長女の日記

ロビーにある右側の壊れていない階段を使い、階段を上りながら少女は青年に問いかける。

「そういえば、どうやってお父さんとお母さんと会ったの?」

それは、ずっと抱いていた疑問だった。

青年は一体どうやって両親と出会い、”母親の弟”になったのだろう?

人間関係というのは単純なものではないことは、少女も良く判っている。何故、この家から生まれたはずの青年が、母親の弟として振舞うことになったのか気になった。青年は世界中を旅をしていたと言っていたから、その旅の間で出会ったということはわかる。

青年はしばらく沈黙していたが、やがて口を開いた。どこか優しげな口調で、彼は言う。

「彼女たちとは……貴女が生まれる前から仲良くさせていただいていたんです。俺の体の事情を知っていたので、貴方の両親から提案されました。まあ、正式に法律的な手順を踏んだわけでもありませんし、形だけのものですけどね。本当の素性を誰かに話すことも出来ませんから、もしも自分のことを聞かれたら、弟と名乗ってもいいと仰ってくれていたんですよ。なので、俺は貴女の母親の弟ということで話を通すことにしました。貴女に叔父だと名乗ったのは、混乱させたくなかったからです。10年間も叔父だと騙していたことは本当に申し訳ないと思っています」

青年は申し訳なさそうに話すのを聞いていた少女は、ああ、と腑に落ちた。

「ううん、大丈夫。そっか……そうなんだね。お母さんとお父さんとも、仲良くしてくれたんだね……」

言われてみれば、そうだ。

まさか自分は100年間も生きていたです、なんて素直に言えるはずもない。

もしもそんなことを言っても、当時の少女なら欠片も信じなかっただろうし、全く信用しなかっただろう。両親が亡くなってしばらくは、自分以外の人間を強く拒絶していた。その時期そんな荒唐無稽なことを言われたら混乱して、間違いなくナースコールを押して青年を無理やりに追い出していただろう。もしもそんなことをしてしまったら、今の生活はなかったかもしれない。

そう思うと、青年の嘘も全く咎めるものではないように感じた。

青年は自分の叔父ではないと改めて言われても、何故かそこまでショックはなかった。

それは虚無感だとか、絶望からだとか、呆れでもない。少なくとも、少女は裏切られたとは感じていなかった。

むしろ、感謝さえもしていた。ずっと知りたかったことを、青年は教えてくれたのだから。

少女は、小さな花が咲くように微笑んだ。

「ありがとう。お父さんとお母さんとも仲良くしてくれて。わたし……おじさんに酷いこと言ってた。ごめんね。おじさんにも事情があったのに。おじさんのことなんてちっとも考えられなかった……。あのね。おじさんは、たとえ血がつながってなくても、叔父じゃなくても、本当に本当に、わたしにとっては大切な人だよ。だから、ずっと一緒にいてくれてありがとう。わたしのおじさんが、あなたでよかった」

青年は、少女を見て目を細めた。

「そうですか」とだけ告げる青年の耳がほんのりと赤くなっていて、少女はふふ、と思わず笑みをこぼしてしまった。





二階へと上がり、長女の部屋に繋がる扉までたどり着くと、青年はためらいなくその扉を開けた。

扉の先には、シックな内装が広がっていた。

壁には主人の部屋ほどではないが本棚が並べられおり、どの本棚もいっぱいに本が綺麗に並べられている。ちゃんと物語や社会に関する本までラベルがつけられていて、長女の勤勉さを窺わせた。棚の上には小さな観葉植物が活けられていて、みずみずしかった。けれど、床にいくつか散らばる本や小物が、長女の苦しみと混乱をこれでもかというほどに表している。本が積まれた机も、乱暴に倒れた椅子も、もう部屋の主に使われることはないのだろう。

少女は、その悲しみを紛らわすように床に散らばる本を回収して、元の位置へと戻そうと床に無造作に開かれている本を手に取る、その本の一つに「Diary」という題名の本があることに気がついた。少女はその本以外を本棚に片づけると、青年のほうへと振り向く。


「おじさん、これ、日記みたい……」

呟くような声に、青年は覗き込むようにしてその本を眺める。「俺が読みましょうか?」と頭上から聞こえたが、少女は「ううん、大丈夫」と、本革で作られた表紙を破らないように丁寧に、傷がつかないように開いた。

内容はやはり、長女の日記だった。

長女は本当に事細かにその日のことを書き記していて、胸が躍るような嬉しい事や反対に引き裂かれそうなぐらいに悲しい出来事も、丁寧に書いてまとめていて、まるで自分の事のように受け取ってしまう。少女は、一喜一憂しながら、ページを読み進めた。この日記には、長女の思い出の全てが詰まっている。

「……日記、家族の誰にも見せたがらなかったんですよ。なので俺もどんなことを書いているのかは知りませんでした。そうですか。些細なことまで書いていたのですね」青年の美しい声が、とても優しく部屋に響いていた。

ぺら、ぺらと紙をめくる音と共に、時間は速やかに過ぎていく。

少女がページをめくる手は、あるページでぴたりと止まる。



『1990年 4月26日


また始まってしまったのね。もうこれで何回目?9回目かしら。

いつになったらこのループは終わってくれるの?10年毎に私たちは蘇り、そして死ぬためだけに存在する。

そのためだけにここで息をしているなんて、耐えられない。

私たちが死んでからもう90年も経ったのに。私以外の家族はこれから酷いことが起きるなんてわからないし、私たちがもう死んでいることも覚えてない。言ったとしても、何もできないまま終わることを知っている。一度惨劇が始まってしまったら、私たちは洋館から出ることが出来ない。

