2-3 人類学研究科

 京阜大学の構内を数分歩くと、2メートルほどの高さの看板が列を成していた。

 書いてあるのは軽音楽、サッカー、演劇といったサークルの案内や、教育、科学、考古学といった講演についての掲示が入り混じっているようだ。

 サークルも講演も自分には縁遠いものではあるが、そういったものがあるということを自分で見ることができるというのは、日常の中にいる証明なんだろう。


 そんな風に考えていると、とある看板の前で目が留まる。


『人類の進化と、能力の発展について』


 俺は知っている。この世界には自分のような異能に目覚めた存在が居て、その存在を秘密裏にしたままで世界の平和を守る組織が居ることを。

 そんな中で異能に覚醒してしまい、レリーフというフォビアへの対抗派閥に入ってしまう人間がいたり、そのどちらにも所属していない存在も居る。


 その事実を知っている中で、その一文は気にかかることがあった。本来であれば、ただの原始から現代までに至る人類の進化の講演になるはずで、特に問題はないはずだ。

 ただ『能力の発展』という言葉と一緒に並んでいるのを見ると、異能を持ってる立場からすると無関係ではないのではと考えてしまう。


 フォビアが把握している上で容認しているのだろうか?

 それとも全くもって無関係の講演なのか?

 もしくは本当に、全容を知った学者の発表か————


「あー、申し訳ない。ちょっと、いいかな?」


 看板の概要を確認しながら考えていると、後ろから声をかけられた。振り返ってみると、眼鏡をかけた白髪の老人が立っていた。


「っと、申し訳ない。邪魔だったかな」


 本来初対面の、ほぼほぼ年上の相手には敬語であるべきなのだろうが、敬語というものを使ってこなかったために咄嗟にはまず出てこない。

 とりあえず、看板が見づらかったのだろうと推察して数歩動こうとしたのだが……


「ああいや、お気遣いありがとう。だけど用があるのは看板ではなくて君の方なんだ」

「俺に?」

「まぁ、正確に言うとなると看板を見ている君に、というべきかな」

「えーっと……どういうことなんだ?」

「先に自己紹介をするべきだったかな。私はこういうものでね」


 老人は懐から名刺を取り出すとこちらに差し出してきた。受け取ってみると名刺には


『京阜大学人類学研究科 教授 薬司実やくしみのる


 と、あった。受け取った瞬間にはぴんと来なかったが、思い立って看板の方を見るとそこに同じ名前があった。先ほどの講演で壇上に立つ教授が目の前の老人なのだろう。


「なんで大学の教授さんがわざわざ話しかけに来てくれるんだ?」

「自分の講演の掲示に、大学の生徒でない方が見ていたら声をかけてみたいと思うものでね」

「どこかで以前会ったことがあったかな」

「いいや。初対面だとも。私がの生徒の顔と名前を覚えているだけさ」

「顔と名前って……全員分の?」

「年齢を重ねていると覚えるという工程に慣れるものなんだ。それに、悲しいことにあまり我が大学の生徒には興味を持ってもらえなくてね。興味を持ってもらえたのであれば、と思って声をかけさせてもらったわけなんだ」


 老人こと薬司実教授は物腰が柔らかく、こちらの不躾な態度にも動じない貫録を感じる。

 大学の生徒の顔と名前を全て覚えている辺り教授としての格も現れているようだった。


「せっかく声をかけてもらってて申し訳ないんだけど、知り合いと待ち合わせしてて、話せても少しだけど、いい、です、か?」


 言いながら、敬語を少しずつ話すべきだと思い、改善していこうとするも、どうにもカタコトになってしまう。過去に最も敬語を使うべき相手であったクロノさんに、敬語を使わなくていいと諦められてしまったために、もっと上のお偉いさんの前では口を噤んでいることがほとんどだった。


「ああ、無理に敬語を使わなくても構わないよ。こちらとしても立場こそあれど、今はただの人間同士なのだから。話しやすいようにしてもらえると助かるかな」


 察してもらえたのか、薬司教授からの助け舟が出された。


「助かる。どうにも敬語を使ってこなかったから上手く喋れなくて」

「こちらとしても、職業柄色んな方と話せるのはいい機会だ。ありのままでよろしく頼むよ」

「オーケーだ。ただ時間はあんまないんだけど……」

「ああ、それじゃあシンプルに思ったことを聞かせてほしい」


 目の前の老人は眼を細めて、こうやって続けた。


「君は、超能力といった、人智を超えた能力というのはあると思うかい?」








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