1-9 日常への帰還

 入ってきたのは黒髪のショートカットで、眼鏡をかけたスーツ姿の少女だった。店内を見回してこちらの、というよりも服部の姿を見つけたからか、こちらに向かってくる。

「ネクロさん、遅くなりました。任務の方を終えましたので合流します」

「お疲れさん。紹介するわ、こっちがフォビアを最近クビになったタナト」

 親指で俺の方を指しながら服部が紹介をする。するのはいいんだがそれはどうなんだ。そんなことを思いながら何も反応しないのもおかしいので、軽く頭を下げておく。

 少女も、軽く頭を下げる。気難しい、ということだったが雰囲気は常識的なように見える。


「そんで、こっちがさっき言うとった新人で、コードネームはタラソ。名前だけでも覚えとき」

「今後会うことがあるかは分かりませんが、よろしくお願いします。タナトさん」

「ああ、よろしくタラソ」

「それでは、早速ですが失礼します。行きましょうネクロさん」

「ん?お前も飲んでったらええやん。帰投の指示があった時間までまだ猶予あるやろ?」

「仕事は早いに越したことはないですから。それともまだ話したりませんか?」


 話を聞いている限り、ネクロこと服部に物怖じせず言っている様は新人という様子を感じさせられない。あえて言うのであれば物怖じというよりは無関心というべきか。


「んーまぁ話すことはいくらでもあるけどな」

 そう言いながらこちらの様子を伺ってくる。俺も正直聞きたいことは山のようにあるが、今日初めて遭遇したアイのことも事情はさっぱりだし、マルマーで糸崎ちゃんに任せっきりにしているのも事実だ。

「色々と聞けたし今日は十分だ。それに戻ってからも色々あるんだろ?」

「お話が早くて助かります。ネクロさん?」

「分かっとる。それじゃあなタナト。お前が今後どうするかは分からんけど、質問くらいはまた聞いてやるから変な気は起こすんやないぞ」

「平気だよ。警告は受け取ったし、好きで事件に巻き込まれに行く気もないからさ」

「ホンマか?ジブンのそういうとこ、一切信憑性ないで」

「大丈夫だネクロ。そんなことよりあの子のこと任せた。何か事情があるんだろうけど、少なくとも裏の世界なんて知らないほうがいいだろうしな」


 隣のテーブル席のソファでいまだに横になってるアイはピクリともしない。ピクリともしていないがアレはネクロの持っている異能によって気絶しているようなのでおそらく問題はないだろう。

 なにより、フォビアの一員である以上は一般市民に害を為すことはない。反するような奴はそもそもフォビアに入れないし、そういう奴はレリーフとして日常を脅かす存在として生きていくことになる。

「言われんでも承知の上や。しょうもない世界におる人間の割合なんて少ないほうがええ」

「しょうもない世界か……」


 正直なところ、フォビアにいるメンバーの中でも意識の差というのは大きい。大きな理念の元に集ってはいるものの、任務に対する部分でズレが生じたりもする。

 俺は異能に目覚めてしまったものにとっては、裏の世界というのは居場所だと思うけど、服部にとってはないほうがいい場所という風になっている。

 どちらが正しいかどうかは分からない。フォビアにいる時は意識にズレがあっても目的に支障は出なかったから結論は出ることはなかったし、他のやつとチームを組んでいた時でも、そういう部分で揉めたことはなかっただろう。


「さて、ぼちぼち行くかーそっちの嬢ちゃんは任せるでタラソ」

 服部が席を立って促すと、タラソがアイを軽々と担ぎ出す。

「それでは、失礼します。お疲れ様ですタナトさん」

「ほな、帰るで。今日のメシは奢りにしといたるから気にせんでええぞ。今日の働き分くらいと思っとき」

 2人が扉を開いて帰っていく姿を見届けた後、俺はこのわずか数時間の間に起きた出来事を振り返っていた。チンピラたちとの戦闘、誘拐されかけた少女のアイとの出会い。元相棒のネクロ改め服部との再会。そして新しいフォビアのメンバータラソとの邂逅。


 ここ1ケ月の間にあった平穏がどこへやら。


 異能の修行や戦闘の訓練が不足していることが分かったのも収穫だが、自分でどうこうする方法が見つからない上に、仮に身に着けたとしてそれを活かす場も俺に用意することは叶わない。

 それとともに、自分がこの短い間に居た日常の居心地の良さも実感する。戦闘の緊張感の中の居心地の良さとはまた違ったものがあるのだと身に染みた。

 残ったコーヒーを流し込んで、マスターに礼を告げた俺はマルマーに事の成り行きを伝えに戻ることを決意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る