第13話 隊員は目撃する(2)

「……は?」


 目の前で起きた事件に、シリルは唖然とする事しか出来なかった。


(何が起きた? 何が起きた!?)


 混乱する頭を落ち着かせようとするも、脳は正常に機能してくれない。

 隣を見れば、エミリアの貴族令嬢とは思えない行為に、レイハーネフも絶句している。

 不穏な雰囲気だと、四人とも肌で捉え、ジャンやイライザはエミリアに職務質問する方向で話を進めていた。

 危険だ、とは誰もが感じていた。だが男爵令嬢が公爵令嬢相手に、熊が鮭を捕る威力とスピードでひっぱたくとまでは、誰も想像していなかった。

 扇子で叩かれたヴァイオレットの頬からは血が溢れ、陶器の様な肌を伝っていく……相当深く切れている事が、遠目であっても十分確認出来た。


「ジャン!!」


 イライザの指示と同時に、ジャンが動き出す。

 柵に手を突いて身をひるがえすと、軽装備だが甲冑を身に付けている重さを認識させない程、軽々と飛び降りて行った。


(おお……流石)


 騎士なら高所から飛び降りても負傷せず着地する術を持っているだろう。しかし、それでも二階は二階。鍛えていない者からすれば大怪我をする高所なのだ。

 訓練していても、飛び降りるにはそれなりの勇気と技術が必要になる。そんな怯む様な高さを躊躇いも見せず飛び降りて、身体にかかる負荷を逃がしながら着地する様は、歴戦の騎士そのものだった。

 もともと筋力が少なく、戦いに不向きな自分に出来ない事をこなすジャンに感心していたシリルだったが、次の瞬間、彼は驚愕に目を剥く事となる。


「シリル」


 名を呼ばれたシリルは姉を見る。しかしその姉がいる場所を見て、思わず「姉上!?」とすっとんきょうな声を上げた。


「至急シンシアに連絡。ヴァイオレットの頬の傷を完治させて」


 柵に飛び乗っていたイライザはそれだけ告げると、ジャンと同じ様にバルコニーを飛び降りた。


「えぇぇぇぇぇーっ!?」


 いましがた、騎士の身のこなしを称賛してたシリルだったが、姉のこの行為だけは感動も肯定も出来なかった。


(貴女は騎士ですがその前に王女ですよ!?)


 騎士団をまとめるイライザは、王女であり女性という立場を守りながらも、騎士の技術をその身に刻み込んでいる。

 今回の様に騎士と巡回したり、荒ぶる不審者相手に取っ組み合う事もあるが……何度も言う。彼女は騎士の前に王女なのだ。


「二階から飛び降りて良いわけないだろ!?」


 太切な人の危機なのと、王女が二階から飛び降りるのは話が別なのだ。

 一体何のために護衛騎士をつけていると思っているのか……。エミリアの凶行を止めているジャンも、主であるイライザを白い目で見ている。


『なんてこと……』

『レイ?』


 エミリアの狂気、ヴァイオレットの負傷、そして王女の飛び降りと、あまりの出来事の数々に、とうとう許容範囲を越えてしまったらしい。

 ふらふらし出したレイハーネフは、そのまま崩れる様に倒れ込んだ。


『レイ!!』


 地面に頭が直撃する前に支える事に成功し、安堵する。

 しかしこんな惨事に発展してしまった事に、シリルは一人、頭痛を覚えた。


(これでシンシア姉上まで来たら余計混乱するよ……)


 しかしヴァイオレットのためなら仕方ない。そもそも女性に、特に未婚の貴族令嬢に傷が付いたとなれば、今後の人生が一八○度変わってしまう。

 二人目の姉は回復魔法に特化しているが、その属性には似合わず人一倍感情的なのだ。大切なヴァイオレットを傷付けられたと知ったら、きっと大荒れになるだろう。


(でも腕は確かだからなぁ……)


 最悪、一緒に来るであろう彼女の夫・マティアスに任せる事にして、シリルは自分の影から使い魔を呼び出すと、猫の姿に変わったそれをシンシアの下へと送り出した。


「はぁ……これで他の者に見つかったら大変だよ」


 回復魔法で全く傷のない状態に戻したとしても、傷が付いたと知れたらそれだけで名誉が傷付き、挽回するには膨大な時間と労力が必要になる。

 しかも被害者であるヴァイオレットは公爵令嬢……対立派の貴族の良い餌になってしまう。


(これ以上事が大きくなりませんように!!)


 卒倒してしまったレイハーネフを支えながらそう祈る。

 しかし神は時に残酷で、背後から聞こえて来た声に、シリルは身体を硬直させた。


「あらあら、扉も開けっ放しで……誰か使用してそのままなのね?」


 バッ、と振り返れば、部屋の入り口に、メイドと思わしき影を捉えた。


(俺……貧乏くじ引き過ぎじゃない?)


 迫り来る危機を打破すべく、シリルは焦りで動きの鈍い頭を回転させた。


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