第14話 子どもだから
傷もの、修道院、人生崩壊……
不穏な単語が脳内に浮かんでは流れて行く。
迫り来る危機に、シリルの全身からは嫌な汗が吹き出した。
勿論、自分の危機ではなく、公爵令嬢・ヴァイオレットの危機にである。
(ヤバイ ヤバイ ヤバイ ヤバイ!!)
遠目でもヴァイオレットの頬の傷は確認出来た。きっと止血していない今はドレスの襟元周辺も赤く染まっている筈だ。
(クソッ! ドアを閉めておけば良かった!)
男爵令嬢への不信感が勝り、その他に気を回す事を怠っていた。
レイハーネフと外交の勉強をし始めた頃、その責務を担っている王弟──シリルたちの叔父に『詰めが甘い』とよく言われていた。最近でこそ言われなくなったが、まさかこんな時に犯すとは、完全に注意力が欠けていた。
中に入って来たメイドは室内をうろうろしている。自分たちが入って来たときと同じ様に、きっと不審に感じているのだろう。一通り室内を調べ回ったら、次はバルコニーに出てくる。
(──仕方ない!)
ここで悩んでいる暇はない。
覚悟を決めたシリルは数回深呼吸を繰り返した後、支えているレイハーネフを気合いを入れて抱きかかえると、ヨタヨタとした足取りで室内へと向かって行った。
(お……いや、俺の筋力が無さすぎる!!)
危うくレディに言ってはいけない台詞を口走るところだった……。
シリルは少女一人も満足に抱える事の出来ない己の筋肉を恥ながらも、歯をくいしばりながら歩き続けた。
「だ……だれ、か!!」
ゼーハー、と、肩で息をしながら室内に向かって叫べば、室内の確認をしていたメイドが気付き、目が合うと「一体何があったのですか!?」と、二人して慌てて駆け寄って来た。
「きゅ……急に、倒れて……庭を、みようと……バルコニーに、出た……だけなのに!!」
瞳を潤ませて、嗚咽に詰まりながらも懸命に説明をする“子どもの様な姿”を演じる。
実際、外交の一部を任される様になったシリルとレイハーネフだが、年齢で言えばまだ各地に回るのには早過ぎるくらいで、長男のジェラルドから見れば、二人はまだまだ幼い子どもだった。
だから“子どものような姿”というよりは、事実子どもなので何らおかしくもないのだが、シリルもレイハーネフも、各地を巡る度に精神が磨かれているので、実年齢よりも大分大人びている。そのため周囲もつい子どもなのを忘れてしまう程で、意図的に行動に表さないと、二人は子どもとして見てもらえないのである。
「う、ぐすっ……お願い、レイを助けて!!」
だからさっさと退出してくれ、というのは心に止め、涙を溢しながらメイドにすがれば、一人は慌てて部屋を出ていき、もう一人は「取りあえず、レイハーネフ様のお部屋に戻りましょう」と、彼女を受け取ると、抱き上げて歩き始めた。
「大丈夫ですよ殿下。レイハーネフ様も直ぐ目覚めますからね!」
これが大人であれば「しっかりなさいませ!!」と叱咤されるのであろう……が、王子であれシリルはまだ子ども。泣きながら助けを求めれば、いつもの大人扱いは何処かへ吹っ飛び、年相応の対応をしてもらえる。
(なんとか切り抜けたかな……)
今更子どもらしく泣いてすがるのも気恥ずかしいが、一人の令嬢の未来が潰えてしまうよりはよっぽどマシだ。
(後は頼みましたよ……ジャン。そしてマティアス殿下)
荒ぶる騎士の姉も、回復魔法が得意の姉も、きっと大人しくなんてしていられないだろう。穏便に事を進めてくれるのは、彼らの婚約者と夫だけであった。
(あとは……ジェラルド兄上たちに見つからなければ良いけど)
ヴァイオレットが傷付けられたと年長三人に知られたら……考えるだけ恐ろしい。
シリルは悪寒を感じてブルリ、と身体を震わせると、不穏な思考を追い払うべく、頭をフルフルと左右に振った。
(考えてても駄目だな。離脱する者として、後は信用するしかない)
その場にいれば何かとサポートが出来ただろうが、現場を去る自分には何も出来ない。
(今は、レイが目覚めるのを待つだけだ)
数々の不安要素を背に感じながらも、シリルは婚約者のためにそれらを振り切った。
兎に角、自分に出来る事はやり遂げた。後は年上組に頑張ってもらうしかない。
(取りあえず……身体、鍛えよう)
今度は格好良く抱き上げられるようになりたいと、眠る婚約者の姿を見つめながら、シリルはメイドの後に付いて行った。
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