■2000年4月26日

「葬儀の後、諸々の手続きを終えた俺は彼女と共に過ごすことを選びました。体の異常に気がついたのは、家族の死から10年も経った頃でした。物の記憶を読み取る力を得たことに気がついたのもこの時です。きっかけはささいなことでしたが……。俺の身体は成長することを忘れていました。不老不死と言えば伝わるでしょうか。あの魔術が原因だと考えた俺は、手掛かりを探すために、家族を残して家を出ました。自分の身体を元に戻すためです。彼女と一緒に生を終えるために、魔術の解呪法を求めて世界中を旅しました。この100年間は大変でしたね。戦火から逃げ延びるのに必死で、魔術の解明なんてそっちのけだった時期もあります。ああ、その時ばかりはこの身体には感謝しましたね……。結局、100年経っても、体を元に戻す方法は見つからないまま、今日に至ります」


少女は愕然としていた。

青年も少女と同じように、理不尽に家族を奪われていた。

言葉が出なかった。

両親だけではない。兄妹や自分に良くしてくれていたメイドや執事が、青年が戻ってきたころには既に全員が事切れていたなんて。

青年から語られる真実に、少女の胸は苦しくなる。いったいどんな人生を送っているのだろうと考えたことは確かにあった。けど、少女の考えていたどの空想よりも、青年の過去はあまりに壮絶だった。奥方の妹が奇跡的に快方に向かったのだけが、青年にとっては幸いだったのだろう。けれど、その後も青年にとっては苦難の連続だったに違いない。


もしも両親がもう一度死ぬのを見せつけられたら、少女はその場で心を壊してしまうだろう。

心を壊してしまえば、もうそれ以上苦しむことはないのだから。

青年は強かった。故に、心を壊すことすらも出来なかった。

100年間も眠ることが許されず、もしかしたらこの先も永遠に生き続けるかもしれないという状況の中で、彼は10年間も少女の傍を生きてくれた。

そして、今。

家族の死をもう一度経験するという地獄を味わいながらも、少女に微笑みかけて、歌を紡いでくれたのだ。


不老不死。

そんなものは物語の中でしかない存在だと、少女は決めつけていた。

老いることもなければ死ぬこともない。死から解放され、死に怯えることもなくなる。まさに人類の夢と言ってもいい。

普通の人なら、自分は不老不死ですなんて言っても、妄言だとからかわれるのが関の山だろう。

人はどんなに健康に生きても、100年で亡くなってしまうのだから。

けど、青年の不老不死という言葉には、地に足のついた重みがあった。

少女は嘘だと疑うどころか、むしろパズルがぴったりと組み合わさったような気持ちだった。確かに青年は20代後半には全く見えないし、むしろ学校に通っていても、クラスメイトや誰も彼のことを自分たちと同年代だと思い疑わないだろう。これまでの生活を振り返ってみれば、10年間ずっと同じ屋根の下で暮らしていたが、青年の姿は全く変わっていなかった。まるで変わり続ける世界の中で、彼だけ時間が止まったように。

少女だけが、季節と共に変わり続けていた。けど、彼の姿が変わらないのは大した理由はないものだと軽く考えていた。10年経ったぐらいで姿が変わらない人も中にはいるだろうと、勝手に納得していたし、むしろほんの少し羨ましいとさえ思っていた。

けれども実際はそうではなかった。

本当に、青年は真実全く変わっていなかったのだ。

そもそも。

青年はちゃんと言っていたじゃないか。

"御年118歳になります"と

その言葉の意味を、少女は今更ながら理解することになった。

本当に生きてきたのだ、118年という途方にもない時を。魔術から解放される方法を見つけ出すために。

彼女と共に生き、そして眠るために。

けど、青年がここにいるというそれ自体が、その願いは叶わなかったことを証明してしまっていた。

今まで、彼はどんな想いで今日を生きてきたのだろう。

__たかだか17年間しか生きてこなかった少女には、想像も出来なかった。


少女も不老不死になりたいかと言われたら、絶対になりたくなかった。

世界は常々変化し続けていくというのに、自分だけが変わらないのだ。考えるだけで思わず身震いしてしまう。周りの誰もが老いていき、生を楽しみながら土に還るのを、ずっと看取り続けなければならない。そうして長く生き続けた果てに残るのは、どうしようもない孤独だ。誰もが死に眠る中で、永遠に眠れないまま生きる。少女は、その孤独に耐えてまで生きようとは思わなかった。

青年もきっと同じ考えだったのかもしれない。

愛しい人が死んだ後も生き続けなければいけないなんて、そんなの生き地獄そのものだ!

