Reminiscence 10

長男の部屋をノックすると、すぐに彼が出てきた。

「あれ、どうしたの?」と首をかしげる長男に、青年は一言「妹たちがお話したいことがあるようなので、ロビーに来てください」とだけ伝えた。

長男は背後の執務机を見て、しばらく考える素振りを見せていたが、すぐに青年の方に向き直る。

「判った。今すぐ行くよ」

青年は小さく頷くと、そのまま近い方の階段を遣い、ロビーへと降りていく。「あ、待ってよ」という焦る声が、青年の背後から聞こえた。


ロビーにつく頃には、洋館で暮らす全員が揃っていた。テーブルには沈痛な顔持ちで腰かける母親と、隣で彼女に寄りそう父親の姿が見える。末娘が両親の傍に寄り、眉を下げている。末娘の瞳には、不安が広がっているのが見て取れた。彼らの傍には、執事とメイドが夫妻の傍へと立っている。メイドに関しては本当に今にも泣きだしそうな顔だった。奥方の妹とは幼馴染らしい使用人の二人は、家族以上に辛い気持ちなのかもしれないと青年は姉弟の姿を見ながら考えていた。長男が長女の持っている羊皮紙を見て、息を呑む。おそらく、自分と同じ何かの邪悪さを感じたのだろうと理解出来た。上ずった声で「それは、何処から?」と長女に聞いた。

長女は、長男の声には答えなかった。代わりに大きく息を吸い、深く吐き出した。まるで、不安や後悔を取り払うように。

長女は、静かにテーブルの上に羊皮紙を置いた。主人がその羊皮紙を見て目を見開くと、長女に視線を向けた。その視線は父親としてではなく、当主としての厳格さが宿っていた。

「……その紙は。まさか、君は」

老いてなおも威厳を感じさせる声がロビーに静かに広がっていく。長女は、その声に臆すこともなく、両手で服を掴んで、その場にいる全員に訴える。

「これは、地下書庫にしまってあった羊皮紙よ。一人一滴ぐらいの血で、願いを叶えることが出来る魔術。人が多ければ多いほど、願いの効力は強まると書いてあったの。全員でこの魔術を使えば、お母様の妹のご病気も治るかもしれない。だから、協力してほしくてここに呼んだの。魔術なんて、あるわけがないって思うかもしれないけど……けど、このぐらいのおまじないなら、許されるのではないかしら」

母親は顔を上げ、心配そうに彼女を見つめているが、その表情には戸惑いも込められていた。

突然魔術という突飛なワードが出てくれば、無理もない。到底信じられないだろう。

けど、同時にどこか縋りつくような感情も見え隠れしているように見えるのは、青年の都合よく捉えているからだろうか。


しかし、彼女の声を切り裂いたのは、父親の声だ。

「……もうずっと、触れられてもいないのだぞ。簡単に頷くことは出来ない。100年もの間、私たちの一族は、魔術を悪用されないようにその存在を隠してきた。我が一族の半身と言って過言ではないクリステア家の者にさえ、このことは伝えていないのだ。それに、もしもこの魔術を使ったとして、魔術が願い通りに叶えてくれるか判らない。魔術は過去の存在にするべきだ」

青年は、父親の言葉に納得自体はしていた。

それはそうだろう。

この魔術一つでさえ、世界を揺るがしかねないとんでもない代物だ。

願いを叶える魔術なんて大層なものがこの世に存在すると世間が知れば、何処かの愚か者がその魔術の知恵を得ようとしてくることは想像にたやすい。そしてそれは残念ながら、青年を含めた家族も例外ではないのだ。今回は、魔術を使うことで、結果的に人助けになるかもしれない。だが、それは結果論だ。”願いを叶える”という魔術が文字通りのものならば、味を占めたと言わんばかりに舌なめずりをして私利私欲のために魔術を使おうと邪道に転がり落ちる可能性は全く否定出来なかった。

意見をしたのは末娘だった。

「きっと、きっと二度と使わないわ!今回限りよ!こうでもしないと、お姉ちゃんは助けられないのよ!今日お話を聞いてきたの。お姉ちゃんの病気はとっても辛くて苦しくて、けど、自分たちにはどうしようもできないって。お婆様が、お姉ちゃんに出来ることは何もなくなってしまったって泣いていたのよ!お姉ちゃんはあたしたちがこうしている間に、何処かで苦しんでいるかもしれないの!きっと……きっと、探す時間なんてないわ。手掛かりなんてまったくないんだもの。けど、この魔術を使えば、手掛かりなんてなくても、少なくとも病気は治るかもしれないわ!そうしたら、いなくなる理由もなくなって、きっとあの家に戻ってくるって思うの……。お父様、それじゃあ駄目?救える手段があるのに使わない。そんなのって、とっても怠惰よ!」


涙を散らして叫ぶ末娘に、その場にいる全員の表情が悲しみに歪んだ。

青年だけが、違う理由で顔を俯かせていた。


本当は知っているからだ。末娘が懐いている「お姉ちゃん」のいる場所を。


青年は閉口していた。

たとえどれほど問いただされようとも、彼女との約束を破ることは__。

青年には、出来なかった。




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