3話
オレンジジュースの入ったコップを両手に持ち、先程から微動だにしないあたしたちを気の済むまで見下ろしたトアは、コップをテーブルに置くと、廊下へ続く扉の向こうへと消えていった。
そして2分もせずにファイルをいくつか抱えて戻ってきた。空になったふたつのコップを見て眉をひそめながらも、自分はテーブルを挟んだ床に直接座り込む。
「あの、ありがとう。まだよく....っていうか、全然状況分かってないけど 」
「でしょうね、全部説明するから黙って聞きなさい 」
「なあ、この椅子いくらすんの? もしかしてこの部屋の物全部高い? 」
イノは今日1番真面目そうな顔をしている。
トアはこの時点でイノを無視することに決めたらしく、気持ち体をあたしに向けてオレンジ色のファイルを開いた。2人で前屈みになりそれをのぞき込む。
ページには色鮮やかなヤモリ___トカゲ? が水彩画や色鉛筆で描かれていた。
すごく上手い。だけどなんか....変。
目の焦点があっていなかったり、尾の形が独特なものばかりだ。
そういう作風? 間を置いてトアがページをめくる。こちらも水彩画に色鉛筆、しかし色数が極端に少ない。灰色でベタ塗られた生き物がたくさん描かれている。焦点はやはり合っていない。
このページのまま、トアは口を開いた。
「前提として、理由はナシで、仕組みも一旦置いといて........というか分からない。事実として、ここには色を自分の体に取り込むことができる爬虫類がいるの。なんでも取り込めるわけじゃなくて、生きてる色だけ。無機物....このテーブルとか椅子の色は無理。対象は植物とか....人間とか。で、さっきあなたたちを襲ったのは人型の....トカゲ、かどうかは見ていないからなんとも言えないけど、かなり発達した1番危ないやつ。だから___ 」
「ちょ、っとまった....! えっと、何....? 」
黙って聞けと言われた手前沈黙は守りたかったが、正直もっと早めに遮りたかった。
必死に頭を回転させながらトアの顔とファイルを交互に見る。
この作品の話にしては言い方が妙だ。
人の形した爬虫類なんて想像しただけで悪寒がする........想像......。
そのときあたしの頭に浮かんだのは抽象的なイメージではなく、フードの暗闇に光るふたつの点だった。鮮明なまま残る記憶に鳥肌が立つのを感じる。
本当に......?あれが?
忘れようとしていた記憶を必死に呼び戻す。指先が冷たくなってきた。
「あなたの隣は理解してくれたみたいだけど」
隣、そうだイノ。いつもの軽口が聞こえてこない。
しかし、顔を向けたイノは軽口どころではなく、青ざめた顔に灰色の瞳を揺らしながら口を固く結んでいた。
「イノ? 信じる気....? 」
おそるおそる視線を送ってみたものの目は合わない。
「....当事者だからよく分かってるのよ」
イノを横目で見ながらトアが言った。当事者...?
