Reminiscence 2

10歳の誕生日、一族の証として長男と青年は当主の父からアクセサリーを貰った。

特注の装飾職人に頼んで作らせた十字に丸を組み合わせたようなアクセサリーは、この家のシンボルでもあり、フローレア家に伝わる伝統的な装飾具でもあった。長男はそのアクセサリーを髪に飾りながら「ねえ、見て。とってもきれいだね」と笑っていた。長男の笑顔につられるように、青年も貰ったアクセサリーをみる。首掛けのネックレスにしてもらったアクセサリーを、青年はゆっくりと壊さないように首につけてみたが、慣れない重みと違和感に「ちょっと痒い」とぼやいてすぐに外してしまった。その様子を見た父親から呆れられたが、青年は気にも留めない。


それよりも驚いたのは、その日の夜に奥方の妹がこっそりとやってきたことだった。

三階の窓を見ると、彼女が洋館の近くまで来ているのが見えた時は、青年は思わず「なんで」と声を零したほどだった。まだ10歳だ。あまりにも危険すぎる。青年は他の皆に気づかれないよう、静かに静かに足を動かしながら裏口から洋館の外へと出て、奥方の妹の傍へと向かうことにした。本来ならば裏口の鍵が必要で、執事から借り受ける必要があった。けれど、青年は執事が作っていた予備の鍵の隠し場所を正確に記憶していたから、執事に態々声をかけなくても裏口から向かうことが出来た。時間は夜の11時。少なくとも大人たちは起きているだろう。最初は両親に声をかけようかと思ったが、なんとなく気が進まなくてそのまま一人で奥方の妹を迎えに行った。

「なにをしにきたの?」と青年が尋ねると、奥方の妹は微笑んだ。

「きょうは、あなたのたんじょうびだったでしょう?おいわいをいいたくて、ぬけだしてきてしまったの。あんしんして、ちゃんとおとなのかたもついてきてもらっているから。すこしとおくのところにいるわよ。どうしてもふたりきりになりたくて、はなれてもらっているの」

青年は少し先の道に、彼女の使いらしき成人した女性がこちらを心配そうに眺めているのが見えた。

そんな理由かと青年は拍子抜けしたと同時に、一族のアクセサリーを貰った時以上に嬉しくて、心が満たされる気持ちになった。奥方の妹は「あのね」と、体をもじもじさせながら青年を見つめている。青年は首をかしげると、とても気恥ずかしそうに、まるで夢を見ているかのような甘酸っぱい表情で言葉を紡いだ。


「お誕生日プレゼントに、教えてあげる。わたしのとっておきの秘密よ。あなたの家から一番近い鉄道に乗って、終点まで乗るの。だれもおりないような、辺鄙な場所よ。ちょっとあるいた先にね、森があるのよ。空気の綺麗な場所でね、大きなまあるい石が森の入り口のめじるしよ。そうしたらね、森をまっすぐに進むの。まっすぐよ?森をとおりぬけると、海のよくみえるすてきなおうちがあるの。今はひいおじいさまとひいおばあさまのお家だけど、18さいになったらこっそりと譲ってもらう約束なの。それまで、お二人からのお誕生日プレゼントを我慢するかわりにね。いつかあそびにきてね、そうしたら、そこでふたりでくらしましょう。約束よ。これは、わたしとあなただけの秘密」


言い終えると、奥方の妹は小指を差し出した。しばらく面食らった表情をしてしまっていた。けど、どうにも悪くない気がして、目を逸らした青年は顔を赤らめて頷いた。青年も同じように小指を差し出して、小指を緩く緩く結ぶ。青年も奥方の妹も、陽だまりにつつまれたかのような幸せに微笑んでいた。今思えば、この時から青年は奥方の妹に恋をしていたのだろう。

翌日、青年は眠れずに盛大に寝坊してしまい、母親から軽く怒られたことも鮮明に覚えている。


8年の時が経ち、青年は18歳になった。春の陽気が、丘の上の草木たちを祝福しているようだ。

幸運にも彼の歌に魅了されたという人からそれなりに歌の依頼もやってくるようになり、歌で生活できるだけの収入を得ることが出来ていた。変わっていたのは青年だけではなく、皆が皆、それぞれにいい方向に成長していた。昔から優秀で思慮深かった長男は次期当主としての才覚を表し、父親の仕事を引き継いでいる。長男は当主の仕事に夢中で、両親は逆に心配しているぐらいだ。青年も執務に没頭する彼のことが気がかりで、長男を無理やり休憩させていたこともある。そんな長男を見た長女もまた、学校へと通いながらも、当主になる予定の長男のサポートをすべく難しい本で知識を身に着けており、よく両親や長男を交えて議論をしている。末娘だけがまだ子供盛りで、友達と一緒に街へと遊びに行ったり、外で駆けまわったりして青春を謳歌していた。最近は好きな男の子も出来たらしく、その男の子の好きなお菓子を作りたくて、執事やメイドにお菓子作りを学んでいるらしかった。青年は仕事がない日は長女や末娘の勉強を教えたりしていたし、長男の仕事も多少ながら手伝っていた。両親や兄妹の仲は変わらずとても良好だった。青年は青年なりに、家族を愛していた。


