瑠璃色のコントラスト
リの字
1話
口に含んだレモン炭酸を飲み込むのと同時に背中を叩かれてむせこんだ。
ペットボトルを机に置いて、肩の上で浮く小豆色の髪を揺らしながら体を曲げる。
涙がじわと浮かんできた。なんなの。
「チアも行くでしょ? 」
「は....なに___ 」言葉の途中でまたむせた。喉を鳴らして息をゆっくりと吸う。
こんなのあまりに非人道的すぎる。彼女には人の心がないらしい。
「なにって、カラオケだってば。話聞いてないなら返事しないでよね」
犯人は悪びれるどころかあたしを見下ろして文句を言った。
返事、返事なんて........したかも。何か言われてとりあえず声を出した覚えがある。なんにも考えていなかった。
「ごめんって」
「それでどうなの? 今日の放課後」
「えっと......ごめん___ 」
「今日は用事があって」
でしょ、と。あたしの返答を盗み口にする。
断られる前提で声をかけたのだろう、受け入れるのが早い。
「ほんとアンナはよくわかってる.....」
「即答しないときはいつもそうだからでしょ」
その通り。
言い訳は墓穴を掘るだけだろう、観念して文句を受け入れるしかない。
「もう今週3回目じゃない、なんでそんなに通わなきゃいけないわけ? 」
そう言って不審そうに指を折る。今日は木曜日、月火と同じ理由で断っているのでさすがに怒っている....し、疑っている。疑惑の内容はなんだろう。バイト、交友、個人主義。
「あたし、1番人気だからさ」
軽口はお呼びでなかったらしい。うるさいわね、と靴をコツンと蹴られた。
「本当は彼氏と会ってる、とかじゃないでしょうね」
「え? 違うってば」
それがありえないことなのはアンナが1番分かっているはずなのに、とんでもない疑いをかけられていたものだ。
「どうだか、気づいてないのかもしれないけどこいつはあんたのこと好きよ」
空いている隣の席に座ったアンナが机をバンバンと叩く。
「え.....へぇ........」話したことも無くて、下の名前すら危うい人。そうだったんだ。
「塩対応のチアってちょっと広まってるんだから」
それも知らない。変な肩書きを広めないで。
「とにかく、みんなには適当に言っておくから」
「ありがと。あ、明日なら空いてるんだけど」
「明日はバイトですぅ」
口をとがらせて不満げにそう言う。どうにも毎回タイミングが合わない。いや、これはあたしのせい、残念がる権利はない。こんど埋め合わせをしよう。
終業のチャイムが鳴ってからおよそ10分。
学校から1番近い信号を渡ると、前方から同じ制服を着た集団が歩いてくるのが分かった。今通って行ったバスを降りたのだろう。
あたしが受験した年。全日制部は定員割れだったにもかかわらず、定時制の方は倍率が1.2、と落ちた方が仕方なく全日を選ぶというあまり多くない事例の年だったらしい。全日希望だったあたしには関係ない話だけど。
それからも何人かの生徒とすれ違いながら、家のある駅から5つ過ぎたところの改札をくぐった。
都心から離れたここは人通りも少なすぎる。スーパーこそあるものの、娯楽施設はひとつもない。住んでいる人達以外わざわざ降りることの無い場所だ。
こんな所に週三回も通っていると知ればあんな顔になるのも仕方がない。
目的地の手前でその声は聞こえてきた。
「あ! チアおねーちゃーん!」
「アオイちゃーーーん! 」
しっかり道路を確認してあたしの方に駆け寄ってきたその子をしゃがんで抱きとめる。小さい体で衝撃はない。
「お誕生日おめでと。もう6歳だね」
抱きしめたまま背中をさする。くすぐったいのか笑いながらあたしの横腹をパタパタと叩いた。制服のジャケットの厚みのおかげで全然効かない。
「はい、これあげる」
簡単にラッピングした小さいイヤリングをアオイの手に握らせた。
痛くないようにネジを緩めた代わりにマグネットを組み込んでいるものだ。子供がつけても負担は少ないだろう。
「うわぁ、かわいい! 」
小さな掌に移ったことで一回り大きく見えるそれをひとしきり眺め、嬉しそうにこちらへ差し出した。「つけて!」
「よし、髪の毛持って」
普段からあたしのつけているフェイクピアスやらカフやらをいじっては羨ましがっていた彼女に、誕生日はこれを渡そうと決めていた。
うん、かわいい。
鏡を受け取ったアオイは目をキラキラさせてあたしの周りを飛び跳ねている。ピンク色の飾りが本来想定されていなかったであろう衝撃を受け宙を舞う。
