コロナ禍 過剰梱包ならぬ、過剰接客
ドラッグストアはコロナ禍のせいで店内は殺気だっていることが非常に多くなっていった。
それなのにレジ列は間隔を開けずに並んだりと、感染対策の意識の低さには目を疑います。
あらゆるものが不足した店内で、荒ぶった客を沈めるため私たちは心を殺して、過剰なほど優しい接客を心かけていました。
これは別に客のためではありません、自分のためです。結局客をなだめられなければ私たちに八つ当たりのごとく強いことばを投げ掛けますから。とてもしんどいです。だって荒ぶっている客をなだめるのにも、かなり気を使いますから。
神経すり減らして笑顔を作り、精神崩壊寸前の綱渡りで毎日をやり過ごす。
みんな大変、コロナだもの、仕方ない。スーパーや他のドラッグストアも大変なんだ、大丈夫、皆やってること。
そんな言い訳を毎日のようにやっていた三月頃。その日の夜、私はいきなり大泣きしていました。静かに、一人で。なにか悲しいことがあった訳じゃないのですが、たぶん仕事に行くのが嫌になったのでしょう。
他人事のようにいっていますが、自分の感情と解離して笑顔を張り付けてしまったため、自分の感情を素直に受け止められずどこか傍観していました。泣きながら冷静に、なんで泣いてるんだろう?と思っていたくらいです。今思えば、とっくに精神的な面では限界を越えていたのでしょう。自分の感情と長く解離してしまったために、自分自身の叫び声が、聞こえていませんでした。
そのためか、次の日にはけろりと元気になっていたので、嫌だなぁと思いつつ仕事にいっていました。
散々書いていますが、毎日同じ文言の繰り返しというのは、流れ作業をするより苦痛です。まるで拷問かな?と思えるほどに。
しかし客に私たちの状況なんてお構い無しです。
もしもお客様を不快にさせれば怒鳴られ、クレームをあげられる。電話もひどく、とるのが嫌になると事務の方がいっていました。
この過剰接客の鎧は私たちを客からは守ってくれますが、自分からは守ってくれませんでした。
日に日に従業員の間でもイラ立ちが募り、言い争いや意見の食い違いが勃発。
一日の半分以上を過ごす職場は、ギスギスした居心地のとても悪いものになっていき、悲しくなりました。
表では怒り狂ったお客さんの対応をし、裏は裏で皆疲れ果てて……
私たちは何のために働いているのだろう。
その疑問がつきませんでした。
ならやめればいいだろ?
たしかにそうなんです。
けれどやめられません。
それはコロナで不景気になり求人先がないということもありますが、疲弊していく従業員を見捨てることができなかったのです。
だってこれ以上人がいなくなったら、本当に皆潰れてしまう。
両手いっぱいに仕事を抱え、重すぎるストレスは両肩にのし掛かり、疲れは足を地面に縫い付ける。
私は元々、ストレスで過食になる気があったため、明らかに食べる量は増えました。これが食べたい、となるとそれが頭から抜けずずっとお腹がすく。ひどいときは、ほとんど満腹に近い状態でもなにかしら口に放り込み、無理矢理胃袋に食べ物を詰めていました。
ただ以前健康診断で引っ掛かったため、おなかが空いたら職場で千切りキャベツの袋を買い、鶏ガラスープの粉とむね肉のチキンを潰して一緒に暖めて食べる、という野菜をとにかく食べると言うことを繰り返してましたね。
えぇ、これ結構お腹ふくれますよ。2人分のキャベツも入ってますから。
……問題は、毎日それを繰り返すほど過食に走っていたことに、疑問を抱かなかった自分ですけれど。
そんなにストレスをためることがまだあるのです。次はあまりSNSでは知られていなかった闇をお伝えしますね。
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