Reminiscence 6

「10年前、ここはひいおじいさまとひいおばあさまのおうちだって言ったでしょう。けどね、クリステア家の方じゃあないのよ、わたしを……わたしをお腹を痛めて産んでくれたお母さんのご家族の家。ずーっと知らなかったんだけど、どうしても気になって調べて……こっそりとね、お出かけしたことがあるの。その時にこの家で元々暮らしていたご夫妻と出会ったのよ。これまで苦労を掛けたお詫びに、この家を差し上げるって言われて……。わたし、驚いてしまったわ。だって、こんな素敵なお家。夢みたいでしょう?18になって、もう一度会いにこの家に来たら…その時にはもう、二人はいなかったわ。残されたのは、この家に関する契約書と"お誕生日おめでとう"のバースデーカードだけがこのテーブルに置いてあったの。それからは、ずっと二人の傍にいた彼女に家の維持を頼んでいたの。ブルネットの髪の素敵な女性がそうよ」


奥方の妹は、コップを準備してキッチンに向かいながら、青年に声を弾ませて、けれどどこか懐かしそうに話していた。

話を振られた使用人は、ぺこりと青年に頭を下げる。

こじんまりとしたリビングで、青年と奥方の妹、そして使用人の女性が集まっている。青年の着替えは一時的に使用人に預けていた。何分雨で濡れていたので、せめて乾かさないと風邪をひいてしまうと言って引かなかったものだから、根負けした形で今日着ていた服を渡したのだ。今頃は、にこやかな笑顔で服を洗っているのだろう。というわけで今の青年はこの家にあった服を借りていた。元々の住人である住人が、折角だからとそのまま彼女にプレゼントしたものらしく、青年には少し小さかった。


「いつもは体、つらくないのよ。病気であることを忘れるぐらいにね。たまに、発熱と……全身を太い針で刺されるような痛みが襲うの。思わず、痛みで死んでしまいそうなぐらいよ。病気が末期にまで進行するとどんどんと痛みが激しくなっていって、多くの人は、激痛によるショックで亡くなるそうよ。アイゼルネ・ユングフラウってあるでしょう?きっと、あの箱に詰められたらこんな痛みを感じると思うのよ」

ベッドから起き上がった奥方の妹はテーブルの上に三人のココアを置いた後、青年が座っている椅子の隣に腰かける。さもそれが当たり前かのような口ぶりで言った。随分と慣れてしまったのだろう。奥方の妹の表情は、あまりにも自分のよく知る微笑みを浮かべていた。その物騒な拷問具の名前を何処から仕入れてきたのだろうという疑問は、流石に言葉にせずにそのまま呑み込んだ。


「凄く珍しい病気でね、今の医学ではどんな薬も治療法も効かないっていうから、本当にびっくりしちゃったわ。だからね、わたしは次期当主にはなれないからとお父様に地位を返上して、援助も全部断ってここにきたの。未来の見えない腐りかけに投資をするよりも、これからの可能性がある存在に目を向ける方が遥かに効率的でしょうって両親に言ってやったの。援助をするなら、それはわたし自身ではなく、この病気を研究する機関に援助をしてあげたほうがいいって。ほら、そうしたら、これからわたしと同じ病気になった人が助かる確率が高くなるでしょう?治療薬の開発も早く進むかもしれないしね。あ、けどお仕事は放りだしていないわ。ちゃんと次期当主として、今残っているお仕事は全部終わらせておいたし……わたしなりにクリステア家の次代の当主としてふさわしいと思う方のリストもお父様に提出しておいたもの。能力はもちろん重要だけど、視野の広そうな方をね。時代は絶えず変わり続けているもの。変わりゆく世界を捉え続けるぐらいの視界はなくては、当主としてはやっていけないわ」

そう歌うように告げる奥方の妹の様子は、一見は冷酷と思えるほどにいつも通りだった。青年は、書類と向き合う長男の言葉を思い出す。曰く、あらゆる物事に対しての先見の明がなければ、すぐに地に転がり落ちてしまうと。奥方の妹は一族を背負う次期当主として、未来の潰えた存在に金を貢いで一族が全員共倒れする地獄より、自分を切り捨てることで一族を存続させることを望んだのだろう。