ちぎれないとは思うけど....。
「あっチアじゃん、チアー」
「今日遅くね? 」
道の向こう側から高学年くらいの男の子たちが3人向かってくる。
今日も呼び捨てにされた。いつもあんなに言ってるのに。
「来たな、悪ガキ」
油断も手加減もせず、リーダー格の子をひとり捕まえて肩をぐりぐりと押す。
笑いながら身をよじっているがそんなことで逃げられるあたしではない。
「チアさんと呼びな」
「ぜってーーやだ」
このままではろくな大人にならないので容赦はしない。あと普通に舐められるの腹立つ。
「これ見てよ! 」
アオイが髪を持ちあげてくるくると回る。落ち始めた太陽が反射しガラス細工が赤を纏った。
「お、似合ってるよ、チアセンスあんじゃん」
年下とあたしへの態度の違いが露骨すぎる。みんなあそこで育ってどうしてこんなに生意気になれるの。
顔を振って飾りを揺らすアオイを見て、普段はつけていない髪飾りが増えていることに気づいた。
そんなの持ってたっけ。
「アオイ、それ誰に貰ったの? 」
「あ! これはね、さっきいーちゃんがくれたの」
呼ばれたアオイは、見せるのを忘れていたというふうに頭をずいっとあたしに向けた。
見たいのは頭頂部じゃなくて横なんだ。
「え、そうなの」
アオイは心底嬉しそうに頷くと、かわいいでしとまたくるくる回り出した。
へえ、覚えてたんだ。ちょっと意外。それに割とセンス良い。
シンプルな、それでいて存在感のある髪飾りをまじまじとみて感心する。
入れ違いになったんだろうか。来るなら言ってくれればいいのに。
「ねえ。あいつ制服着てた? 」
「ううん! 青いジャージ!」
....そろそろ留年が決まると思うんだけど。あたし知らないから。
_______。
「あ、ごめんなさ___ 」
ドン、とあたしにぶつかった黒い男の人は、振り返りもせずに駆け足で赤の信号を渡っていった。今のは向こうが悪いと思うんですけど。こういうのは謝った方の勝ちなんだからね。
というか、今のわざと?
ハッとしてブレザーのポケットを叩いた。
あたしの目の前で急にふらついたような....財布....スマホ....ある、なんなの?
怖っ。
ため息と、制服の裾をなおして信号が変わるのを待つ。
目の前のこじんまりとした、それでいてこの辺りでは存在感のあるレンガの外壁のお店。一瞬お花屋さんと勘違いするほど色鮮やかな花で装飾された外観は、初めて来た時からのお気に入り。
透けガラスの扉をちらっとだけ覗いて押した。耳に優しい可愛い音の鈴が揺れる。
「いらっしゃいま___せ......」
愛嬌のある笑顔でこちらを振り返ったアルバイトの男の子は、あたしと目が合ったとたんに声が小さくなっていく。
気にせず店内へ足を進めると、メニュー表を脇に抱えたまま足早に向かってきた。
「もう来るなって言っただろ......! 」
色素の薄い金髪を揺らし顔を近づけられると、ふわっとコーヒーのいい香りがした。
「なんでよ。仕事して、いーちゃん」
「その呼び方やめろって」
接客モードが恥ずかしいのかなんなのか知らないけど、こいつはあたしが来る度こうやって追い返そうとしてくる。そんなの聞いてあげるチアではないけど。
入口が騒がしいことに気づいた2人組のおばあさんがこちらを振り返る。
「あらぁチアちゃん、こっちにいらっしゃい 」
「いいんですか?失礼しまーす」
不服そうな顔でこちらを睨んだまま静止している店員の横をすっと抜ける。
「もう帰ろうかと思ってたんだけど、ゆっくりしててよかったわぁ 」
「ほんと、また背がのびてる」
あははうふふと話す2人に笑顔を返す。
「1週間前も同じこと言ってた」
あたし背が伸びすぎ。
「イノくん、チアちゃんにもカフェオレを」
「そうよ、お会計はこっちでね 」
「......え、はい! 」
名を呼ばれ仕事モードへと切り替えたイノがカウンターを漁り始める。
名札をつけていないこのカフェで店員を名前で呼べるのはかなりの常連だけだ。あたしも最近まで店長さんの名前を知らなかった。
「ちょっと、自分のは自分で払いますから 」
2人を見ても返事がない、こういう時だけ聞こえないふりで窓の外を眺めている。何も無いのに。なんと都合のいい耳か。
「そういえばねぇ、あそこの奥さん結局受けるみたいよ」
「あの白内障の手術ぅ? でもねぇ〜なんか怪しいわよ」
あたしを無視するのに飽きたふたりがお得意の話題転換を披露する。
「怪しい? 」
「あらチアちゃんケルドスの広告見たことない? あのうさんくさいやつよ」
