2話
結局、ここまでたどり着くのに30分以上かかってしまった。
原因はいくつかある。
1番の問題はあたしたち2人とも荷物をカフェに置いてきたこと。
あたしの制服のスカートに購買でパンを買った時のお釣りが入っていなかったら、2駅どころか5駅分走らなければならないところだった。
次の問題、土地勘のなさ。
「俺この辺来たの初めて」
「そんなのあたしだってそう」
住宅街とも呼べない空き地だらけの一角。用事が無い。
朝霧店長に渡されたスマホに表示された地図はスクリーンショット。リアルタイムで方向を教えてくれないから、かなり余計な道を通ってしまった。
あの人を残してきてしまってよかったんだろうか、いや....いいはずはないんだけど。あの場にいてできることなんかひとつも無かった。まだ鮮明に思い出せるあいつの首の動き、店の椅子を全て犠牲にしても平気でいられてしまいそうなあの異物感。
最悪の事態を考えずにはいられない。
「で、ほんとにここ? 」
イノはジャージのジッパーを中途半端に開いてパタパタと扇いでいる。ワイシャツの上に着ているので少し違和感。
カフェのエプロンは、走りづらいというイノの主張により途中の公園で捨てられた。絶対怒られる。
「それは間違いないと思うけど....」
イノが"工事中"の立て札を足で小突いた。
あまり見た事ない足場の組み方だけど、まぎれもなく建築途中。1番上には灰色のシートが半分かかっていて太陽を遮断している。おかげで奥の方は暗闇、敷地は割と広い。
奥に壁のようなものが見える気がするけど、あれも骨組みの1部なんだろうか。
朝霧店長はどうしてこんなところに行くよう言ったんだろう。そりゃ今のカフェに比べればどこだって安全だけど。
手元の地図と目の前の鉄骨を見比べる。一応空き地ってことになってるんだけど。
「向こうまで見てくる」
イノは立て札を観察するのをやめて、暗がりに目を凝らした。立ち入っても良いのか、なんて疑問は今更無い。
「え、あたしも行くよ」
イノを追って1歩踏み出した瞬間だった。
「____ちょっと....! そんなものを連れてくるなんて一体何を考えてるのよ」
棘のある女の子の声とともに、暗闇から飛んできた小さなナイフが音を立ててイノの足元に突き刺さった。
45度の角度で光を受けたナイフがキラと反射する。
「__っぶねえな!! 何!? 」
声を荒らげ1歩後ずさるイノに言葉を返せず、ただ足音のする方向を見つめた。
暗がりから出てきた女の子は、イノの足元を睨みながら大股で近づいてきた。
髪は真っピンクで左側をサイドアップ。程よくカールした毛先が肩の上で踊っている。トップスはこれまた濃いピンク色に黒いナイロンの上着。
裾に余裕のある黒いショートパンツからはレギンスが片方ほんの少し覗いている。
「お前....! いきなり何すんだよ! 」
「いいからどいて」
手ではらいのけるような仕草をした女の子は、イノの足元にかがみ込んでナイフを抜いた。ナイフ、だと思ったけどかなり細い。どちらかと言うとメスに似ている。
そこでようやく気づいた。
先端で身をよじらせていたのは地面と全く同じ色のトカゲ。
トカゲは自由になって顔を上げた、かと思ったら体がボロボロと、サラサラと砂になり最後には形を無くしてしまった。
今何....どういうこと?
それを見届けた女の子は、砂の山を足で蹴散らしこちらを見た。
まるで次はお前たちだとでも言わんばかりだ。
「チアとイノ、ね......来て」
ため息混じりにあたしたちの名前を呼んだその子は、もはやこちらを確認せずに歩き始めてしまった。
横のイノを見ると、はらいのけられ移動した場所から1歩も動かず、動けずに呆気に取られたような表情で女の子を目で追っていた。
今起きたことに対してか、初対面で清々しいほど蔑ろにされたことに対してかは分からない。
声をかけようと口を開いたのと同時に、痺れを切らした女の子が振り返った。
「なに突っ立ってるのよ。来ないならゆうくんのスマホだけ置いていって」
不機嫌そうに腕を組み、イノではなくあたしを睨む。ゆうくんのスマホ....遊........朝霧店長?
