1-2 疑問

 昼に寝て、夜に起きるという流れから、バイトのためマルマーに向かうと、バックヤードで既に制服に着替え終わった糸崎ちゃんが椅子に座っていた。

「おはよう糸崎ちゃん。今日は平気だった?」

「おはようございます怜人さん!実は講義の時、ちょっと居眠りしちゃったんですけど……ギリギリなんとかなりました!フルーツのおかげです!」

 そんな大げさな、と思ったが今朝の彼女と目の前の彼女とでは別人に見える。プレゼントがまったく意味がなかったとも言い切れ無さそうだった。


「どういたしまして。ま、体調管理に気を付けないとまた居眠りしちゃうだろうし気を付けるんだよ」

「普段は居眠りしないんですよ……!昨日はその、たまたま!ちょっといつもより疲れちゃってて……!」

 普段の真面目な姿勢から彼女の言っていることに嘘はないんだろうと分かるが、こうも動揺が目に見えるとちょっと面白くなってくるな、と思っていると。

「あ、そうだ!怜人さん、今朝、大学で聞いた話なんですけど」

 誤魔化すような、思い出したような、はたまたその両方か。糸崎ちゃんが声色を改めて切り出した。

「どんな話?」

「どうにもここ最近なんですけど、この辺り治安が悪いらしくって。夜道でいきなり殴られて怪我をたり、酷いケースだと行方不明の人が出たりしてるみたいなんです。注意喚起の意味合いも兼ねて、今朝教授の方から緊急で生徒を招集したとか」

「物騒な話だなぁ……」

「怜人さんも気を付けてくださいね。男の人だから大丈夫、ってわけじゃないみたいなので」

「ヘーキヘーキ。むしろそこは糸崎ちゃんが気を付けなきゃいけないでしょ」

「気を付けますけど怖いものは怖いですね……早く落ち着くといいんですけど……」

 

 そんなやり取りをしながら、俺は聞いた話に違和感があった。

 まず、俺が住んでいるボロアパートとバイト先でもあるここ、マルマーがあるのが『京阜市きょうふし』という場所だ。

 そして問題なのがフォビア本部とここ京阜市がそう遠くないこと。少なくとも俺が居たときはこんな話は出ていなかったはずだ。

 実際にあちこちに赴いて事件が起こらないようトラブルを未然に防いだり、必要とあらば制圧まで向かったりしていた。なんなら追放を食らったのも、とある事件の種を摘むため命令を受けていた最中だったしな。


 そういうわけで、フォビアが表の世界で起きている事件事故を傍観しているのはあり得ない。生まれてずっとあそこにいた俺が言うんだから間違いない。

 ただし何かが起きたか、もしくは現在進行形で何かが起きているということを確信したところで、それをどうすることもできないというのは、こう、もやもやするというか。もどかしい。実際に俺が居て変わるかどうかは分からないからなおさらだ。


「怜人さん?大丈夫ですか?そろそろ時間ですよー」

 思考の渦から引っ張り出されて時計に目をやると、いつの間にか業務時間ギリギリになっていた。

「今行くよ、糸崎ちゃん。さぁ今日も張り切っていこうか」

 クロノさんを始めとした俺以外のメンバーはいるわけだし、これ以上は気にかけても意味がないか。適材適所。もどかしさを一度置いて、俺はたった50坪ほどの戦場へ足を進めることにした。


 その日は良くも悪くも淡々と業務をこなしていっていたが、時刻が深夜2時を指したころ。外のゴミ箱の袋を入れ替えていると、そう遠くない場所から大きな怒号が聞こえてきた。

 この周辺は学生が住む住宅が多く、こんな時間にマルマーに来るのも大学生や、酒が足りなくなったサラリーマンらしき人がほとんどだった。少なくともこの1ケ月でああいった喧噪は聞いたことがない。


 今は店にも客はおらず、急いでやらなきゃいけないこともない。

 行ってみるべきだ、と判断した俺は糸崎ちゃんにちょっと離れる声をかけてその騒動へと向かった。


 200メートルほど離れたところでその喧噪の元凶を発見した。男3人が一回り背の低い女の子、しかもなぜか制服を着ている女子高生を取り囲んでいるようだった。

 お世辞にもただはしゃいでるというわけでもなく明らかに険悪なムードだ。

「いい加減にしとけよ?痛い目にあいたくないだろ?」

「しーらない。イヤよ。アンタたちについて行っても面白くなさそうだもん」

「面白いかどうか関係ねぇんだよ。いいから来いや!」

 そう言いながら男の1人が女の子の腕を掴む。

「いった……離してよっ……」

 ぶんぶんと腕を振り回しているものの、一向に振りほどける様子はない。

「あんま傷つけんなよー売るにしても安くなっちまうんだからよ」

「わーってるっつの」

「は?!売るって何言ってんの……!?」

「ま、商品は知らなくていいことだよ。これ以上騒ぎになる前に連れてくぞ」

 その一言で他の男も女の子を取り押さえようと手を伸ばす。

「いやッ……!……あ、……た、たすけて……!」



 その刹那、俺の脚は男の1人の胴体を蹴り抜いていた。

 ……やっちまったかな。フォビアどころかマルマーまでクビになるかも。そんなことを冷静に考えながら、女の子を抱えて距離をとって、男たちと女の子の間に立った。

「えーと……なんだ、大丈夫だったか?」

「え、あ…………は、はい……」

 女の子もびっくりしたようで、半ば放心しているようだった。仕方がないだろう。誘拐されそうになっていたのだから、落ち着くまでに時間がかかるのも当然だ。

 吹っ飛ばした男が立ち上がり、こちらに対して敵意を向けてくる。それに合わせて他の男も視線を向ける。

 詳しい話を彼女から話を聞くのは少なくとも男たちを制圧してからか。終わったあとに女の子から話を聞くには安心させておく必要があるだろう。フォビアで活動するときによく言ってた台詞を投げかけることにした。


「オーケー。ここは俺に任せときな」


 今、この瞬間は伊藤怜人じゃなくタナトとして平和を守ってみよう。そう決意して改めて男たちに向き直る。

 さぁ、久しぶりの戦いだ。俺にできることをしよう!

 先制攻撃には目を瞑るように。改めて戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。



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