1-1 日常賛歌

 フォビア本部を出て1ケ月。俺はとある場所に入り浸っている。光を失った街中の、その暗い中で燦然と輝く建物の一角。決まった時間、決まった制服に身を包んで待機、必要に応じて「客」の対応をしたり、指示に応じて物を揃えたりするのが日課だ。要は何をしているのか?というと。


 深夜のコンビニでのバイトだ。


 世界を守る組織の一員からの転身はビフォーアフターが過ぎるけど、これにはちゃんと理由がある。まず、フォビアを追放された直後に俺を待っていたのは古びたアパートの一室だった。4畳半ほどの広さの部屋に、クロノさんが用意してくれたであろうノートパソコンと家具が揃っており、それらのデザインは彼女の趣味だろうか、カラフルなものであった。

 

 こうして一見生活を送るのに障害はなさそうであったが、1つの問題が立ち塞がる。


 金がない。


 ふざけているわけではなく、これは大真面目だ。フォビアでの生活は家賃も光熱費もなく、食事、生活用品は支給。任務に対する褒賞もあったりするが、これも基本給金での支給ではなかった。任務の際に表の世界で行動をするときはフォビア内で用意したものですべてを賄っていた。つまり、フォビアに所属している人間は金を必要としていないのだ。


 しかし追放、という形でフォビアから離れた俺に退職金などあるわけもなく、考えついたのがバイトだった。現状、目的が生きるという人の本能に基づいている俺にとっては最低限生活ができる程度の金があれば十分だし、何よりも目立たないというのが良い。


 格闘技の大会で賞金を稼いだりすることはカンタンだ。フォビアでの戦闘訓練は相手を制圧するのを目的とした実戦のもので、競技としての格闘技比べると純粋にモノが違う。それに加えて異能を持った人間は非現実的な現象を起こせる上に、身体能力が常人よりも突出しやすくなる。

 突出しやすくなるだけだから個人差はあるけど、加減に失敗すれば大変なことになりかねない。その上どちらにせよ悪目立ちすることは請け合いだ。秘密裏に世界を守っていた組織の元メンバーが、そんなことで世間一般に異能と組織の存在を知らしめようものなら史上最高のノンフィクションファンタジーの誕生だろう。頭に出来の悪さ、がつくが。


 あくまで追放されたことは残念だ。居心地は悪くなかったし、やってる任務にやりがいのようなものを感じていた側面もあったから。ただやっちまったことが『死者の蘇生』だから、監禁だの処刑だのもっとひどいことになっててもおかしくなかったと思えば温情なのかもしれない。


 そういうわけでこれ以上フォビアに迷惑はかけないようにしよう、というのが現在俺が決めている行動指針の1つだった。異能や、訓練を大仰に使わないようにしながら金を稼ごう、ということでバイトを探した時に一番近かったのが、今俺が働いているのが『マルチプルマート』というコンビニだ。

 色んなコンビニいいとこどり、という実に頼りないコンセプトをかかげているが、それがウケているのか業績はほどほどだそうだ。


 そんな『マルチプルマート』こと通称『マルマー』で勤務して1か月、ほどほどに業務を覚えてくると余裕も出てきた。真夜中に来る客というのも少なく、やることが片付いてくると少し気が抜けてくる。

 今は何時だっけかな、と思っていると。

「怜人さーん、搬入の時間ですー!」

 と時間に見合わない軽快な声が俺を呼んだ。

「おっと。もうそんな時間か。悪いね糸崎ちゃん」

「いえいえ!怜人さんが来てくれてからほんとに楽になりましたから!ちょっとくらいゆっくりしてても平気ですよ」

 彼女の名前は糸崎明子いとさきめいこ、19歳。大学生だそうだ。マルマーの先輩バイトで俺とシフトが被っているためこうやって会話が多くなってきている。

 気さくながらも年功序列を重んじる性格なようで、俺は後輩ながらにタメ口で彼女は俺に敬語という構図だ。


「それじゃあ、さっさとやってまたゆっくりしますか」

「はい!」

 こんなやりとりがここ最近の定番。糸崎いとさきちゃんのようなタイプはフォビアにいなかったから新鮮な気持ちになっている。もっと言えば一般人と交流を持つことすら稀有な中ではあるが。

 マルマーでのバイトの日はこんな感じで作業をこなしていって時折接客、朝になったら退勤。というのが最初に述べた日課の全貌だ。おかげフォビアの生活リズムが抜けてきて日常生活のルーティーンが確立されつつある。

 

 そんなこんなで、今日のバイトは平穏に終了した。今日に限らず初日から変わったことなど1回もなかったが。マルマーから出たところで、帰ったらどうするかと考えていると。

「あ……怜人さんお疲れ様です」

「おー、お疲れさま、ってどうした?」

 見る限り、数時間前の彼女とは打って変わってぐったりしていた。大学に通いながらではあるが

 バイトとは上手く折り合いをつけているはずだったが。

「あはは…………実は、普段この後ちょっと寝るんですけど大学に行かなきゃいけなくなっちゃいまして」

「そいつは災難だな……」

「大学生だからしょうがないんですけどね……」

 こうなるとちょっと俺では手助けが難しい。送るにも車がなく、大学の仕組みに関しては多少の知識があれど大学生そのものになったことはないので気軽に何かを言うのも違うだろう。


「うーん、そうだな。じゃあこれでも持っていってくれ」

 少し考えた末に俺は自分が買っておいたカットフルーツを糸崎ちゃんに渡すことにした。

「え、い、いいんですか?」

「いいっていいって。気にしないでおいて。疲労回復に効果があるって昔からよく食べてるから買ってるだけだし。他に何をしてあげられるわけでもないしよかったらね」

「あ、ありがとうございます!お礼はまた今度しますね!えっと、それじゃあ行ってきます!」

 最後はバタバタとしながら、彼女は大学へと走っていった。自分とは全く別の世界、ただそれが普通の世界である人の後ろ姿を見ると、自分が異質であることを実感する。

 早く馴染まないとな。心の中で目標を再確認した自宅へ帰ることにした。

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