本を抱いて登る

杜松の実

 一 

 ふと目を開けると異様な光景があった。己は明るく照らされているのに、眼前は、暗い青が上から下へグラデーションを付けるように、次第に深まり黒くなっている。そこへ小さな光の粒が幾筋も過ぎ去っていった。意識が明瞭になるにつれ、タタンタタンと私を揺らす音が聴こえだした。眠っていたのか。急いでスマホを確認する。目的の駅まではあと三十分ほどで着くようだ。

 しかし、記憶のある限りではこのような電車に乗った覚えはない。内装は東京駅で乗ったものとそっくり同じであるが、人の気配がまるでない。同じ車両には、すっかり寝入っている私の連れが一人と年増のご婦人が一人いるだけである。隣の車両の様子はうかがえないが、隣だけ満員ということもないだろう。

 外も明るかったうえに、これほどわびしくはなかった。車窓から、暗く広がる面に点々と民家が見える。夜凪よなぎに浮かぶ漁船のようだが、揺蕩たゆたう不安定さはない。竹取のごとく、ぽっかりと明るく生えているとした方が適した詩になろう。

 昼にもなればそこらの田畑に人影も出よう。楽し気に走る子供もいよう。むしろ列車内の人気のなさの方が、明るいだけに不穏である。不穏を恐ろしい速さで運ぶ様は、なお不穏に見えよう。中におるうちは知らずに済むだけ幸せである。そうした長閑のどかな闇を眺めていると、じき飽きた。

 人は一貫的であることを是とする。一貫性ある者は芯を持っているかのように見える。芯あるものから真心が生まれる。一貫した人物は信頼を得、親しまれよう。表向きはそうして一貫性が好まれる。事実は、断続的なものは先が読みやすい。ひいてはその者が何を言うか、何をするかとおびえる必要はなくなる。

 また、効率的である。貫徹すれば無駄がない、寄り道がない。通ったものすべてが結果に繋がっている。文明は効率的であることを是とするばかりか、非効率であることを愚と定め、排斥の念で圧迫した。物を右から左に運ぶに、田畑を潰し、山に穴を開け、生活を移させ、一直線にレールをくことを効率と呼んだ。都会と繋がるレールは、こんな山の中にも及んでいる。

 電車の減速に合わせ、連れの肩がのしかかる。それをぐいと押し返すと駅が見えてきた。山間やまあいの駅には当然誰もおらず、白い電灯がぽつぽつとかろうじてホームを照らすだけであった。婦人が下りていくのと入れ違いに、師走の熱が足元を冷やす。車両に残ったのは我らだけになった。


 次に停車した駅で降り、宿舎へ向かった。

 この三年間何度も訪れすっかりなじみとなった宿舎は、もとは中学校であったらしい。まっすぐ伸びる廊下の幅には既視感を覚えるも、一様に白く明るく塗られた様は、やはり学校とは異質である。部屋は三つのベッドと向かいの壁に打ち付けられた机があるだけの、質素な作りで、それが四階までずらりと並ぶ。私と連れはそれぞれ別室を与えられている。部屋に荷物を置き食堂へ向かおうと外に出たところで、連れとまた会った。連れは同じ天文研究部に所属する新入生である。

 今晩我らは、ふたご座流星群のピークに合わせ、星を観にこの山奥の宿舎までやってきている。諸君は都心で見ることができないにしても、そこまで僻地へおもむく必要はないと考えるやもしれぬが、それは違う。そう考える者は本当の満天を見たことのない者である。

 息を吐けば白く漂い、空気は冷たく乾燥している。地平線に街明かりは一つも見えず、あるのは黒と呼ぶには鮮やかで、青と呼ぶには暗すぎる、藍とも紺とも呼べないが、濃紺を何度も煮詰めしてようやくできるほどの、濃く深い青が全天に広がる。夜空が真黒く見えるのは、街明かりが星を隠すためである。月はとうに沈んでいる。見上げれば星だけがある。星明りだけでうっすらと影さえできる。それが満天だ。

 本来であれば三人で来ることになっていたのだが、一人から当日になって体調不良で行けないと連絡があった。中止も考えたが、連れが二人でも行きたいと言い、致し方なくこのような形となった。いまさら悔いることではないが、男女二人、それもこれまで親しくしてきたわけでもない後輩と来ることは、抵抗があるどころではなく、たまらなく嫌である。

「今日どうします?」

「今日は、完全に曇りだから観れないね」

「ですよね」

「コンビニ行って酒でも買うか」

「あ、いいですね。この辺コンビニあるんですか?」

「あるよ」


 十分ほど舗装された道路を降りれば、川沿いの大きな通りに出る。そこを右に折れて上流にさらに二十分進めば、コンビニへ着く。空は灰色の雲が流れているだけで、いくら目をそばだてても星は見えなかった。

