Reminiscence Forfeiture

翌日、青年は一度家に帰ることにした。あの時はたったの一日だったが、今回は10日も家を空けていたのだ。事情は末娘に伝えていたと言えども、10日は流石に長すぎる。何か危ないものに巻き込まれたかと思うのもおかしくないだろう。奥方の妹にそのことを伝えるとうんうんと納得してくれたようだった。

「そうね。10日もここにいたもの、きっとご家族も心配するわ。あともうしばらく日がたって、お医者様の許可が出たら、わたしもそちらの家に一度向かう予定だから……申し訳ないのだけど、先に、クリステア家にもそう伝えて頂けるかしら?」青年は「勿論です」と頷くと、彼女は安堵したかのように微笑んだ。

家を出る前に、使用人が「本当に起きてくれてよかったです。あのまま目覚めなかったら、お嬢様は光明を見失っていたでしょうから。お嬢様、あなたにずっと声をかけていたのですよ。毎日毎日、目覚めないお客様の着替えまで……」と、重荷をおろしたような晴れやかな表情で言うと、奥方の妹が顔を真っ赤にして慌てだした。「やだ、それは言わないでって言ったじゃない。だってそうじゃないと健康に悪いでしょう?やましい気持ちなんてこれっぽっちもないわ!」二人の微笑ましい会話を耳に入れていた青年は「そうですか。お気遣いありがとうございます。改めてありがとうございました。後日こちらに伺いますので、その時はまたご連絡します」と二人に向けて謝意を述べる。使用人は余裕たっぷりの笑顔で、奥方の妹がこくこくと、顔を赤くしたままで頷いていた。ふと、青年は出来心で、奥方の妹に美しい微笑みを向けた。奥方の妹はその微笑みに意識を奪われている隙に、青年は奥方の妹の頬を包み、彼女の唇を触れ合うような優しい口付けを落とし、奥方の妹にだけ聞こえるように囁いた。「この前は額でしたので」とだけ告げると、そのままくるりと二人に背を向けて、森の奥へと歩き出す。耳が紅くなっていることは気づかれないでほしいと思いながら、青年は駅へと辿り着いた。


帰り道、クリステア家に寄るために、いつも降りる駅より数駅前のところで降りた。街の雰囲気は相変わらず賑やかで喧しいが、心なしかいつもよりも明るいように思えた。青年は家へと続く通り道にあるアンティーク屋さんに寄り、懐中時計を購入した。末娘が前ここの店が気になっていたから、きっと喜ぶだろうと考えての事だった。いつも仕事で忙しい長男には書き味のよさそうな万年筆を、本が好きな長女にはこの前欲しいと言っていた小説の最新刊を。執事とメイドには二人ともそろって好きなお菓子であるフルーツケーキを。母親と父親にはそろいのアクセサリーを。手に購入したものを落とさないようにしっかりと持つとそのままクリステア家へと足を運んだ。こんこんと、朗らかなドアノッカーの音が鳴る。ほどなくして、この家で働く使用人の男性が扉を開けた。青年とは同い年が少し上ぐらいで、幼少期はクリステア家の使用人の中ではわりとよく話していたのを覚えている。男性は青年の顔を見た瞬間に、さあっと血の気が引いた。青年は「どうかしましたか?あの、お伝えしたいことが」と言おうとする前に、使用人は声を荒げた。心から安堵したような素振りで、使用人は青年を思わず抱きしめた。


「ご無事だったのですね……!よかった……!貴方まで死んでしまったのかと……!」


青年は驚愕する。

使用人の態度、ではなく。彼の発言そのものに。

貴方”まで”?

それは、一体どういう意味なのだろう?

青年はいいようのない嫌なものが広がっていくのを感じた。

「事情があって戻ることが出来ませんでした。……家族に何かあったのですか?」と、その使用人に訊ねると、彼は心から悲しそうに眼をぎゅっとつぶり、青年を申し訳なさそうに見た。その表情の真意を、青年は知るのを恐れた。背筋がじっとりと冷や汗で濡れていく。

何があった?家族に一体何が起きたんだ?!今はどうなっている?!