おばあさんが手で何かを払う仕草をしてそう言う。
"ケルドス" 広告くらいは見たことがある。
何年も前から存在はしていたらしいけど、名前が上がるようになったのはここ最近の小さい医療グループだ。皮膚移植やレーザーなしで火傷跡を完全に治す、とかそういうので話題になっていたから形成外科なんだと思っていた。のに最近目の治療についても話題になっているのでよく分からない。
「でも失敗例は無いみたいよ? 」
「だって治療数が少ないんだもの、普通のとこにした方が良いって言ってるのに聞かないのよ」
「他の半額以下で済むならそりゃあねぇ」
半額以下。元の値段を知っている訳では無いので、それが如何程なものかは想像できないが、その言葉自体は良い響きだ。
「___ケルドスは、やめといた方がいいっすよ」
ふっと口を開きアイスカフェオレを持ってきてくれたイノを見上げる。びっくりした。
少し声のトーンに違和感があった。だけど表情はいつもと変わらなくて、お年寄りウケ最高のご愛嬌スマイル。何も読み取れない。
「やっぱりそう思う? 」
そうよねぇ、と否定派のおばあさんが頷く。
「イノくんまでそんなこと言って」
「うん......なんというか俺の......親戚の眼科医が悪い噂を聞いたみたいで」
正直よくわかんないですけど、と笑うイノを見つめた。
俺の、言い換えたけどあたしには分かる。俺の親父、だ。
イノの家族の話は孤児院で会ったばかりの頃に1度だけ聞いたのを覚えている。
家出したらしいけど、詳しいことは何も知らない。
もう5年は一緒にいるけどお互い会う前のことは話題にも出さない。あの頃はそれがとてもありがたかった。
「とにかく、金額で決めるもんじゃないですよ」
「それもそうねぇ」
「やっぱり説得してあげなくちゃ.......あらもうこんな時間」
つられて時計に目をやった。17時半、たしかにいい時間だ。
ほんとだわ、とご老体とは思えない手際の良さで身支度を始めたおばあさんたちを苦笑いで見る。
「長居しちゃってごめんねぇ」
「いえまた、お待ちしてます」
2人を見送るイノに目線を向ける。店員しているイノを見るのは楽しい。なんでだろ。敬語かな....知り合いの敬語って面白いよね。
店内をぐるっと見回す。残った客はあたしだけ、従業員もイノだけ。
「イノ、座んなよ」
そう呼びかけると、先程までの態度を一変させ、じとっとした目でこちらを見た。小さく息を吐いて近い椅子にゆっくりと逆向きに腰をかける。
「もう帰れよ」
「それなんなの」
「チアがいると落ち着かないんだよ」
「理由になってないでしょ、それ」
返事がない。背もたれに腕と顎を乗せ、床を見つめている。よく考えなくても従業員らしからぬ態度だ。座れって言ったのはあたしだし、注意する人もいないけど。
「そういえば朝霧店長は留守なの?」
その名前を聞いたイノは、罪悪感でも感じたのか、はっとして立ち上がった。
「アルバイト1人残して店をあける店長ってどう思うよ」
「あの人らしいよね」
「そんなもんで済ますなよ......」
テーブルに手をついて不満を口にするイノの肩越しに、少し前から扉の前で楽しそうにこちらを見ていた人物と目が合う。
「あたしは好きだけど」
「勘弁してくれよ、俺もう辞めてやろうかな」
「___なんだ、それは残念」
その声を聞いてイノの肩が信じられないくらい跳ねた。思わず笑ってしまう。
「いつから.........まじで性格悪い........」
「留守番してくれた分上乗せしようと思ってたんだけどな」
そう言いながらこの店の店主は私服のままカウンターに入っていった。
手に持っていた袋を乱雑に置き冷蔵庫を開ける。
「それとこれとは話が別 」
「辞めちゃうのかぁ」
おばあさんたちの食器を運びながらイノが睨む。視線を向けられた本人は全く気にしていないけど。
「チアちゃん久しぶり」
「どうも、お邪魔してます」
笑いかけてくれる彼に会釈をする。
朝霧遊店長。見た感じ20代前半。この距離の近さはカフェというよりそういうお店みたいだ。実際若い女の人の来店も多いはず。いつもイノが苦笑って対応している。
「邪魔だなんて、大事な常連さんだよ」
「先輩、女子高生に色目使わないでくださ___痛っ」
メニュー表で頭をはたかれたイノを見てははと笑う。見ていると兄弟みたいだ。外見は全然似ていないけど。
朝霧店長は優しい色の茶髪に同じく茶色い目、大量に開いたピアスを打ち消す爽やかな笑顔は年齢問わず女性人気最高。