気がつけば少女の瞳には涙が滲んでいた。青年のこれまでの苦労と、悲しみや絶望を考えると胸が痛くてたまらなかった。

少女の涙に気がついたのだろうか、青年が少女の頭をゆっくりと撫でる。

少女はその温かさにつられて顔を上げて、曖昧に微笑む青年を見つめた。

青年は僅かに目を伏せて、話を続ける。


「一度、洋館に戻ったのです。旅に出てからすぐのことですね。あの魔術を改めて確認しようと思い、実家へと戻ろうとしました」

青年の顔は一気に浮かないものへと変わる。少女は「もどれなかったの?」と不安そうに訊ねた。青年は小さく小さく頷くと、再び口を開いた。

「……玄関の扉が開かなかったので、裏口から入ろうとしたのですが、その時に」

青年は一瞬沈黙する。

そして、再び切り出した。


「末の妹が裏口のドア窓から顔を覗かせていたのです。当時、10年前には亡くなっていたはずなのに。俺はあまりの驚きで声も出ませんでした。末娘は俺に"ここには二度と帰ってこないで"と言って、どんなに言っても家に入らせてもらえませんでした。なので俺はその場を後にするしかなかったのですが……あまりにも目の前で起きたことが非現実的で、あの日のことは夢だと思って生きてきたのです。ああ、ですが、夢では、なかったのですね……」


少女は青年のその言葉にこれでもかというほどに目を見開いた。

これまでの話を聞いたことを前提にしたとしても、そればっかりはすぐに信じることは出来なかった。

けど、どれだけ嘘だと思っても、無理やりにでも受け入れるしかない。

だって、少女も目撃しているのだから。100年前にはとうに死んでいたはずの末娘の姿を。

死者が蘇る。

魔術とやらを使えば、そんなことも叶うのだろうか?確かにこの世のあらゆる不思議なことも自在に操ることが出来るのだろう。

事実、奥方の妹の病気はその魔術の影響なのかはわからないが、快方に向かっていた。


しかし、少女は疑問に思う。

話を聞く限り青年たちは奥方の妹を救うための願いを叶える魔術しか使っていないはずだ。不老不死を得た青年もそうだが、どうして末娘を含めた家族が現代に生き残っているのか?それは間違いなく、この家族が使った魔術が関与しているのは間違いない。それは判る。

だって、他に原因らしいものが見つからないのだから。

けれども、その魔術と、青年たちの身に起きていることが上手くつながらない。原因はわかるが、其処に至るまでの過程に違和感がある。

小説の中盤のページだけがごっそりと破り捨てられているようなもどかしさを感じていた。

曰く願いを叶える魔術というものは、一人血を一滴分捧げるだけで、願いを叶えることが出来ると、ちゃんと羊皮紙に書いてあったらしい。

だから、フローレア家は願いを叶えるための正当な対価をしっかりと支払っているし、そうであるならばその魔術は完結している。

終わった以上はそれ以上のことは起こることはないはずだ。それなのにどうして、今もこの洋館とフローレア家は呪われているのだろう?

これはただの願いを叶える魔術ではない。鬼や悪魔が口を開けているかのような粘り気のある邪悪さが、この魔術には隠されているような気がした。

魔術を見つけたのは、長女だった。彼女は、他にどんな魔術を知っていたのだろう。いや、他に実行出来そうなものがなかったから、この魔術を選んだ。なら、きっと縋る思いだったに違いない___。