青年の動揺が目の前の使用人の男性にもよく伝わったのか、彼は目を伏せたままで、静かに告げた。

まるで死を宣告する医者のようだと、青年は思った。


「今日未明、連絡のつかないフローレア家を心配して訪れた奥様が、ご自宅で使用人を含めた全員が亡くなっているのを発見なされました。奥様が警察に連絡を取り……おそらくもう、警察がそちらの洋館に到着しているかと思います。ですから_」



青年は、気がつけば彼の言葉を聞かずに足を動かしていた。

そんなわけがない。死ぬなんて。何故?言葉だけ聞いても全く信じられない。質の悪い冗談か何かなのだろうか?そんなわけがない。そんなわけがないのだ。だってあんな今にも悲しい表情で青年に伝えたのだ。嘘を言っているとは思えない。だとしても信じられなかった。

馬鹿なことだ、まさか、絶対にないと何回も言い聞かせた。きっと今頃、洋館ではそれぞれ好きなように生きていて、洋館の前では弟妹たちが「どこにいってたの」と叱ってくれるし、父親と母親もあきれ顔で、執事とメイドの姉弟も微笑ましく眺めているに違いない。

そうだ。きっとそうなのだ。


そして、家にたどり着いた頃、青年は彼の言葉が真実であったことを身をもって知ることになる。


洋館は封鎖されており、警察が身に着ける黒い服を身に着けた人がたくさん集まっていた。警官の表情は、一様に重苦しい。左を見ても右を見ても、どの場所にいる人間を険しい顔をしている。この洋館でなにかあったのだと、暗に告げているようなものだ。気が気ではなくなって青年は洋館に入ろうと玄関の扉へと向かうが、警官の一人に引き止められる。「ご遺族の方ですか?申し訳ありませんが、まだ入ることは……」その形式ばった声に、青年は苛立つ。注意をしてくる警官の声を無視し、無理やりにも入ろうと試みた。「まだ入れません!」という声と共に別の警官に腕を掴まれそれも叶うことはない。青年は乱暴に警官の腕を振り払った。思った以上に力が入ってしまったのか、振り払われた警官は転びそうになっていた。

「住人は何処ですか?!俺の家族と二人の使用人がいたはずです!彼らは?外に避難しているんですか?」

まくしたてる青年を見た二名の警察官は顔を見合わせると、心から申し訳なさそうに歯噛みし、そうして小さく呟いた。

「こちらへどうぞ」

それは屋敷の内部ではなく、洋館の近くに置かれた車へと案内された。周囲に家族の影を探したが、何処にもいない。

7人分の遺体がいくつかの車に分けられて乗せられているのをこの目で見た時、青年はあまりの出来事に、目の前で起きていることを理解することを拒絶した。何かの質の悪い演劇なのだろうかと思うほどに、青年を構成する全てがこの現実を否定したがっている。青年は、それぞれの遺体にふらふらと近づいては、声をかけた。一人ずつ、丁寧に、まるで相手が生きているかのように振舞った。しかし、青年の声ばかりが一方的に零れて、誰もが青年の言葉に反応しなかった。

この場を支配する沈黙に込められた青年に対する憐憫が、青年の心を蝕んでいく。


「お父様。起きてください。お母様とお揃いのアクセサリーを買ってきたんですよ」

返事はない。

「お母様も、ただいま帰りました。心配させてしまってすみません」

返事はない。

「ほら、貴方たちも、起きてください。お土産を買ってきたんです」

返事は返ってこない。

「貴方たち姉弟にも、好きなお菓子買ってきたんです。いつもよく働いてくれますから」

誰も、返事を返さない。

「どうして」

家族の誰もが、死に沈黙していた。

「嘘だ」

青年は、家族が死んだことを理解した。


激しい慟哭が、むなしく響き渡る。

家族の遺体に縋る青年の両手には、なんにも残っていなかった。

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