比べてネラとイタリアのハーフであるイノ。色素の薄い金髪に襟足左側の1箇所だけ入った青いインナーカラーが目立つ。接客こそ板についているものの、それ以外の態度は最悪。
「そういえばイノ、いつから学校行ってないの」
その灰色の目をじっと見つめれば、バツが悪そうに顔を背けられる。
「数えるのやめたから」
「定時制生徒が出席日数不足で留年って笑えないと思うんだけど」
「その話はナシ」
無しになるわけないでしょ。
仲がいいのがバレているせいであいつを連れて来いってあたしが先生にどやされてるんだから。
「とにかく明日は絶対行って」
「はいはい、考えときま___ 」
カランカラン、と。あたしをあしらおうとしたイノの言葉を遮って入口の鈴が揺れた。
「いらっしゃいませー」
切り替えが早い。逃げる口実ができたとでも思っているんだろう。後でもう1回言い聞かせなきゃ。
「1名様ですか? お好きな席___ 」
フードを深く被って上から下まで真っ黒なその人は、イノを一瞥もせずにボックス席へとすり足で向かった。手袋まで真っ黒だ。
ん......? あれ。
イノと目が合った。すみません、と客として店員を呼ぶ。
無視された直後で仕事が見つかって安心したというような表情でイノが傍に寄る。エプロンを引っ張って少し屈ませた。
「あのひと、ここに来る前あたしにわざとぶつかってきたの....たぶん」
目線だけ動かしてもう一度確認してみる。間違いない。あそこまで黒いと逆に悪目立ちしてしまっている。不審者の条件オールクリア。
眉をひそめたイノは体を起こして朝霧店長を振り返った。
口だけ動かしてなにか伝える。 "あのひとおかしい" とかだろう。
朝霧店長は既に黒い人を凝視していて、視線をそらさずに小さく頷いた。
と思ったらスマホに何か打ち込み始めた。
それを見たイノはため息をついて背筋を正し、仕事をするため黒い人へといつもの調子で近づいていった。
「お客様、ご注文お決まりでしたら___ 」
その瞬間だった。
ガッ、と。
陰鬱そうに一点を見つめていたその人は、薄暗い風体からは想像もつかない速さでイノの右腕を強く引いた。
驚愕に灰色の目が見開かれる。
「え、ちょっと....! 」
咄嗟に立ち上がって身を乗り出す。
でも何かおかしい。もちろんこの状況は紛れもなくおかしいけど、イノの腕を掴む手袋。真ん中の3つ以外、小指と親指にあたる箇所が力なく垂れ下がっている。
指が......無い?
背筋に悪寒が走った。
咄嗟に相手の顔面めがけて空のグラスを投げつける。
幸か不幸かコントロールは完璧で、鈍い音とともに相手は後ろへと仰け反った。そいつはようやくイノの腕を放す。
....そして当たり前にこちらを見た。
視線を返したことに心底後悔した。
全身の血の気が引いていくのが分かる。
フードの漆黒に浮かんだふたつの光る点、その周りにはおよそ人間のものとは思えないざらついた......鱗。
身体が固まった。金縛りの経験は無いが、今がそうだと言われたら納得する。
動けない。
心臓が脈打つ音だけが聞こえる。逃げる?逃げたい。でも動けない。
そんなあたしに不審者は一切の配慮も躊躇もなく、飛びかかって____飛びかかろうとした。
不審者の背後から朝霧店長が椅子を大きく振りあげ、相手を殺しかねない勢いで叩きつけた。
バキッと、木の折れる音がして心臓の音が悪化した。
一瞬死んだんじゃないかと思った。死んでいなきゃおかしい、それほどの勢いだった。にもかかわらず。
そいつは殴られた頭を狂気的にぐるっと回転させて朝霧店長を睨んだ。
人間じゃない。
「イノ! チアちゃんを連れてここに」
今まで叫ぶことも抵抗することもなかったイノは、依然顔を真っ青にしたまま投げて渡されたスマートフォンをかろうじて受け止める。
我に返ったイノに腕を引っ張られてようやく体の石化が解ける。
「ちょっとまって、朝霧店長が」
「残ったってあんなのにかなうはずないだろ....! 」
かなうはずないって、じゃあ朝霧店長は。
引かれるままにバックヤードへ駆け込んだ。すごく寒い。後ろでものが倒れる音がする。心臓は狂ったまま。あのギョロっとした目が頭から離れない。離れてくれない。
イノがテーブルの上に投げ出された青いジャージを引っ掴んで、乱雑に裏口の扉を開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。