奥方の妹との交流は今でも続いている。

奥方の妹もまた、異例の女性次期当主としての勉強に忙しくて最近はめっきりと顔を見せなくなったが、一か月に一度、手紙という形でこっそりと二人だけで交流していた。青年と奥方の妹の関係は、家族の誰にも言っていなかった。勿論、約束のことも一言も告げていない。言ったところで何か変わることはないだろうし、わざわざ言わなくてもいい事だ。ただ、たとえ伝えても祝福もしてくれるだろうことはわかっていた。けど、あの約束で感じた温もりの欠片を、誰かに伝えることを嫌がる自分がいる。子供らしい理由に、青年は思わず軽いため息をつき困ったように微笑んだ。机の上には、書き途中の便箋が広げられている。今は、奥方の妹への今月の手紙の返事を書いている最中だ。奥方の妹の方は領主の仕事も落ち着き、現在はゆっくりとしていると手紙には書かれていた。彼女から送られていた手紙は、大事に大事に畳んでしまってある。青年は自分の言葉を文字で書くことが恥ずかしく、何と書けばいいのか判らなくて、義務的な近況報告ぐらいしか書いていなかった。近況報告の他に、どんな言葉を書こうかと思い悩んでいると、背後から声が飛んできた。

「お兄ちゃん、お兄ちゃんったら!もう!お願い、こちらの世界に戻ってきてよ!」

その声に、青年の意識は洋館へと引き戻された。背後を振り向くと、むくれた顔の末娘が立っている。手紙を書いているのに集中していて、末娘の声に全く気がつかなかった青年は「すみません。集中していました。なんでしょうか?」と非礼を詫び、要件を訊ねた。末娘はむくれた表情をしていたが、すぐに小さくためいきをついたあと、呆れたような声色で話を続けた。

「もう、お兄ちゃんはすぐに集中すると周りが見えなくなるんだからっ。今週末ね、お姉ちゃんに会いに行こうと思うの。この前お外で遊びに行った時に転んでしまって、ハンカチをお借りしたんだけど、まだ返せてなくて……。返しに行こうと思うのよ。お兄ちゃんも会いたいでしょ?最近会えてないし、お兄様もお姉さまも、それぞれのことで忙しいでしょう?けど、一人で行くにも寂しいじゃない?だから……都合が合うようなら外出をご一緒したいの。駄目?」

断る理由もなかった青年は、末娘の言葉に頷いた。人懐っこい末娘は、奥方の妹のことを「お姉ちゃん」と呼んでいて、もう一人の姉のように呼び慕っていた。昔から長女のことを「お姉様」と呼んでいるから「お姉ちゃん」らしい。青年のことを「お兄ちゃん」、長男のことを「お兄様」と呼ぶのと同じ理由だと思われるが、どんな基準で使い分けているのかは青年も良く判らなかった。

確かに、彼女はとても優しいし面倒見がいい。末娘は勿論、内気な長女も彼女にはよく懐いていた。普段は本に夢中な長女が、奥方の妹が家に来るという報せを受けると、読んでいた本をすぐに閉じて玄関前に迎えに行くぐらいだ。彼女の姿を思い出していた青年の表情を見た末娘は、何かひらめいたような花のような笑顔をして、急いで青年の部屋の扉をパタンと閉めた。そして青年と耳打ちできる距離まで近寄ると、秘め事を話すように囁く。

「もしかして、お姉ちゃんのことが好き?」

末娘の言葉に、青年は思わずペンを取り落としてしまった。これでは「はい、そうです」と全身で肯定しているようなものだ。取り乱した青年は「いえ、あの」と必死に言葉を探してしまう。しかし、どんな言い訳をしても無駄なことはわかっていた。ふたつ瞬きした末娘は、ふわりと微笑んだ。「みんなには言わないわ。大丈夫よ。なら、思いっきりお洒落していかないと駄目よ?好きな人の前では、ちょっとでもかっこつけないとね」と、勢いよく親指を立てていた。キラキラとしたオーラが出ていそうなほどの末娘の様子に、青年は言葉を探すのを辞めて、そうですね。と思わず微笑み、末娘の頭をゆったりと撫でた。末娘は一瞬だけ動きを止めると、青年に顔をばっと向けて、向日葵のような笑顔を作った。


そして、ついにその日がやってきた。

奥方の妹の家に向かう日、青年は今日下ろしたばかりのシンプルなワイシャツとスラックスを身に着けている。蜂蜜色のワンピースを着こなす末娘は、青年の身なりを見てにこりと微笑むと「とっても似合うわよ」とウインクを飛ばした。末娘は流行には敏感で、服装に関しては信頼出来る。外出用の身なりに着替えている二人を見た長女は、大量の本を腕に抱えながら「あら、何処かに行くの?」と尋ねた。末娘が「お姉様!またお勉強なの?あのね、今日はお兄ちゃんと一緒にお姉ちゃんの家に遊びに行くのよ!だから、帰るのは夕方ぐらいになってしまうわ!」と答えると、長女は少し驚いたように僅かに目を見開かせると、すぐにくすりと笑う。「あら、そうなのね。羨ましいわ。私も一緒に行きたいけど、勉強が終わってないから難しいわね」長女の今にもついていきたそうな様子に、青年は「何か分からないことがあれば教えますよ」と、勉強を手伝ってもいいと申し出たが、長女は首を横に振り、控えめに笑う。

「ううん、大丈夫。兄さんの教え方はとても分かりやすいから、ついつい頼ってしまいそうになるけど、たまには自分の力でやらなきゃね。それに、今日は兄さんも一緒に行くのでしょう?なら、そちらを先に優先して」

青年は長女の言葉に小さく頷く。

「そうですか。自分の力でも解決出来そうになかったら、該当する箇所に印をつけておいてくださいね」

長女に笑いかけると、彼女も嬉しそうに笑った。勉強好きで努力家な彼女は、いつも本を抱えては青年や長男に勉強を教わっている。

「ええ、そうするわ!」


「お兄様、そろそろ行きましょう!」

末娘が勢いよく両開きの豪華な玄関の扉を開けた。雲一つない青空が、青年の目に一杯に飛び込んでくる。

少しだけ眩しいと感じるが、青年はそのまま末娘と共に外へと歩き出した。

ポケットの中に認めた手紙を、しっかりと確かめて。

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