けど、青年はその冷たさに意地が隠れていることを見抜いていた。いくら一族のためだからって、縁を切ることはないだろうから。


「本音は?」と青年は奥方の妹に問いかけた。

次期当主としては、きっと間違いではない判断なのだろう。けど奥方の妹自体はどうだろうか?彼女はそこまで突き抜けた人間ではないと、青年はよくよく知っていたから、あえて踏み込んだ質問をした。きっとこれだけが本心ではないだろうとわかっているから。

奥方の妹はぎょっとしたような顔をして、目を閉じた。しばらくすると息を吐いて、また美しく笑みを浮かべる。それは普段浮かべる穏やかで他者を安心させるような微笑みとは違い、悲しみと強い後悔を帯びた、感情に沈む微笑みだった。


「もう、本当に鋭い人なのね。けれど、さっきの言葉も間違いなく本音よ?次期当主としての考えだもの。けどわたしとしてはね、わたしを育ててくれた家族に迷惑をかけたくなかったのよ。ほら、あの人たちって…わたしをお情けをかけて引き取って、たっぷり愛情をくれるような、本当、非の打ち所がないお人好しでしょう?あなたのご家族と同じぐらいに善人で、とてもとても素晴らしい人たち。おかげで、わたしはここまで生きることが出来たし……」


奥方の妹はため息をついた。


「きっと、わたしが病気に罹ったとなったら、わたしを治すためにどんどんお金を使っちゃいそうなのは、なんとなく見えていたわ。今はあの家も潤沢かもしれないけど、いつまでも、なんてことはきっとありえない。いつかは花は枯れそうになるわ。花が枯れる理由はいろいろあるの。不景気に、不慮の事故、戦争なんかもそう。多くの人が悲しみ苦しんでしまうようなことが、明日にも訪れるかもしれないでしょう。その時にね、きちんとした作りをしていて、ちょっとじゃ壊れない強度を持つ如雨露と、綺麗で清潔な水と、新しく肥えた土壌をどれだけ数多く用意出来ているかが重要なの。お金はその一つでしかないけど。でも必要不可欠よ」


パンにジャムを薄く広げて塗るように、諦観の感情が彼女を満たしていく。日差しにどこか縋るような瞳で、奥方の妹は窓の外を見つめていた。もしかしたら、今抱いている諦めの感情を消したいのかと、青年はふと思う。幼い頃は、こんな難しい事を考えなくとも、もっと簡単な理由で笑えていたのだから。次期当主として選ばれ、数々の仕事に関わっていくうちに、彼女は隠れ潜んでいる下卑た事実もいくらかこの目で見て来たのだろう。それでも、奥方の妹は何処までも清らかな人間だったから、こんな決断を下すことが出来たのかもしれない。

青年は、奥方の妹の手に自分の手を触れるように重ねた。彼女は、はっとした表情で青年を見やると、すぐに笑みをこぼして、おとぎ話を読み聞かせるような口調で語る。


「世界はいつだってわたしたちを置いてけぼりにしていて、どうでもいいと思っているでしょう?だからね、もしも枯れそうな時にお水がなかったら、きっと大変なことになるわ。今まで贅沢な暮らしをしていたもの。すぐに貧乏生活なんて慣れっこないわ。……わたしにとっては大好きな家族だもの、出来たら、本当に望むなら、いつまでもいつまでも健やかでいてほしかったのよ……」


奥方の妹は一旦言い終えると顔を俯かせ、そして再び青年の顔をじっと見つめた。青年は「何故、縁切りまで宣言したのですか?」と訊ねると、奥方の妹は困ったように眉を下げる。

「駄目押しよ。わたし、意外と優柔不断なの。もしも家族の縁まで持ち出されたら、きっとあの人たちのやさしさに甘えちゃうから。もしかしたら、って思っちゃう。だから、決意表明よ」

