第9話 初めての体験
翌朝、メールの着信音で目が覚めた。
携帯電話を見ると彼女からだった。
「はろー今日も行きたいところがあるので予定がなければ行こー!あ、でもどうせ予定なんてないでしょ?いつもの集合場所にカムバック!」
僕は丁寧にこう返信してあげた。
「分かったけど、君はカムバックの意味を知っていて使ってるんだよね?」
送信するとすぐに返事が返ってきた。
「カムバックはこっちに来て!って意味でしょ?それくらい分かるよ!」
英語も分からないんじゃ仕方がない。
「カムバックは戻ってっていう意味だよ。いつもの集合場所に戻ってって君は言ったんだよ」
「そうなの?君が勝手に意味作ったでしょ?まぁいいや!とりあえず来てよ!」
僕が勝手に意味を作るわけない。すぐに言いがかりをつけるから付き合いにくいのだ。
「分かった」
一言だけ返信して着替えて朝食を食べる。
それにしても今日は何をするつもりだろう。
テレビの映像を横目で見ながら時刻表示を見ると約束の時間が迫っていた。
僕は椅子から飛び降り、急いで支度をして家を出た。
集合場所に急いで向かうと彼女はまだ来ていなかった。
僕は持ってきた文庫本を読むことにした。
立ち読みはあまり好きではないが仕方がない。
僕が本を開くと後ろで彼女の声がした。
「ごめーん!遅れたぁ」
「遅れたというほど遅れてないけどね」
「今日はねぇ……まぁついてきたら分かるよ!」
と言って彼女は歩き出した。
僕はとりあえず彼女の背中を追いかける。
着いた先は高級フランス料理店。
「あのさ……君は太りたいの?」と僕が聞くと
「ひどいなぁ別にいいでしょぉー死ぬ前にやりたいことなんだから」
「昨日いっぱい食べてまた今日も食べるの?」
「そーだよ」
「だからさ、僕そんなにお金持ってきてないんだけど」
「いいでしょー私が払うからー」
と言い、中に入っていく。
僕が彼女を追いかけ、「場違いだと思うんだけど」と小声で言うと
「そぉー?」と彼女は言った。
ボーイが現れ、予約の確認をしている。
意味が分からない。予約までしておいたのか。
ボーイが席に案内し、椅子が引かれる。
僕はとりあえず座って彼女を見た。
彼女は笑顔で当たりを見回している。
笑顔を撒き散らしているのか。君は。と喉に出かかった言葉を飲み込んだ。
ボーイが恭しくメニューを渡す。
僕はメニューの値段を見てびっくりした。
コースで頼んでも二万円越えだ。
もっと高いのもあって驚く。
彼女はとりわけ澄ました顔でメニューを見て小声で僕に「決まった?」と聞いてくる。決まったも何もない。
「こんな高いの食べられないよ」
「いいでしょ別にぃ」
と彼女が頬を膨らます。
彼女はボーイを呼んで僕の分を勝手に決めて注文した。
昨日の食べ放題と全く真逆なので少し驚く。
彼女は食べ放題で安い値段から高級料理まで食べたいのか。
彼女は思い出したようにボーイを呼んで「ワインリストください」
と言った。
「君ねぇ高校生でビール飲んでワインまで飲むの?」
「いいじゃんー美味しいよー」
そういう問題ではない。
ボーイはワインリストを持って来てすぐに引き下がった。
第一こんな高い店に高校生で二人って頭がどうかしていると思う。
彼女はワインが決まったらしくボーイを呼んで何やらこそこそ伝えた。
ボーイは頷きすぐに去っていった。
「ウキウキするねぇ」
「酔っぱらわないでよ。ここで酔っぱらったら変な目で見られるよ」
「大丈夫!安心して!」
するとボーイが「お先にお飲み物を失礼します」と言い、僕の前に水を、彼女の前に背の高いグラスを置いた。
彼女に言わせればシャンパンという名前らしい。
彼女は息を蒸気させてシャンパンのグラスを持つ。
「何で君は水ー?なんかさみしー」
「水が無難だよ。君こそ一人でシャンパンって寂しいんじゃない」
「ひどーい一人で水の方が寂しいに決まってるじゃんー君はお酒飲まないんだっけ?」
「高校生はお酒を飲むことを禁止されてるよ。知らないの?」
「知ってる。でも美味しいから飲むの!分かるでしょ?」
「意味が分からない。未成年は禁止でしょ?」
「いいのぉーどうせ死ぬんだしー」
「君さぁそれ言われて人が困ること想定して言ってる?」
するとボーイが示し合わせたように来て「お待たせいたしました。最初のオードブルでございます」
ボーイが置いた皿を見て僕はまたもや驚く。
「ミディトマトの一口サラダでございます」
トマトの中にチーズとニンニクとレタス、バジルを入れたものだった。
彼女は目を輝かせて「うふーん美味しそー」と言った。
実際食べた感想も美味しかった。彼女は「私について来て正解だったでしょ?」と聞いた。僕は「そんなんでもないよ」と答えてあげた。
