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「ねぇ、草加さん? 聞いてる?」

 目の前で手をヒラヒラと振られて、私はハッと我に返った。

 すでに見慣れた光景が広がっていた。また、ここに戻ってきた。

 神様は、一体私に何をさせたいのだろう。

 結婚を止めることはできなかった。だったら、あの惨事を繰り返さないためにどうすれば良いのだろうか。

 考えるしかない。繰り返した三度で私が得たモノはなんだろう。

「はい、聞いてますよ。おめでとうございます。お相手はどんな方ですか?」

 なぜだか有賀さんは驚いたように眉を上げた。それから表情を和らげて答える。

「営業の芹沢さん」

「芹沢さんですか……。私はよく知らないんですけど、どんな方なんですか?」

 前回、私なりに芹沢敬吾を調べたけれど、たいした情報はなかった。ならば、有賀さんから聞き出すしかない。

 とはいえ、有賀さんから聞いた情報で結婚を止めることはできないだろう。

 結婚を止める必要なんてないのだ。行き先を変えさせればいい。それできっと最悪の事態は避けられるはずだ。

「基本的におとなしくてやさしい人だよ」

「基本的に?」

「うん。基本的に」

 有賀さんの「基本的に」という言葉が気になった。

「そうでないときもあるんですか?」

「ん? んー、たまにね。ちょっと頑固なところがあるのよ。一度こうだと決めたら曲げないみたいな感じかな」

「へぇ……。なんだか大変そう」

「そうでもないよ。大丈夫」

 ふと、空港での有賀さんの言葉を思い出した。

「式はいつ頃ですか?」

「年末年始を使ってロサンゼルスで……」

「それは遠いですね」

「だよね……」

 やはり有賀さんはロサンゼルスでの式に乗り気ではないようだ。だったら行き先を変えることはできるかもしれない。

「有賀さんはどこで式を挙げたかったんですか?」

「私? 私は特に希望はないけど……。国内でいいからゆっくり旅がしたいかなぁ」

「ゆっくりですか?」

「うん。まぁ、ロスは遠いからのんびりできるようにって、年末年始と慶弔休暇を使おうって彼が言ってくれたんだけどね」

「そうなんですね」

 ここで有賀さんに「じゃぁ、行き先をロスじゃなくて国内に変えたらどうですか?」と言ったところで変更することはできないだろう。

 頑固だという芹沢敬吾が納得するような理由が必要だ。

 有賀さんの結婚の報告を聞いた翌日、私は遠野さんを呼び出した。

 社内でもあまり人と接してこなかった私には、どうすれば芹沢敬吾の意思を変えられるのか見当が付かなかった。そして私が頼れる相手は、有賀さんの他には遠野さんしかいない。

