようとしながら。


「なんだよ、プールの帰り……」

「……」

「……」

 最高に気まずい瞬間だった。一瞬早く、手を離してほしいとひと思いに言っていたら!


 わたしたちの手は、仲の良い恋人同士のように繋がれたままだった。緊張していたせいで余計、固く繋がれていた。


 その手を思いっきり引いた。一気に振りほどいた。

 匠がわたしの行動に驚いた気配がした。


「·····やるな、中坊。まさかそういうことだとは気づかなかったよ。みんなには黙っといてやる。ほら、アイス買ってこいよ」


 匠は大人しく、ありがとう、と言ってなっちゃんの手の中にあった五百円玉を手にした。そうしてもう一度わたしの手をぐいと引くと、戸惑っているわたしをよそにコンビニに入った。


 なっちゃんを見るわたしの顔は困っていたはずなのに、なっちゃんは何も言わずにアイスに齧りついた。


 ⚫ ⚫ ⚫


「ごめん、そういうつもりじゃなかったんだ。まさかなっちゃんが出てくると思わなくて」


 そんなの言い訳だ。


 わたしだって思わなかったよ。こんなに絶妙なタイミングで。なっちゃんを少し恨んだ。


 コンビニの中は冷房がよく効いていて、素肌に微風が心地よかった。だけど依然、手は繋がれたままで、意識がそっちに持って行かれる。


「好き」って、どういう気持ちなんだろう? きっと「その人じゃなくちゃダメだ」と思うのが「好き」ってことなんだろうなぁ。代替不可というやつだ。


 憧れっていうのとも、きっと違う。みんなが普段、何気なく使っている「好き」っていう言葉が重い気がする。少なくともわたしには荷が重すぎた。


 たとえば今、繋がれてる手、それが。その意味が。


 結局なっちゃんが食べていたのと同じアイスバーを無言で二本持って、匠はレジで精算を済ませた。

 さっきまでなっちゃんの手の中にあった五百円玉が小銭のお釣りに変わっていく。ビニール袋を断ってテープを貼ってもらう。


 え、と思う間もなくまた手を繋がれて「ありがとうございましたぁ」という店員のマニュアル通りの挨拶を耳にしながら店内を出た。


 なっちゃんは、まだそこにいた。


「足りた?」

「うん」

 匠は答えて、お釣りを渡した。なぜかひどく強い力でつかまれているような気がして、気づかれないように小さくため息をつく。


「溶けるから早く食べちゃえよ」

 手はほどけて、慌てて包装されたビニールを破いた。





 

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