「て、適当なこと言うなよ」
その言葉に反応し前のめりになりながらイノが言う。
その様子にトアはほんの少し目を見開いた。予想外の返答だったらしい。
「呆れた。わたしに隠したってなんにもならないわよ。情報共有してあげるって言ってるの 」
突然、いや、それほど急でもなく、あたしの脳は思考をやめた。
あっという間に蚊帳の外だ。2人の顔を交互に見るくらいのことしかできない。それでもイノの動揺だけは手に取るように分かった。
煮え切らない態度のイノに、トアの眉が下がっていく。
「......元の目は何色だったのよ」
「も、元もなにも俺はずっと___ 」
頑なに視線を逸らすイノをじっと見つめていたトアは、目線を下げ同情ともとれる表情をした。
のも束の間。
ガッ、と。その瞬間トアはテーブルの上に片手をつき、イノの右腕を掴み引いた。
同時にプラスチックの音。空のコップが転がる。
自分の肩が跳ねたのを感じた。目の前のふたりを呆気に取られ見つめる。
トアがイノに顔を近づけた。
「虚しくならないの? 」
「___っ離せ! 」
音を立てて掴まれた手を振り払ったイノの呼吸が浅い。
「ちょ、ちょっとなにしてんの」先程の様子といいこんなイノは見たことがない。適当な冗談で面倒事から逃げることを特技とするようなタイプだ。この動揺の仕方は異常。さっきカフェでもあいつに掴まれたのをフラッシュバックしたのだろうか。あの恐怖はイノにしか分からない。
一瞬悲しそうな視線を向けたトアは、前のめりになったからだを戻し、崩れたファイルを床に置いた。そこからピンク色のものだけを手に取る。誰とも目を合わせようとしない。
イノは背もたれと肘掛の角に体を収め顔を伏せた。
「......わたしも腕を触られるのは嫌いなの......思い出すから......続き、これ見て」
トアは心なしか声のトーンを下げてファイルを開いた。
そこに載っていたのは絵ではなくいくつかの写真だった。それも白黒の。
......ん? ちがう。白黒.....というか、灰色なのは人間だけ。この人たちが横たわる草や着ているものは全てカラーだ。気味の悪い写真に脳が混乱している。
「何....これ」
「この人たちは全員死んだの。あいつらに色を盗られて 」
無表情に淡々とそう言ってのけたトアを見つめる。あたし今口があいてる気がする。急にこの無機質な部屋が怖くなってきた。自分が話を理解できているかどうか確認する術が欲しい。
「あの、ううん。ほんとのことなんだよね....いちいち聞き返すのやめる」
やめる、と口に出さなければ延々と疑問をぶつけてしまいそうだった。
今はチュートリアル中、それを聞いてどうするかはあたし次第。
....今のところ選ばせて貰えなさそうではある。
「そうして。どうしてこうなったかっていうと、さっきのやつらに二度、色を盗られると全身が灰色になって死んじゃうの。アナフィラキシーショックってあるでしょ、あれと同じよ。わたしたちは灰死とか灰死体って呼んでる 」
宣言しなければよかった。聞きたいことが次々膨れ上がってくる。カフェオレとオレンジジュースがお腹の中で
「二回.....? じゃあ、一回目はどうなるの? 」
久しぶりにトアと目が合った。喋るなと言われるだろうかと身構えたものの、彼女は頷いて自身のサイドアップに触れた。改めてピンク色の髪を観察すると、結われた毛束の中に灰色のメッシュが入っていることに気づいた。珍しいといえば珍しい組み合わせだ。
「盗られた箇所だけ灰色になるの........そうでしょ?」
トアはあたしではなくイノを見て言った。
その言葉に反応して顔をあげたイノの瞳は揺れていた。
「......お前 」
「言ってるでしょ、わたしに嘘ついたって無駄なの」
トアがため息をついた。
途端あたしの心臓は急に忙しくなった。
残念なことに理解してしまったらしい。
2人の共通した色。イノの瞳の意味を、トアのメッシュを。
「待って....盗られたって、色を? イ....ノは目を? そんな....いつ....ええと、だって孤児院で会った時から灰色で....そのときは12とか13才で........トアは? その2束だけ? 」
イノに顔を逸らされてしまい、慌ててトアに疑問をぶつける。デリカシーという言葉が一瞬頭をよぎったが、トアは表情を変えなかった。
「今のわたしの髪色は灰色。ピンクに染めたの、これはただの染め残し」
「染め残し....?」
「そう、あいつらは人目を避けてるから。灰死体という痕跡をできるだけ残したくないの。あんたたちはわたしに1度手をつけてるわよ、っていう目印。あとは....まあ...色々」
ここまで話してくれながらも濁すのだ、よっぽど楽しくない理由なのだろう。
あたしの顔を見たトアは短く息を吐いた。
「言っとかなきゃいけないことはこのくらいね。ゆうくんもそろそろ___ 」
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