1-5 一目惚れ

 過去にもフォビアで一般人を助けた経験はそこそこある。困惑する人も多かったし、場合によっては助けではなく、俺のことを更なる脅威と見て逃げられてしまったこともある。

 危害を加えるつもりは当然ないものの、一目散に逃げられるのは中々大変だったりもするものだ。

 だからこそ、この状況は初めてで、思わず返答に詰まっている。

「えーと…………ちょっと待った」

「はい!」

「俺のこと今までにどこかで知ったことは?」

「今日が初めてだけど……です!」

「俺のこと怖くないの?」

「え?だって別に掴んだりしてこないし、しようともしてないし」

「早く帰りたいとか思わないの?」

「えーと……色々あって、そんなにはかなーって」


 なるほど。


 …………いや、これどうしようか。

 惚れちゃいました、か。初めて言われたし初めて聞いたような気がする。そもそもフォビア内にカップル、既婚者は皆無と言ってもよかった。

 俺も恋人はいなかったし、せいぜい友人と呼べる相手がほんの一握りいたくらい。コミュニケーションに自信がないわけじゃないが、こんな状況に置かれたのは生まれてこの方初めての俺は何といえば良いか困っているわけだ。

 対面の彼女は返事を目をキラキラと輝かせながら待っている。俺は悩んだなりに、1つ方針を立てて話を切り出した。


「あー、分かった。俺もあんまり時間がないから手短に済ませよう」

 彼女には悪いがある程度話をして、満足して帰ってもらうのがベター。彼女の気持ちは吊り橋効果みたいなものだろうし、一夜寝て起きれば落ち着くと俺は考えついた。できれば礼と忠告で終われるといいんだが……。

「やったっ!ありがと!……うございます!」

 おそらく俺と彼女で認識のずれがある気がする。でなければ少なくともありがとうございます、にはならないのではないか。先導して話を進めるほかない。


「あ、私の名前は恋鐘愛こいがねあい、です!呼び方はなんでもどーぞ!でもできれば名前呼びの方が好き!です!」


 念のため言っておくと、今現在、深夜の路地で起きている会話である。普通の世界に生きてない俺ですらこの場所でこんな自己紹介を受けたのは初めてだ。

 ましてやほんの十数分前に怖い思いをしたはずなのだが。彼女……アイのメンタルは鋼なのか?感情の起伏がないのではなく、けろっとしてるのに妙な迫力まで感じる。


「オーケー。アイでいいかな」

「オッケー!で、えーと…………」

 アイが困ったように言い淀んだ。俺の名前が分からないので、なんて呼べばいいか困っているのは目に見えて分かった。

 さて、どうしたものか。手短に済ませるなら名乗るほどじゃない、で済ませるのが順当だろうただアイのペースを考えると逆に粘られて長くなりそうな気もする。

 どうなるか先が読めないが、俺は意を決した。


「俺はタナト。フルネームじゃなくて悪いけど、呼ぶならそうしてくれ」

 この場は伊藤怜人ではなくタナトであると決めていたのだから。

 捨ててしまったといっても過言ではない名前だが、まさか名乗ることになるとは思いもよらなかった。

 意を決して名前を伝えたものの、伝えた相手からのリアクションは特に起こらない。強いて言ううなら固まってるようだった。

「どうかしたのか?」


 タナトという名前に何か聞き覚えがあるのか?

 以前助けた一般人の中にいたかもしれないがその時になにか関わりがあったとしても、その時の記憶を保持するということは。断言してもいい。

 そうすると同じ名前の知り合いがいる。というくらいだろうが……。


「……か」

 数瞬の沈黙の後、おもむろにアイが口を開いた。

「か?」

「……かっこいい…………!」


 …………大丈夫なんだろうか、彼女。

 表世界に馴染みだした程度の俺でもさすがに過剰な気がすることくらいは分かった。むしろこういう状況ならこれが当たり前なようにまで錯覚する。

「あー……ありがとう、か?いやそうじゃないんだけど」

「でもかっこいいものはかっこいいし、おかしくなくない?じゃないですか?」

「まぁ、自己紹介はこれくらいにしよう。とは言ってもこの後は早く帰ったほうがいいってだけなんだけどな」

「うーん……またさっきみたいなのに絡まられるのはイヤだけど……」

「最近、治安が悪いみたいだし早めにというか、そもそもこんな時間に出歩かないほうがいいんじゃないか?」

「むー……」


 なにか言いたげそうだが、その事情まで話すのは難しいという感じだ。正直異能について知ってしまった相手を帰らせるのはフォビア所属の人間ならアウトだが、一般人になった俺だけではどうすることもできない。穏便に帰ってくれればいいのだが……


「じゃ、じゃあ連絡先だけでも教えて!ください!」


 本当にタフだなこの子。これほどにペースを崩さないのは相手はフォビアの時代に1人居たくらいだ。

「いや、でもな……」

 上手い断り方というのが中々出てこない。柔らかすぎると押してくるだろうし、バッサリと行くのも正義の味方としておかしいように思える。


 どうしたものかと考えていると、不意に鋭い視線が俺に向かっているのを感じた。さっきの男たちのものとはは全く別、敵意があるのは間違いないが、どうやら慣れているようだ。


 どこだ……?辺りを見渡しても、姿が見えない。

「タナトさん?」

 アイはどうやら気づいてないようだ。場合によってはさっきの男たちの仲間かもしれない。時間がかかってしまうがアイを連れて逃げることも視野に入れなければならないだろう。

 フォビアの施設は利用できないまでも連携すれば彼女の保護くらいはしてもらえるはずだ。その上で記憶について託せればベストだが……


 糸崎ちゃんには本当に悪いが、時間は度外視していくしかなさそうだ。

「アイ、悪いけど連絡先はまたいつかにしよう。今はここから離れ」

 離れよう、という言葉は最後まで出ることはなかった。


 路地の曲がり角、視界の端から突如人影が現れる。

 とっさに身構えたものの、人影から放たれた閃光に視界を塗りつぶされ、状況を把握することが叶わなくなった。







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