その時、少女の中は一つの考えが浮かんだ。

少女は、両手に握られたままの、血がこびりついたアクセサリーを見る。

死ぬ直前に長女が、少女に言葉と共に渡したものだ。

少女は青年に見えるようにアクセサリーを見せると、青年は僅かに首を傾げた。


「おじさん、このアクセサリー、お姉さんから受け取ったものなんだけど……おじさんの力で、何か分かったりしないかな?ずっとお姉さんと一緒にいたこの子が当時の状況を覚えているかもしれないし……お姉さんしか知ってないようなことがわかるかも」


突拍子もない思い付きだった。

青年は触れた物の記憶を見ることが出来る。

そしてこのアクセサリーは、家族の誰もが大切にしている装飾品だと聞く。なら、その分共にしていたはずだ。

それこそきっと、長女がアクセサリーを貰った時から、ずっと。

少なくとも少女は数日間の間で、このアクセサリーを身に着けていなかった長女をみたことがない。

なら、長女が長らく身に着けていただろう記憶を覗けば、より詳しいことが分かるのではないか?


青年はしばらく感がるそぶりを見せると「判りました」と神妙な気持ちで頷いた。

少女は「いいの?疲れるって言ってたけど……」と眉を下げる。

「これで家族の身に何が起きているのかわかれば、疲れなど些細なことですよ」

そう告げる彼の表情は、決意にも似た感情が宿っていた。彼は長女のアクセサリーを受けとる。アクセサリーに視線を落とす青年の瞳は、遠い存在を眺めているようだった。青年は自分の両手にはめられた黒手袋をゆっくりと取り、改めて長女のアクセサリーを両手に載せた。そうして青年が瞼を閉じるのと同時に、彼は亡き長女の形見をぎゅっと握り締めた。

少女は、その様子がまるで神に祈りを捧げる信徒のようだと思った。

神々しいものを見ているような気持ちで長女の記憶の中を歩き続けているだろう青年をしっかりと見つめていた。

数十分後、青年の身体がぐらりと横に傾いた。少女ははっとなり「おじさん!」と驚きながらも彼を支える。僅かに息が上がり、顔に汗を滲ませながら青年は「ありがとうございます」と絞るような声と共に、少女に長女のアクセサリーを返した。

疲れた様子の青年に、少女は胸がちくちくと痛む。

「おじさん、大丈夫?」

物の記憶を見るのには、体力を使うと言っていた。

いくらこの状況をなんとかするためとはいえ、青年に負担をかけるようなことを頼んでしまった少女は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。青年だって疲れているはずなのに、なんて身勝手な思い付きをしてしまったんだろうと自責の念に駆られる。

青年は首を横に振り、ゆったりとソファに手をつきながらも立ち上がった。「このぐらいはなんてことはありません。それよりも、妹の部屋に今から行きましょう」と、少女に告げた。そう切り出した彼の瞳には、道が見えていた。「彼女は日記をつけるのが趣味でしたから。……魔術を見つけたのが妹であるならば、日記に記録をつけている可能性があります」

少女の瞳にも、僅かな光が灯る。

長女のアクセサリーを、静かにぎゅっと握り締めた。

彼女の形見は、少女に一つも声をかけることはないけれど、形見に宿る彼女のたくさんの思い出が、二人に光明を示してくれた。

やっと。やっとだ。


__お姉さん。

__あなたがくれたものが、希望になるかもしれない、ありがとう。ごめんね。たすけてあげられなくて。


「いこう、おじさん」

少女は立ち上がり、前を向いた。

もうこれ以上、誰にも悲しんでほしくないし、死んでほしくない。少女は荷物から自分の形見のアクセサリーを取り出して、長女の形見と共に両手に握り締めた後、二つの宝物をしっかりとバッグにしまう。少しだけ重くなった荷物は、自分たちの存在を主張しているようだった。少女はこれまで亡くなった人たちの姿を思い浮かべる。優しい主人と奥方の静かな優しさと、聡明な長女の水面のような微笑みと、明るい末娘の晴れやかな笑顔。彼らのことを思うと、胸が張り裂けそうになる。けれど、もっと苦しくて悲しい想いをしてるのは、彼らとずっと共に生きてきた人たちだ。

立ち止まるわけには、いかない。

少女は決めたのだ。青年と共に必ずこの洋館で起きている惨劇を終わらせると。

桜色の瞳に希望を映したまま、少女は客室の扉を開けた。

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