闇の中で滲むのは

青年は、闇の中に意識を落としていた。


水底にいるよう冷たさを感じるのは2度目だった。あの時、痛みから逃れようと死を選ぼうとした時も時もこの場所に身を委ねようとしていた。あの時は彼女のへの想いのみで、どうにか光へと辿り着くことが出来たが、今度はどうにもそれがないらしかった。

自分以外は全て存在しない。空気も、空の色も、楽譜も、誰も、命はここには存在しない。

それでいい、と青年は思っていた。もはや自分の心は疲れ果てている。

青年は、その場に座り込んで瞼を閉じた。


あの日、洋館の外に駆け出したから、青年の愛おしい人たちが地獄へと落ちた。

自分がこうして生きていることが間違いだった。

100年間の歳月は、一体何のために存在していたのだろう?ただ、家族を苦しめるためだけの時間だったのだろうか?それとも、不老不死を与えることで、苦しめようとしていたのだろうか?この100年は確かに大変だった。不老不死ということで散々追い掛け回されたこともあるし、死ぬよりもつらい目にあったこともある。けれど、それ以上に青年は幸せだった。彼女との時間は、愛おしい家族との日々は、あまりにも幸せすぎて、一生手放したくないと思うほどだった。けれどの青年が見続けていた砂糖菓子で編み込まれたような天上の夢の裏では、魔術に呑まれた家族が血の海に沈み、苦痛という名の業火に焼かれ続けていた。青年の夢は、家族の命によってつくられていた。

100年前、家族が死んだあの日、青年はあの洋館で首を吊るのがもっとも正しい選択だった。

いや、そうじゃない。

奥方の妹が発作を起こしたあの日、青年は心を殺して家族と共に魔術に参加するべきだった。

儀式が行われた時点で彼女の命は救われていた。

病気はすっかりと治って、彼女はこれからも生き続けることが出来る。

それで満足するべきだったのだ。

家族全員であの場で命を共に終えていれば、こんなことにはならなかったのに。

自分がちょっと欲を出したばかりに。


今思えば、あの激痛も、魔術からの警告だったのかもしれない。

『ここで死を選んでおけば、家族は苦しまなくてすむぞ』

そんな遠回しだけれど、これ以上ない的確なメッセージを、魔術は最後の慈悲として与えたのかもしれない。

しかし青年はそれすらも振り切り、逃れた。その瞬間から、家族が永遠に死を繰り返すことが確定したとしたら。

あの時の自分はなんて愚かなことをしたのだろうと失笑するしかない。


青年は、ぼんやりとした瞳のまま、その思考をかき消した。

今更考えてもどうしようもないことなのだから。


ああ、今は何もかもがどうでもいい。

もういい。疲れた。よくここまで頑張ったと褒めてほしいぐらいだ。

少し眠ろう。そうして起きたら、またあの日の夢を見続ければいい。

大丈夫。少しぐらいなら、彼女だって許してくれるだろう。


しかし不思議だ。

何もないはずなのに、どうしてこの場所は濡れたようにぼやけているのだろう。

何もないはずなのに、どうして温かな音が胸の内に響いてくるのだろう。

その温かさが胸を灯す熱となって、青年の曖昧な意識を灯し続けている。

この熱は、誰から伝わっていたのだろう。


『駄目よ』

『許すなんてそんなこと、してあげないんだから』

『ほら、起きて。わたしの王様。もう少しだけ、頑張って』

『わたしたちの可愛いお姫様が、あなたを待っているんだから』


愛おしい声と共に奏でる鼓動が、青年の命をゆっくりと温めていく。



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