 未だに遠野さんのことはよくわからないけれど、前回話した感じでは、決して悪い人ではなさそうだった。

 問題は、この時点で、私は遠野さんとほとんど話したことがないということだ。前回話した記憶は私にしかない。

 突然呼び出して、有賀さんのロサンゼルス行きを阻止したい言っても協力してもらえるとは思えない。

 仕事が終わってから遠野さんを呼び出したのは、前回遠野さんに呼び出されたチェーンの居酒屋だ。

 奇しくも前回と同じ席に案内された。

「草加さんに呼び出されるなんてはじめてだね」

 私が入店してすぐに遠野さんが現れた。ビールと料理を注文してから、どうやって話を切り出そうか考えていると、遠野さんから話題を振ってくれた。

「で、今日の呼び出しは……希江の結婚のこと?」

「はい」

 私は素直に答える。

「希江の結婚を止めたいの?」

「いいえ。私は有賀さんに幸せになってもらいたいだけです」

 これも本当の気持ちだ。子どものように拗ねて、有賀さんの幸せを願えなかったこともある。だけど今は、本当に有賀さんに幸せになってもらいたい。

「ふむ……で、私に何か頼みでもあるの?」

「有賀さんたち、ロサンゼルスで式を挙げるんですよね?」

「うん、そうらしいねぇ」

 注文した料理がテーブルに並べられた。私たちはそこで乾杯をして料理に箸を伸ばす。

「行き先を変更させることはできないでしょうか?」

 ビールを飲みながら考えたけれど、うまい言い方が思い付かなかった。

「それは、どうして?」

 ロサンゼルス行きの飛行機に大惨事が起きるから……そう言ったところで、遠野さんは信じてくれないだろう。私が遠野さんの立場なら間違いなく信じない。

「有賀さん、飛行機苦手じゃないですか」

 多分、有賀さんと仲のよい遠野さんならそのことは知っているはずだ。

「うん、そうだね。でも乗れないという程じゃないよ」

「はい。だけど、この間少し話をしたら、ロサンゼルスは芹沢さんが言い出したことで、有賀さん自身は乗り気ではなかったみたいなので」

「うーん、でもそれは二人で決めたことだし、私たちが口出しをすることではないんじゃないの?」

 遠野さんは一杯目のビールを空にして、二杯目のビールを注文した。

「それはそうかもしれませんけど、芹沢さんは頑固なところがあって、意見を曲げないところもあるって……。二人の式なら、有賀さんが我慢して意見を曲げるのは違うんじゃないですか?」