 つまみとビールや発泡酒、缶チューハイなどを買い込み宿舎に戻るころには、十一時を回っていた。夜道を歩き身体を冷やした我らは、酒盛りを始める前に風呂に入った。

 食堂は、六人掛けや四人掛けの長机が所狭しと並べられ、二百人分の座席をやっと確保できるような広さで、北側の校舎の端にある。そこには南側の校舎、体育館へと渡れる廊下があった。その空間が、中学校であったころどのように使われていたかは、想像もつかない。

 そもそも便宜上食堂と呼んではいるが、この宿舎では食事は出されない。ここは大学所有の研修センターのため、そういったおもてなしは一切ない。冷蔵庫や電気ポッド、電子レンジがあるので皆そこで食事をとるのが習慣であった。

 私が机の一角に陣取ると彼女は向かいへ座った。つまみ、スナック菓子を広げ、冷蔵庫から冷やしておいたビールを取り出し、二人きりの酒盛りを始める。

「ここ過ごしやすいですね。部屋もお風呂もきれいですし、Wi-Fiもありますし」

「あれ、夏合宿行かなかったの?」

「そうなんですよ。他のサークルの合宿と重なっちゃって。夏合宿もここだったんですか?」

「そうそう。バーベキューとか花火とかしたよ」

「ええ、いいなあ。楽しそうですね。でも、もっと山の上の方の、星がめちゃくちゃきれいなところに行ってると思ってました」

「そういう合宿もあるけどね。そういう所に行くと結構お金かかるんだよ。だから、みんなで遊びに行くような合宿は基本ここかな」

「じゃあ本気で星を撮りに行く人なんかは、山の合宿に行くんですね」

「ここもそれなりにきれいだけどね」

 人の魂や性格、本性、本当の自分、などと評される内部構造は、ひどく複雑に形成されている。仮にその内部構造が三次元的であるとすれば、ある者からは円に見え、ある者からは三角形に見え、またある者からは円錐えんすいを斜めから見ているようになろう。それでさえ見えない影側がどんな形状か分からないため、完全に見えているとは言えまい。たかが三次元と仮定してもこれだけ複雑である。

 人の内側の多次元性は、社会が複雑、多次元化した現代を暮らす個人の理解に及ぶところであろう。にもかかわらず、我らは人を見て、見る度に違う面を発見することはない。それは当然、個人や場によって見せる表面が一定であることによる。

 今、目の前でころころと笑う彼女もある一面に過ぎない。よく回る口、見上げるように私のを見る仕草、遠慮なく酒をあおる様子、それら表層から得られる情報は、部の先輩と二人きりという場に合わせて作られた一面で、それに合わせる私もまた、適した面を選んで応じた。

敷島しきしまさんって彼女いないんですよね。欲しいと思わないんですか?」

「そりゃあ思うよ。でもねえ、それができないんだよね」

 酒の席とは妙なもので、一時間も飲めば共に過ごした時間が短い仲でも旧知昵懇きゅうちじっこんのように振る舞ってもよいと決められている。酔いが回り、正常ではいられないからだけではない。酒を飲むというのはある種儀式めいたものであって、共に酔わなければならない。酔って互いの距離が詰まったと認め合うことを、了承しなければならない。このことを受け入れないのであれば酔ってはならん。しかしまた酒の良い所は、狭まった距離は醒めた後には無かったことにしてもよいことだ。

「ふふ先輩。種は蒔きましたか?」

「ん、たねって?」

「種蒔いて、水あげて、肥料もあげないと花は咲かないんですよ」

「はは、なるほど。痛い所つくなあ。でもね、そもそも種蒔く土壌がないことには仕方ないでしょ」

「そこはあ、まあ開墾して耕せばいいんですよ」

「どういう意味だよ? はは、ちょっと一服してくるわ」

「え、敷島さんって吸う人なんですか? 知らなかったです」

「まあ知らないだろうね、誰にも言ってないし。知ってるの部では中村だけだと思うよ」

「へえ、じゃあ私で二人目ですか。弱み握りました」

「別に秘密ってわけじゃないから」

 体育館に続く渡り廊下に灰皿とベンチが置かれている。深く一息吸うと、一拍おいて勢いよく吐く。白い煙が風にたなびきながら姿を消していく。肺に煙を入れるたび、酔いが一段一段と深まっていくのが分かる。屋根越しに見える空はあいも変わらず、雲が流れるだけであった。

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