彼女はシャンパンを飲みながら「君は素直じゃないねー」と笑った。
次にボーイが持ってきた料理は前菜という名のスモークサーモンの切り身とほうれん草なのか分からない青菜とソースで絡めてあるものだった。
彼女は何を食べても「美味しー」とか「幸せー」といった。
メインに運ばれてきたのは焼いたズッキーニと白カブを下に敷いた小鹿の肉だった。
ソースは甘酸っぱく香ばしかった。
一口頬張るとジューシーな肉が口の中で溶けていってなんとも言えない美味しさだった。
デザートはメレンゲの中にカスタードクリームを入れて熱々に焼き上げ、上にバニラアイスと蜂蜜をかけた絶妙のものだった。
彼女は食事の間に何回もシャンパンをお代わりし、最後の一口まで一気に飲み干した。
流石にこの場なので彼女も乱れはしなかったが、僕は心配でたまらなかった。
病気が突然悪化し、病院行きになるのはこっちがごめんだ。
僕は不安の色を宿した目で彼女を見た。
僕は一皿ごとに少しずつ残したのと対照的に彼女は全皿ペロリと食べ終わった。
決して美味しくなかったわけではない。昨日みたいに胃が気持ち悪くなるのはごめんだからだ。
彼女はシャンパンを飲んでから「まだなんか頼む?」と聞いてきた。
彼女はボーイを呼んでメニューをもらい、開いて単品のメニューを見ている。
「あれだけ食べたのにまだ食べるの?」
「悪いー?」
「あんまり食べると昨日みたいになるよ」
「だいじょーぶー今日はワインだからー」
「ワインとビールは同じアルコールでしょ?しかもお酒の話をしてるんじゃないんだけど」
「太ってもいいってぇー美味しいものを食べる時間が私にとっては至福の時間ー」
「あぁそう」
これ以上関わると面倒くさそうなので適当に応答してこの話題を切り上げようと思った。
「デザートも食べ終わったし帰るよね?」
僕が確認するように尋ねると彼女は笑いながらデザートのメレンゲをシャンパンで流し込み、「ここの店、デザートの後チーズ出てくるのーそれまで待ってなー」
と言った。
「チーズ……?」
「えぇーもしかしてチーズも知らないの!?君やっぱり頭どうかしてるよー」
大袈裟にいう彼女を見て深いため息をつく。
「チーズぐらい知ってるよ。デザートの後にチーズなの?って聞いてるだけ」
「そうだよーこの店ちょっと変わってるからねーチーズ選べるからいいよー君も食べるでしょ?」
「まぁ」
その時ボーイがチーズが乗ったワゴンを僕たちのテーブルまで運んできた。
「デザート後のチーズでございます。お好きなものをお選びください」
彼女は嬉しそうに僕を見て「私が先決めるね!」と言ってワゴンの中を覗き込む。
彼女はボーイに僕が知らない名前を次々と上げていった。
「コンテ、ブリー、カマンベール、チェダー、ゴーダ、マスカルポーネ、エポワスをくださーい」
僕は彼女が何を言っているのか理解できなかった。
「待って、待って君は一体何を言っているの?」
彼女は「これ、全部チーズの種類だよー」
と言った。
「そう………。後さ、君そんなに食べるの?」
「うん!君は何にする?」
「適当に決めて……」
「あっそぉじゃあ、ゴルゴンゾーラ、スティルトン、マンチェゴをお願いしますー」
「ちょっと待って。そんなにいらないよ。僕お腹いっぱいだから。一つにして。」
ボーイに僕の分からない単語を並べ立てる彼女を制し、彼女を見た。
彼女は頬をいっぱいに膨らましながら「君って本当に文句が多いねぇーまぁいいや。
じゃあねぇ変更で彼にはお勧めのゴルゴンゾーラで」
ボーイはかしこまりましたと言い、チーズを切り分ける。
僕はその手際を見たまま彼女に言い返した。
「文句が多いんじゃなくてこだわりが多いって言ってくれる?」
「こだわりも文句も一緒でしょー美味しいのにもったいない」
「お腹いっぱいで胃が破裂しそうだから」
「え?胃って破裂するの?君大丈夫?トイレ行ってきたら?」
「胃が破裂しそうっていうのは一つの例えだよ。胃は破裂しないに決まってるでしょ」
僕たちのやり取りにボーイは笑みを隠しながらチーズを皿に乗せる。
チーズ独特の香りがとても鼻をくすぐった。
皿が前に置かれ、一口食べた瞬間に口の中で甘さと苦さが溶け合ったような感じを受けた。
彼女は皿いっぱいに並べられたチーズを一口ずつ味わっている。
確かにここのレストランは驚きを与えてくれる店であった。
一つの食事ごとに自分の予想を遙かに上回る料理が出てくる。
僕は今までフランスの存在は知ってはいたものの料理が美味しいということは知らなかった。
未経験なだけ美味しく感じたように思う。
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