どうしてこんな辛い役目を背負わなければいけないの?10年後には、私は家族の誰かに、この地獄を押し付けなければいけないのね。

ループするたびに、誰か一人だけが、覚えてる。

自分たちはもうとっくに死んでいて、何回も何回も何回も生き返って死を繰り返すということを。

そして、覚えていたとしても、私たちにはこの惨劇を止めることなど出来ないことを。

自分だけがこれからの未来を判っているのに、どうしようもないまま救いもなく死ぬという地獄を。

どうして私になってしまったの。知りたくなかった。

知らないまま終わりたかった。


もう誰もいなくなってしまった。

私が最期の一人。私がどんなに死にたくなくっても、これから私は死ぬ。


こうなってしまったのは、私のせい。

私たちの行った魔術は、あの羊皮紙の通りなら安全だったはずだった。誰も死なないはずだったのに。何回も何回も確認して、ミスが無い様に準備したのに。地下書庫にあるどの本に書かれた魔導書を見ても、誰かの命を使わなければいけないようなものばかりだった、お父様のアクセサリーを使わないと開けられない床扉に入っていたこの魔術なら大丈夫だと思って、家族にお願いしたのに。

血を捧げるだけではなかったの?じゃあ他に何を対価として求めていたの?

家族全員揃わないと駄目だったの?もしかして、あの羊皮紙には続きがあったのかしら。続きなんて何処にもなかった。

ごめんなさい。今更謝っても謝り切れない。私の我儘で、家族をこんな状態にしてしまった。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


家にいなかった兄さんと彼女の命が救われていることを祈るしかないわ

それすらも叶っていなかったとしたら、私たちはなんのためにここにいるの

誰か助けて。もう私ここにいたくない。死にたいの。誰か終わらせて』



一気に熱を奪われたような感覚に陥った。

想像を絶する内容に、言葉を失う。それは青年も同じだったようで、青年は目を見開いたまま開いたページを凝視していた。

少女の身体も思考も、驚きと焦燥に冷え切っていく。

この内容が本当であるならば、フローレア家は単純に蘇っているわけではない。

長女を含めた洋館で暮らしていた全員が、これまでに9回も死に続けていることになる。

そして、その惨劇が10年毎に繰り返されている事実を、誰か一人は全て記憶しているということになる。

家族の誰かが死に続けている様子を直視し、救えなかった絶望に苛まれ、そして誰もが救われないまま終わる惨劇を、この呪われた洋館の中で永遠に繰り返す。10年前、そのことを憶えていた長女は、日記に書き記した。これを日記を残そうと決めた時、長女は、どんな想いで筆を動かしていたのだろう。

少女は、もしも自分が長女と同じ立場であったらと想像した。

これから全員死ぬと解っている状況で、その全員を助けることが出来ない。

どんなに手を尽くしても、目の前で大切な人が一人ずつ死んでいき、最期には自分も孤独に命を落とす。

絶望に飲まれている光景しか、少女には見えなかった。

想像しただけでも恐ろしい。

しかも、それが未だに続いているだなんて。


「……」


丁寧に日記を閉じて、長女の机の上へとことりと置いた。

少女は青年の名前を呼んだ。小さく、けれど強い声で。青年はその声に呼応するように少女の顔を見つめた。

青年の瞳は濁った水のようだった。まるで後悔と絶望と悲壮感で作られた沼を覗いているようだ。

少女は青年を沈ませる汚泥を拭い去るように、青年の手をぎゅっと握る。

少女の中では、既に行くべき場所は決まっていた。


「地下書庫にいこう。おじさん。やっぱり、おじさんたちがつかった魔術が、この洋館で起きている惨劇の原因だと、思う……だから、魔術を止める方法さえ見つかれば、きっと、みんな辛い目に遭わなくて済むと思う。洋館で暮らしていた人たちは、魔術の影響で動けないかもしれないけど……わたしなら、きっと魔術の影響もないはずだから。絶対、おじさんの家族を助けよう。それがきっと、ここにきたわたしと、戻ってきたおじさんに出来ることだと思う」


少女は、魔術を行使などしていない。何せここには初めて訪れたし、そもそも魔術の存在も知らなかったのだから。この魔術の影響力は、魔術を使った人にしか及んでいないはず。だから少なくとも、少女はこの魔術による惨劇の手が伸びることはないだろうと考えた。急いで動かなければいけない、またこの魔術が惨劇を引き連れてきてしまう。だから、終わりにしなければ。この惨劇を。地獄を。二度と大切な人が苦しまないように。


柘榴の瞳が再び鮮やかに色づく。青年は大きく頷くと、困ったように笑った。


「すみません。貴女を守らなければならないのに、俺が慰められてしまいました。そうですね。ここで俺が落ち込んでいる場合ではありません。貴女が前を向いているのですから、俺もやるべきことをやります。地下書庫の鍵は執事が管理していますから、もしも鍵が開いていなかったら執事に借りられるに頼んでみましょう。お父様のアクセサリーは……おそらく、お父様の私室にあるでしょう。お父様の部屋に寄ってから、執事のところへ向かいましょうか」


青年の提案に、少女はこくりと頷いた。改めて、長女の部屋をぐるりと見渡す。かつて彼女は、ここではどんな生活をしていたのだろう。本を読んでいたのだろうか?勉強をしていたのだろうか?けれども、もうその姿を少女は見ることはない。幸せに暮らしていただろう彼女の記憶は、今は過去になって、遠い昔に置き去りになったままだ。10年後にはまたこの部屋で、長女は怯えて、恐怖しているかもしれない。死に続ける未来に杭を穿つために、少女はまっすぐな瞳で、部屋に小さく祈りを捧げた後、青年と二人で部屋を後にした。

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