「うーーーーーん」

 遠野さんは唸りながら、届いたばかりの二杯目のビールを飲む。

「もちろん、外野が口だしすることえはないと思います。だけどもしも、二人ともが納得できる場所があるとしたら、それが一番いいんじゃないかと思うんです」

「なるほどね……。で、草加さんは私に何をして欲しいの?」

「二人が納得できそうな場所のアイデアがないかと思って……」

「二人ともが納得できる場所、か」

「はい」

 遠野さんは目を閉じて何かを考えているようだ。

「希江はどこがいいとか言ってた?」

「いえ、どことは言っていませんでしたけど、のんびり国内旅行がしたいと言っていました」

「飛行機に乗らずに行ける場所ね」

「あ、はい。そうですね」

 すると遠野さんは急にくすくすと笑い出した。

「何を笑っているんですか?」

「いや、こうして草加さんが私を頼ってくるとは思ってなかったから」

「突然すみません」

「いいよ。何かあればいつでも声を掛けて。じゃぁ、頼りになるって所を見せておこうかな」

 そう言って遠野さんは立ち上がった。

「すみません」

「まぁ、うまくできるかわからないけど、少し時間をちょうだい。あと、うまくいったら『すみません』じゃなくて『ありがとう』でよろしく」

 それだけ言い残して遠野さんは居酒屋を出て行った。

 今日は私がおごるつもりだったのに、しっかり会計も済ませていたようだ。なにかすごく格好良く振る舞われたような感じがして、少しむずがゆく感じた。

 それから一週間が過ぎて、遠野さんに呼び出された。この間と同じ居酒屋だ。

「この間、おごっていただいてすみません」

「年上だしね」

「でも、もうやめてください」

「あー、はいはい。わかった。今日は割り勘で」

「はい」

 頼んだビールが届いてから、遠野さんは本題に入った。

「うまく話を持っていけば、国内旅行に変更できるかもしれないよ」

「本当ですか?」

「芹沢さん、坂本龍馬の信者なんだって」

「へ?」

「幕末の浪士でも鴨じゃないってね」

「は?」

 意味がわからず首をひねる私を見て、遠野さんはケラケラと笑った。

「まぁ、あの芹沢さんと坂本龍馬はあんまり結びつかないけど、信者って言っていいくらい傾倒しているのは本当みたいよ」

「そうなんですか……」

「式……というか、新婚旅行も本当は船で世界一周とか考えてたみたいよ。海援隊気分にでも浸りたかったのかしらねぇ」

 話が読めずにぼんやりしている私をよそに、遠野さんは続ける。

「さすがに予算的にも時間的にも難しいから海外旅行にしたみたいね。っていうか、坂本龍馬はロサンゼルスなんて行ってないのにねぇ」

「あ、はぁ」

「男なら海を渡ってデカいことをしたい……とでも思ったのかなぁ? ただの新婚旅行だけど……」

「えっと、意味がわからないんですけど」

「だから、芹沢さんがロサンゼルスにこだわったのはたいした理由じゃないってこと。だったら、坂本龍馬ゆかりの地を回る国内旅行を提案したら食いつくと思わない?」

「そっか」

「高知から、宮崎の高千穂、長崎とかを巡るっていったらロサンゼルスよりも喜びそうじゃない? 新婚旅行で宮崎なんて、坂本龍馬信者なら無視できないでしょう」

 私には、なぜ宮崎が無視できないのかよくわからなかったけれど、自信あり気な遠野さんを信じることにした。

「それにしても、よく調べられましたね。私も少し調べていたんですけど、何も見つかりませんでした」

「草加さん、私の部署、知ってる?」

 そう言われて今更ながら思い出した。

「人事部!」

「気付いてなかったのか……。知ってて頼みに来たのかと思ってたよ」

 私が「すみません」と言いかけたとき、遠野さんが人差し指をたてて小さく首を横に振った。

 この間の遠野さんの言葉を思い出して、私は改めて言葉を紡ぎ直す。

「ありがとうございます」

 その日から私と遠野さんは、有賀さんと芹沢さんに、直接的または間接的に旅行先の変更を働きかけた。

 式場のキャンセル等の問題があったものの、芹沢さんも有賀さんも納得して旅行先を変更した。

 やっと未来を変えることができたのだ。

 私ひとりではできなかった。きっと何も変えることができなかっただろう。遠野さんがいてくれたおかげだと思う。

 そうして十二月の終盤に開かれた結婚披露パーティーに、私ははじめて晴れ晴れとした気持ちで参加することができた。

 改めて遠野さんにお礼を言い、有賀さんと芹沢さんにお祝いの言葉を伝えた。

 ようやく繰り返しが終わる。

 有賀さんたちは、パーティーを終えたらその足で新幹線に乗り込み、まずは京都に行くらしい。そこからのんびりと、山口、長崎、宮崎、高知とまわるそうだ。

 駅まで見送りに行くという遠野さんたちと別れて、私は家に帰った。

 帰りにスーパーによってビールと食材を買う。

 時間を掛けて食材を丁寧に料理した。

 ゆっくりとお風呂に入って汗と疲れを洗い落とした。

 テーブルに料理を並べる。

 時間はすでに二十三時になっている。

 私はテレビを付けた。

 くだらないバラエティ番組が流れている。

 そのまま三十分過ぎても、次のバラエティ番組がなられはじめるだけだった。

 缶ビールを開けて、冷やしておいたグラスに注いだ。

 よくわからないけれど、ロサンゼルス行きの飛行機に惨事が起きる未来すら変わったようだ。ニュース速報に変わることはない。

 よく冷えたビールを喉の奥に流し込む。

 これで明日がやってくる。

 そう思ったとき、スマホがけたたましく鳴った。

 画面には遠野さんの名前が表示されている。

 嫌な予感がしてテレビに目を移したけれど、飛行機事故のニュースは流れていない。

 そもそも、有賀さんは飛行機に乗っていない。すでに京都に着いているはずだ。

 多分、仲間と打ち上げをしてテンションの上がった遠野さんが私をからかうために電話をしてきたのだろう。

 私はそう自分に言い聞かせて電話に出た。

「はい、草加です」

―― 草加さん……

 電話の声は確かに遠野さんだった。だが、盛り上がって楽しんでいるような声ではない。

「遠野さん? どうしたんですか?」

―― わからない……

「は?」

―― わからないよ……

「遠野さん?」

―― 希江が……死んだって……

「な、何を言ってるんですかっ、冗談でも言っていいことと悪いことがあります!」

―― そうだよね、冗談だよね。そんなはずないよね……

「何があったんですか! 何が起きたんですか!」

―― なんか、ケンカになって、芹沢さんが希江を殴って……病院に運ばれたけど……。どうして?

 確かに私が恐れていた未来は変わった。

 だけど変わった先に有賀さんの幸せはなかった。

 私がやったことはすべて無駄なことだったというのだろうか。

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