重なった手を絡めて、彼女は言う。奥方の妹の瞳には、穏やかな声と裏腹に涙が滲んでいた。

結局のところ。

奥方の妹は、きっと家族を想ってこの決断をしたのだろうと思う。その決断に至るまで、どれほどの苦悩があっただろうか。きっと、最初からこの考えには至らなかったはずだった。誰だって死ぬのは怖いのだ。治療や援助を受けられないということは、病に僅かでも抵抗をする選択を放棄し、そのまま己の死をただ静かに受け入れるというのと同じ意味を持つ。その選択を取ってまで、彼女は一族からの申し出を蹴ったのだ。考えに考え抜いた結果、聡かった彼女はそれが家族のためになると思い、自分の命を見捨てることを選んだ。次期当主という立派な看板を掲げ、建前は筋の通った正論を並べ立てながらも、内心では膝を抱えて涙を流しながら、救いを訴えたかったに違いない。


「それにね」そう青年に上目遣いを向ける奥方の妹に、青年の胸が跳ねる。こんな甘い瞳を向けられるのはじめてだった。色づいている頬と唇が煽情的に見えて、青年の身体は一瞬こわばる。青年と指を絡めたまま、奥方の妹はふふ、と悪戯好きの子供のような微笑みで言葉を続けた。

「本当は、次期当主なんて嫌だったのよ。だから、ちょっとすっきりしているわ。どんな理由で次期当主を他の方に差し上げようか考えていたもの、とっても都合がよかったわ!ちょっと運が向いてないけどね。あなたがここに来てくれたから、もうわたし、明日には死んでもいいぐらいよ」

奥方の妹は、青年に体を預けるように青年の肩に頭を乗せた。

「駄目ですね。せめて後100年ぐらいは長生きして頂かないと困ります」

青年が冗談を言えば、彼女は笑った。

「あら、それは病気に罹らなくてもとっくにお空の上よ?」

「でも、そうね、わたしが100年も生きるなら、あなたも100年生きてくれないと割に合わないわ。ね?そうでしょう?御年118歳まで生きるの。とっても先の長い話ね」

そんな軽口を叩く彼女は、年頃の少女のように無邪気だった。


大体の事情は呑み込めたものの、それでも青年は気にかかることがあった。

「やはり、家を出る必要はなかったのではないですか?妹たちもショックを受けていましたよ。勿論、お婆様たちも。顔を出してはどうですか?よければ、俺からこちらにいることを伝えておきますが」

少しだけ冷めたココアを一口飲み、青年は奥方の妹に問う。

そう、本当に何もここまですることはなかったはずだ。

彼女がいなくなったことで、彼女を育ててくれた養父母もそうだし、仲が良かった青年の家族の悲しみは計り知れない。

何故ここまで手の込んだことをしたのだろうか?

奥方の妹はその問いに、曖昧に眉を下げて少し困ったように笑いかけた。

「駄目よ。会いに行ったら、……耐えきれなくなってしまうわ。ここまでしたのよ?お姉様にも、お母様にも、お父様にも、屋敷でわたしをお世話してくれた使用人の方々も、勿論貴方の家族もね。優しいもの。きっと泣いちゃうわ。その場で心臓が止まってしまうかも。それにね、なによりもわたしがここにいたいのよ。クリステア家のとっても賢いお嬢様じゃなくてね。なんにもなくて、何処にでもいるような、歴史に埋もれちゃうような平凡な女の子として命を終えるって、わたしが決めたの」

奥方の妹の言葉を、青年はじっと聞いていた。何処か解放されたようなすっきりとした様子で話す奥方の妹に、青年は何も言うことは出来なかった。奥方の妹は、青年を見ると、心から幸せそうに微笑み、確かに言った。


「こんなことをしても、家族が喜ぶなんてことはなかったはずなのに、不思議ね。全然、筋が通ってないもの。けどね、わたし、どうせ死ぬって思ったら、やりたいことをやりたくなっちゃったの。幼い時の約束がね、頭から離れなかったのよ。絵本のお姫様が、運命の王子様を待ち続けるように。いつあなたがわたしを迎えにきてくれるって思っていたの。随分ロマンチストでしょう?とっても身勝手なことをしたと思っているわ。わたしって、おかしくなっちゃったのかしらね。死を目前にして、冷静な判断が出来なくなってしまったのかも。けどわたし、全然後悔していないわ。ええ、これっぽっちも悔いなんてなかったのよ!だって、あなたがくるのを信じていたもの。絶対に約束を果たしてくれるって、そう思ってたんだわ」


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