「おまえ、先輩の知り合い? 」
イノが地面に張り付いていた足を動かし1歩前に出た。
「聞きたいことがあるならついてきなさいってば」
呆れとイライラを混ぜた声で女の子が催促する。
藁や猫の手に縋ることはあっても、初対面で刃物を投げつけてくる女の子に頼りたい人間がどこにいるだろう。......残念ながらここに、だが。
彼女に従うことで身の安全が確保されるのであれば是非そうさせてほしい。店長の知り合いとなれば尚更だ。今は頼るしかない。
「ごめんね、まだ混乱してて....よろしく、ええと....」
「トア、でいいから」
あたしを睨むのをやめた女の子___トアはこちらを一瞥し再び鉄骨の方へと歩き始めた。
トアの後ろについてシートの影に入ったとき、骨組みの1部だと思っていた壁に奥行きがあることに気づいた。ちょうど一軒家くらいの、というかこれ家?
鉄骨の間を抜け反対側に出てみて確信した。鉄骨に囲まれた箱には、平坦だった後ろ側とは違い、ドアがあった。工事中どころか完成している。じゃあこの鉄骨はなに? それにこの家....。
隣のイノも同じことを考えているのだろう。訝しげに正面をじっと見つめている。
「なんか....きもい」
「もっと他に言葉あるでしょ」
だけど言いたいことは分かる。この家には表札どころかインターホン、郵便物を受け取る場所もない。見たところ窓すらない。灰色1色のこの建物はまるで牢獄みたいだ。
あたしたちの反応には特に何も言わず、トアは牢獄の扉を開いた。
「ほら入って」
と、玄関の内装が見えて更に困惑した。
すごく綺麗。
めちゃくちゃ普通の家だ。
壁は真っ白で色の薄いフローリング。そこには外観とは似ても似つかない快適そうな空間が広がっていた。
「え....と。お邪魔します....? なんか面白いね...ここ」
「......あなた達の家にもなるんだから、早く慣れた方がいいわよ」
「は? 」
何を言われたのか分からない、というようにイノが声を漏らす。
実際意味がわからない。なんて言った?
「今日からここで4人暮らしって言ったの」
あたしが玄関の扉を閉めたことを確認したトアは、すたすたと室内へ進んでいく。
先の言葉を聞いたあとでは中に進むのがためらわれる。
困惑と不安を込めてイノを振り返りつつ、慎重に彼女へと続いた。
「うわ 」
踏み入れたその部屋は、十中八九リビングであろう作りで、やはり外観からは想像できないほど落ち着いていた。無駄なものが無く、モデルルームのようだ。
....悪く言えば生活感がない。とても口には出せないけど。
「突っ立つの好きね....座ったら? 」
いつの間にかキッチンへ移動していたトアが、冷蔵庫からペットボトルを取り出しながら言った。
「あ....うん」
自分では人見知りしない方だと思っていたのに、選択出来る語彙がなんとも乏しい。頭が働いていないのか気の抜けた返事になってしまう。
床に? さすがにソファだろう。
床に座ったあとの反応も気になるが、今は彼女を刺激するべきではない。
言われた通り赤と紺のパッチワークでできたソファに腰をかけた。
そして思った。二度と立ち上がりたくない。
体がこの場に固まった。文字通り。
特別良いソファにも見えなかったけど、そういうものほど高かったりするんだろうか。
....違う。あたしだ。
素材は全然違うけど、気分は車のシートに座っている時と似ている。狭い車内には両親がいて、小さな振動が体に伝わってくる。どうしようもないあの眠気。最後に乗ったのはいつだっけ。とにかく、安心する。
緊張が解けた、肩の力が抜けた。
「イノ」
リビングのドアの前に立ったままでトアをじっと見つめているイノを呼ぶ。
「こっち来て 」
うん、ともああ、ともとれない言葉をぼやき、こちらを見たイノは一瞬躊躇いながらも、あたしの隣に腰をかけた。
そして固まった。
その様子に思わず声を漏らし笑う。
「俺どんだけ金積まれても今立ち上がるの無理 」
「あたしも嫌かな 」
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